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冬のせいにしたい気もするけど単に冬のせいというわけでもなさそう

SUPER★DRAGONに出会って変われたんだと思ってたけど、増えただけっぽい。特段変わりたいと思ってたわけでもないしポジティブな自分って慣れなくて落ち着かないし、落ち込んでた方があーこれこれってなれるから別にいいんだけど。

誰?ってくらい漲ってる自分と全部諦めてる自分が同時にいて、スパドラの曲聴いてやってやるぞー!ってなってる自分とどうせ頑張るなんて無理だし私なんかが頑張ったところでっていう自分が同時にいる。どちらが主体かはその時々によるけど必ずどちらかがどちらかを少し離れたところから傍観している。

自分の機嫌は自分でとるとかなんなん。自分めっちゃ他人で困ってる。うまくいかない。自分が何故かすっごい不機嫌で自分でもどうしたらいいか分からなくてどうしようもない時とかあって、この場合どっちが自分なのかも分からない。手が付けられない、と思う。


職場の環境はこの上無いほど良いのに、駅まで歩けない日がまた出てきた。職場の最寄りまで着いてやっぱ無理だ、って引き返したりもしている。自分の意思で社会人になってまでこんなことをしている。環境を変えたくらいで私は変われないのだと絶望する。かと思えば今日の朝は電車に間に合うように寒い中を走りながら漠然と「生きなきゃ」と思っていた。本当に漠然と、急に、生きなきゃってパッと浮かんできて、わあ、動物すぎるだろと思った。え待ってジブリのヒロインみたいかもって思ったけど傍から見たらただ遅刻しそうなブスが鼻息荒くして走ってるだけだろうな。解散解散。

結局今の私の怠惰って実家、親っていういざとなったら頼れる場所があるからで、強く生きられないのなら早く初期費用だけ貯めて一刻も早く家を出るべきなんじゃないかとも思う。趣味にお金使わずにただ暮らすだけなら今の収入でもなんとかなると思うし。待って、今メール来たんだけど好きなアイドルはニューヨークに住みたいらしい。行かないで

最近好きになったアイドル(本人達とプロデューサーはアイドルと呼ばれたくないだろうけど私はめちゃくちゃアイドルだと思っている)が〈全然丁度よくなくていい〉とか歌ってくれて、泣いた。いつも丁度いいところの保ち方が分からない。仕事や人生へのやる気も、好きなものへの愛情も、人間関係の距離感も、物凄い前傾姿勢と無気力のどちらかにしかなれない。感動的なまでのゼロヒャク人間。

〈だりぃね!それでも楽しむ意味を探し求めてしまうから〉とも歌ってくれて、また泣いた。幸福論を追い求めることは時によってはとてもしんどい。自分も幸福になれるはずだと一度信じてしまえば、それが叶うまでずっと地獄な気がしている。でもきっと私はどんな環境に身を置いてもどこかマイナスな点を探して悲劇のヒロインぶるんだと思うよ、だって今が恵まれてることも分かってる。

この拡がる景色にエアプじゃいられないよなあ。


人と比べるなってさ、比べられたら自分が負けるから言うんでしょ。人と比べて上にいられる人が比べるなとか言ってるの見たことないし。社会では絶対的な評価なんて誰もくれないし、人と優劣をつけたときに優のほうにいられた時しか自分に納得できない。

私はこれを頑張ってるからって少し自分で自分を認められてたことってさ、普通にみんなもやってて、みんなはその上でドラマで見る青春みたいなやつを実生活でやってて、ただ私が不器用で生きるの下手なだけだった。フィクションだって現実で起こったことがあるからシナリオとして成り立つのであって、物語になれない私の現実のほうがフィクションみたいでウケる。薄汚い心のせいで受け取り損ねたものばっか。

正しい正しさとか勝ちの価値とかマジ聴き飽きたからもうちょい違うこと歌ってほしい

変わらない為に変わるんだってよく聞くけど変わりたくて変わってもよくね 

変わらぬ強さが欲しいのに、変わりたいと思うのは、ああ、いつまでも




あ、これ別にヘルプじゃない。いつもこんなん。吐き出しておかないと行き場がなく浮いていってそれに体もつられそうになるから。

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