農耕民族と狩猟採集民族

今回は最近ハマってる文化人類学(人間の生活様式全体の具体的なあり方を研究する学問)に関する記事です。

農耕民族と狩猟採集民族。歴史を遡ると人間はこの2つの生活様式に分類されます。文字通り前者は農業を中心とした生活を営み、後者は森や平原、海などに生息する生物を狩る生活を営んできました。
食べることは生活の基盤です。その基盤の作成過程が違えば当然文化や思想は変わってくる。
今回の記事ではその違いと、両者がぶつかった際どのような事態が起こるのか。元を辿れば同じポリネシア人であった、マオリ族とモリオリ族を例に示していきたいと思います。

*これから示すのはあくまで1つの説です。正しいとは限りませんので、"あぁこういう考え方もあるんだな"というスタンスで読んで頂ければと思います。

元々ポリネシアの島々に住んでいたポリネシア人は、人口爆発による食糧難や住居の不足により、今から1000年程前に他の島へ移動を始めます。そしてニュージーランド島に住むようになったのがマオリ族。チャタム諸島に住むようになったのがモリオリ族です。

ニュージーランド島とチャタム諸島。この2つの島の環境からマオリ族は農耕民族へ。モリオリ族は狩猟採集民族になりました。

まずはチャタム諸島に住むモリオリ族から見ていきます。
チャタム諸島に住むようになったモリオリ族は、豊かな自然に恵まれ、アザラシ、魚介類、営巣中の海鳥などを高度な技術を必要とせず、手づかみやこん棒で捕えることができました。しかしチャタム諸島は土地が狭く、農業を始める場所がありませんでした。これが元々農耕民族であったポリネシア人が狩猟採集民族となった理由です。
その為、人口過剰により自然から得られる食料が枯渇しないよう男子を去勢したり、食料を巡って紛争が起きぬよう戦いを放棄しました。
そしてモリオリ族は組織力に欠ける非攻戦的な少数民族となったのです。

狩猟採集民族の方がその響きの荒々しさから気質が荒く戦争を好む民族、と理解してしまいそうですが、食料を得られる限度が決まっているため、奪い合うのではなく協力し、逆に非攻戦的になるんですね。

次はニュージーランド島のマオリ族を見ていきます。
ニュージーランドは温暖な気候で土地も広く、地質も良好な状態な為農業を始めるにはこれ以上ないと言って良い程の環境です。そこで暮らし始めたのですから、農耕民族として発展したのは当たり前と言えるでしょう。

農業を始めるとどうなるか。食料が安定して大量に生産出来るようになります。食料生産が安定すれば生活も安定する。そして人口が増加していきます。農業は狩猟と比べ、一人当たり得られる食料の量が全然違います。全員が食料生産に従事する必要がなくなる。そうすると農業以外に労働力を回すことができる。鍛冶屋、建築家、哲学者、画家等、職種が増えていきます。知的レベルも上がり、文化が形成されていきます。

モリオリ族が食料を得るのに苦戦し、人口増加すらままならない中、マオリ族は時には10万人もの人口、そして高度な文化を持つ文明へと成長していったのです。

農耕か狩猟か。食料を得る方法が違うとここまで差が出てくるのです。食料の安定供給による人口爆発により、段々と土地が不足していきます。食料もいずれ足らなくなるでしょう。
そんな中、ひょんなことから少し離れた場所に魚介類や動物がたくさんおり、そこに住む民族は戦うことを知らず、武器も持っていない。そんな情報を入手したのです。

そんな夢のような島があることを知ったマオリ族は当然攻め込みます。
文化を持ち、幾度となく同じマオリ族間で衝突を繰り返してきた民族と、戦争を放棄した民族。その両者が争えば結果がどうなるかは火を見るより明らかです。

1000年頃同じ地域から出発した同じポリネシア人。その時は同じ知能レベルだったでしょう。しかし1835年、モリオリ族はマオリ族に滅ぼされてしまった。実際に戦った人数だけを見れば、モリオリ族の方が倍近く多かったそう。それでも負けてしまった。滅ぼされてしまった。

食料を得る方法が違うだけでここまで差が出来る。人間って面白いですね。

こういった違いを分析していけばなぜヨーロッパやアメリカが発展し、アフリカは置いていかれたのか。なぜイギリスで一番最初に産業革命が起こったのか。そういった疑問が解決されるかもしれません。

この記事を読んで、文化人類学に少しでも興味を持った方が一人でもいらっしゃれば幸いです。

興味があればジャレドダイヤモンドさんの著書を読んでみてください。この記事、ほとんどこの方の受け売りなので。笑

#ジャレドダイヤモンド #文化人類学 #農耕民族 #狩猟採集民族 #マオリ族 #モリオリ族

3月から世界一周する予定の大学生。 旅の事、思った事、色々書いていければ良いなと思ってます