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砂曼荼羅の諸行無常からの藤井風くん
こんにちは!
idumi.artのいづみです。
周波数を整え、感性を高める動植物画アイテムを作っています🦋
こちらの記事で沙羅双樹(ナツツバキ)について書きました↓
その頃から平家物語の冒頭がずっと浮かんでいて…
“祇園精舎の鐘の声、
諸行無常の響きあり
沙羅双樹の花の色、
盛者必衰の理をあらはす
奢れる人も久からず、
ただ春の夜の夢のごとし
猛き者も遂にはほろびぬ、
偏(ひとへ)に風の前の塵におなじ”
「諸行無常・盛者必衰」とは仏教の教え
どれほど栄華を極めても必ず終わりがくる、
この世の無常を説いた言葉
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ラストの表現が琴線に触れ、常に大切にしてる感覚のひとつとなりました。
平家物語では戰(勝負ごと)の例えとしてネガティブ要素を含んだものなのかもしれませんが、私はすべての物事に対してこの表現はあてはまると感じているので、生きる上でどこか安心感に繋がっています。
どんなに大切なものであっても、形あるものはいずれ衰え朽ちるものであり、その摂理に例外はありません。
2年ほど前、長く使っていた冷蔵庫が壊れ慌てて買い換えてほっとしたのも束の間、初期不良で数日後に取り替えてもらうという滅多にない体験をしましたが、そのときにも遅かれ早かれすべては壊れるんだなぁ…と痛感しつつ、摂理には抗えないものだとしみじみ。
この肉体だって、実際は細胞レベルでみると破壊と創造が繰り返されています。
ユング心理学の第一人者、河合隼雄先生の“死”についてのお言葉にもハッとしました。
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チベットには「砂曼荼羅」というものがありますよね。
僧侶たちが数週間をかけ、精魂込めて作り上げた極彩色の砂曼荼羅(小宇宙)
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ですが、、
この芸術は完成後しばらくしたら、声明が唱えられたのちに高僧の手によって一気に破壊され、消えます。
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「非執着」を理解するため、そして諸行無常を意味しているのだとか。
砂曼荼羅から「破壊・死」について感じたのですが、、
綺麗な模様(色)は目の前から消えた(見えなくなった)かもしれませんが、すべてが混ざった砂は残り、細かな砂は風に飛ばされ大気に溶け込んでいき、その空気は空間に循環し続けます。
色が空(エネルギー)に戻っていっただけということ。
だったら一体なにが消えたのだろうか?と。
無くなるものなんて本当はなにもないというパラドックス。
そんな諸行無常な世界の中でなぜ生きてるのか?を考えた時、何かとても大切な記憶を呼び戻すためであり、その記憶とは自然界が教えてくれるのだろうと思うので、こうして拙い文章ですがとりとめもないことをnoteに書いている私です。。
風といえば…
風くんの歌う「風よ」という曲の歌詞にもひとつの答えがありますね。
“全部、風がつれていく、あるべき場所へ”
だから「非執着」で大丈夫!
安心して委ねて生きていけば良いのだろうと思います。
いつも読んでくださる方、お付き合いくださり本当にありがとうございます。
諸行無常の世界で、数えきれないほどの人がいるなかでこうして巡り会えた奇跡が嬉しいです。
曼荼羅のお話も書いてます。
Instagramもあります。