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忘れられつつある地域の資源を甦らせたい!「関の浦再興プロジェクト」 vol.1


NPO法人イドバタの山田と言います。イドバタは主にまちおこしをするNPOです。今回は私が新たに挑戦するプロジェクトの話をさせてください。

まちおこしの拠点「箱」はこんな場所


年間50万人を超える観光客が訪れる父母ヶ浜

香川県の西部、三豊市の荘内半島にある「箱」地域。
浦島伝説が残る瀬戸内海に突き出た半島の一地域で、ニューヨークタイムズなど、世界のメディアに取り上げられた桜の名所の紫雲出山の近くです。
また「日本のウユニ湖」としてsnsを発端に一躍有名になった父母ヶ浜からも近く、年間50万人を超える観光客が訪れています。
花の栽培が盛んな荘内半島は、斜面の景観や瀬戸の多島美が美しい場所です。

しかし地域の高齢化と過疎化は進み、住宅の8割は空き家という状況です

この地域のまちおこし


私にとって「箱」は住民票の本籍地のある場所で、祖父の生まれた家がある場所。子どもの時は、毎年のように夏休みに訪れていた思い出深い場所でもあります。
しかし大学生や社会人になるとなかなか来ることもできなくて。
仕事で海外駐在を経て帰国後自分のルーツを確認するために「箱」の家に行「売物件」になっていました。それを見て、ただたださびしいなという気持ちになったのが行動を起こし始めたきっかけです。

その時は「何か」はわからなくて、でも「ここで何かしなきゃ」という想いでした。

その時所有者だった親戚からその家を買い、昔の面影をできるだけ残した宿泊施設に。この地に残る浦島伝説の玉手箱になぞらえて、「たまて」と名付けた


地元の漁師さんたちと「地域にこどもを呼びたいね」と話していてこれまで、日本財団「海と日本プロジェクト」という助成プログラムを活用して、地元の自然資源や産業を活用したお仕事体験プログラムも行っています。

海も山も近いこの地域は、体験としての環境学習にもってこいの場所。地域の産業や店舗の方の協力のもと、こどもたちには豊かな自然の体験を通して、地域の産業や資源をしり、またそこにある問題点に気づくきっかけにもなります。おしごと体験プログラムでは地域の資源を商品として価値をつくるところまでを体験できるようにシリーズで開催しています。


こどもが自分で企画した商品を実際に販売


いわゆる「地域おこし」や「賑わいづくり」は、ともすればその地域の方が置き去りになってしまうということもありますが、地域にとってマイナスになるのは嫌なので、「地域にマイナスになる時は自分の損失に、プラスになる時は利益があるように」を活動の指針にしています。

忘れ去られた荘内半島の隆盛の要、「関の浦」


平行して自分のルーツでもある地域の調査も進めていました。
その中で疑問に思ったのが「なぜこんなに辺鄙なとことに集落が」という疑問です。陸からのアクセスが不便な位置にある集落も視点を海に変えると見方が変わりました。

現在では陸路が主流になっていますが、少なくとも明治初期まで物流の中心は航路でした。その視点でみると荘内半島は物流の重要な拠点を担っていたことが分かったのです。


住吉丸 瀬戸内海民族歴史博物館蔵。江戸時代特に海運は発達した


特に荘内半島の一番先っぽの部分である「関の浦」は瀬戸内海に大きく張り出していて九州と近畿を結ぶ海上交通の関所となり、荘内半島のかつての隆盛の要となっていたようです。

半島の先から船の往来を監視する関所としても機能しており、関の浦に停泊し潮待ちの休憩場として商店で賑わっていたようです。
漁師さんによると昭和はじめまではその商店もあったとのことです。

関の浦には真水の出る井戸の痕跡も残っています。

昔は真水が取れていたという井戸。猪によって周囲が荒らされています。
瀬戸内海を九州と近畿を結ぶ道と見たら立ち寄りやすい場所に見える

しかし海上交通の視点では便利な場所であっても、陸を走る自動車が主要な移動手段になり、潮待ちや風待ちをしなくても進むことができる機関の開発により、陸路中心の世界になってきたことで、人の往来は減少し、「忘れられつつある場所」になってきてしまいました。
市役所にいっても「そんな場所があるんですね。」と認知さえされておらず、同じ三豊市に住んでいる人でも知らない、海ゴミの溜まり場になっていました。

森に囲まれた陸の孤島のような関の浦


陸路からの交通が遮断されたこの場所は、開発も全くされておらず、瀬戸内海の美しい自然が望める場所です。

忘れられつつある、荘内半島の隆盛の要だったこの場所を再興し、現代の新たな価値を再興して地域をもりあげたい!

そんな想いから「関の浦再興プロジェクト」を立ち上げました。


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