ロシェル・カップ氏が原告団長の神宮外苑再開発認可取消訴訟が昭和の左翼市民運動になっている問題を指摘する 3裁判の主張の欠陥

この神宮外苑再開発認可取消訴訟で勝つのが難しい理由は、原告訴訟代理人の山下幸夫弁護士が、神宮外苑再開発反対の訴訟をやっていない事だ。
その問題を指摘する。
過去の他の開発反対訴訟判例になぞらえようとするだけだから、原告適格に説得力がなく、メインの議論は重大な間違いがあり、後は権威依存だから情けない。

メイン主張に重大な間違いがある

最初の訴状の後に、令和5年8月0日付けの追加訴状を出しているので、こちらで見ると、神宮外苑再開発事業認可取消を訴える根拠として、

都市計画決定が違法であれば、事業認可も取り消されるべき。というロジックで、その都市計画決定に、以下の事実誤認、違反、裁量権の逸脱、濫用があるから違法であり、取り消されるべき。という主張である。

  1.  東京都の「公園まちづくり制度」の適用に問題がある

  2.  都市計画法第12条の4第3項に違反 これは「再開発等促進地区」の要件

  3.  環境影響調査に関する審議が十分になされていない

ちなみに加えて後から準備書面1で追加されたのが、

4    再開発工事中、近隣住民の避難場所が無くなる・
5   都市再開発法に基づく都市計画事業とされていない事が、違法。


確かに、1の東京都の「公園まちづくり制度」は、もともと使われていない土地を公園にするためのものだから、神宮外苑のように既に公園の地域への適応は確かに首をひねるし、2の「再開発等促進地区」も、たとえば「土地の高度利用を図る事が、当該都市の機能の増進に貢献することになる土地の区域」に神宮外苑が該当するかといえば、これも首をひねる。
ただ都市計画法、都市再開発法も、もともと都市整備を推進するための法律だから、どうにでも解釈できるふんわり表現が多い。

そこで、相手はAと解釈した。自分はBと解釈する。といった場合、緻密な議論が必要になる。ところが昭和左翼市民運動は、安易に自分の解釈ではBだから、Aと解釈したのは違法。と決めつける。この決めつけが引くのですよ。


それより問題は、メインの主張の問題だ。神宮外苑再開発は、個人施行です。つまり、地権者である明治神宮、伊藤忠、Japan Sport(国立競技場等の運営者) が寄り集まって、自分達の土地を再開発しようというもの。都市再開発法には4つの再開発の形それぞれについて、再開発の手重を細かく指定している。一般に多いのは市街地再開発組合を作って進める方法で、これは都市計画法に基づく都市計画事業でなければいけないのだけれど、個人施行には、そのような記載がない。で、神宮外苑再開発も、都市計画法に基づく都市計画事業ではない。なのに、最初に「都市計画決定が違法であれば、事業認可も取り消されるべき。」と論を張っちゃったのね。


本人たちも途中で間違いに気が付いたのか、準備書面1 では、4 都市再開発法に基づく都市計画事業とされていない事が、違法と言っちゃっている。これダメです。その理由が大きな市街地再開発は都市計画決定を経ているという勝手な理屈では、自分達の「違法」主張は幼稚な子供の我儘です。と自分達で宣言したようなもの。


結局神宮外苑再開発を理解せずに、他の市街地再開発の差し止め訴訟をなぞっただけだから、こうなる。もちろん事業認可取消のための論点もあるけれど、昭和の左翼市民活動家と社会性がない左翼弁護士では、そんなロジック立て直しはできず、この後は、ただ権威に依存し権威に甘えて虎の威を借る作戦が続けるだけ。これはこの次に述べるとして、こいつらどれだけ甘ったれなのか?

また環境評価がまだ論点で残っているけれど、これも日本イコモス国内委員会のお言葉とレポート頼り。このイコモスも、木を切る事や植生への影響を問題にしているけれど、所詮は昭和頭の学者が自分の好きな分野を語るだけ。それだけでは、「また植える/再開発が終了して年月を経過すればまた植生も増える。」事実に対して、何ら答えがない。イコモスについてはまた述べる。


都市再開発法は、法のコンセプトが土地を集約して大きなビルを建ててあまった床(保留床)で開発費を賄いましょう。だ。だから神宮外苑再開発でも高層ビルがついてくる。この理屈にしっかり反論できない限り、工事後に復元されるという公園の緑の景観利益VS東京の街も進化しないでいいのか?
にしかならない。すると、街の進化の必要性が否定できない。東京の街がもう進化しないでいいのなら、スマホとパソコンは捨てて、明治時代の生活をしてな。という話だ。ちなみに反論の在り方は後で述べる。

結局最初の原告適格主張のうち、都営青山1丁目アパート住民は除いて、ロッシェル・カップの呼びかけに応じてこの訴訟の原告に加わった人は、神宮外苑の歴史的価値と、環境評価が十分ではなかった、イコモス様がこういっている、を根拠に景観利益という実体がない利益を求めているだけという、いかにも昭和左翼市民運動の自己主張だけふんわり訴訟というしょぼい裁判の原告に名を連ねていると、分かっているのだろうか?


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?