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【BTSらしくない?】「Permission to Dance」は究極の秋元康ソングか

BTSが7/9に発表した新曲「Permission to Dance」。楽曲制作にはエド・シーランが参加し、爽やかで軽快な王道ポップソングとなっている。

MVではコロナ禍の世界が明確に描かれる。当たり前のようにマスクを使用しながら暮らす、様々な人種、職業、年代の人々の日常の風景が写るが、最後には全員がマスクを外し、それぞれの世界でダンスを楽しむ。
そして、国際手話を用いたダンスも特徴的だ。
全ての人に楽曲のメッセージを伝え、誰が聞いてもすぐに踊り出せるような、「誰にでも分かりやすい」楽曲となっている。

肯定的な声の反面、ファンの中には物足りなさを感じる人も多いようだ。
コード進行やメロディもシンプルで、歌い方やダンスもメンバーの個性を生かすというわけではないし(ラップパートもなく…)、「大衆に迎合したつまらない楽曲」「BTSらしさがない」という否定的なコメントも見かけた。

だが、逆に言えばこの楽曲は、BTSの音楽界でのポジションの変化を象徴し、今の「BTSらしさ」を最大限発揮した楽曲とも言えるのではないだろうか。

彼らがなぜ今、これほどまでに分かりやすいメッセージを携えてこの楽曲を展開したのか考えたい。

トップアーティストとしてのBTS、「BTS」の枠組みを越えて

BTSは、先日のグラミー賞ノミネートに加え、「Butter」でビルボードHOT100チャート7週(2021/7/13現在)連続1位を記録するなど、すでに世界の有数のトップアーティストとしての地位を築き上げた。

それゆえ、この曲で彼らが想定する聞き手は、もはやBTSのファン「ARMY」とその潜在層のみならず、世界中の、音楽が届くところにいる全ての人々、となっているように思う。

冒頭で述べた通り、MVに登場する「普通の暮らしをする人々」は、MVの中でそれぞれ交わるわけではなく、BTSと共演するわけでもなく、各々の世界で暮らしている。ただ、どの世界にもBTSが飛ばす紫の風船が身近に存在しており、それが共通点となっている。

この楽曲は、「Butter」の「Smooth like butter」という歌詞のように、人々の生活にいつの間になめらかに忍び込むような音楽を目指しているように思う。MVに現れる紫の風船は、その音楽を象徴しているのだろう。

街を歩いていると遠くのスピーカーから流れていたり、車の中でなんの気無しにつけたラジオから流れてきたり、その時、聞き手が「BTSの曲」「K-POPの曲」という枠組みで捉えることのないような、自然と多様な人々の生活に溶け込む楽曲を目指したのではないか。

日本のアイドルプロデューサー秋元康氏の持論を思い出す。

秋元康の持論に「ヒット曲に大事なのは田舎の漁港のスピーカーから聞こえるかどうか」というものがある。筆者がかつて『別冊カドカワ 総力特集 秋元康』の制作を担当していた時に聞いた話だ。
かつて80年代に『ザ・ベストテン』の構成作家をやっていたときに、鹿児島の漁業組合の拡声器のような小さなスピーカーで、音が割れるようなひどい音質で田原俊彦の「NINJIN娘」を聴いた。その時に「これが歌謡曲なんだ」と思った、という話。

※引用:乃木坂46の新曲にみる、秋元康の“仮想敵”とは? サウンドの特徴から分析(https://realsound.jp/2016/04/post-6957_2.html)

BTSは「Dynamite」の活動の頃から特に、アメリカのラジオ局で楽曲が流されることを重視したプロモーション戦略を行なっていた。

今回の「Permission to Dance」も、世界のどこかの、都会の街か、田舎のモールか、はたまたどこかの漁港か。どこかでこの曲が流れたとき、BTSの存在を知らない人、もしかしたらK-POPカルチャーやアジア・韓国に偏見さえ持つような人が聞いたとしても、つい体を動かし、メロディを口ずさみたくなるような、世界の「歌謡曲」を目指したのかもしれない。

最後に

皆さんは、「現時点のBTSが持つ、BTSらしさ」をどう捉えただろうか。BTSはアイドルだ。これからも常に変化を続けながら、我々に様々な魅力を届けてくれるだろう。

不安なことばかりの今の時代でも、私たち自身が私たちの世界で、平和に暮らし、音楽を楽しむという当然の権利があるということを、改めて実感させてくれる楽曲だ。

この曲は、今の世界のトップアーティストBTSが歌うからこそ、輝き、意味を持つ楽曲だと言えるだろう。

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