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4.【自由】そもそもアートとは


今回はイドが活動している「アート」そのモノについて記事を書く事にしました。


なぜかと言うとイド自身は活動休止期間にアート、
つまり芸術についてある程度は学んだのですが、

イドの周りや世間ではアートを「よく分からない」で止めている方が多いと思ったからです。


なので少しでも興味のある方にイドが人生の一部にするほどの「アートの世界」をお伝えして、
アートの魅力を体感していただこうと思ってこの記事を書きます。



【アートの概念】


まずアートをウィキペディアの通りにお伝えすると
「表現者あるいは表現物と、鑑賞者が相互に作用し合うことなどで、精神的、感覚的な変動を得ようとする活動を表す」です。



イドなりに言えば「自分の潜在意識を意識した感覚を伝えるため、作品として可視化する活動」です。


なので「この記事」を書くこともイドはアート活動であり、記事そのモノを作品と呼んでいます。


もう少しシンプルに言うと
「世の中のモノゴトを、人間というフィルターを通して発信する事」とも言えます。



ですのでイドは社会、経済、仲間、商品、感情など自然以外の「人が意識して表現するモノゴト」はすべてアートと思っています。


そして世の中のほとんどがアートになれるから「自由すぎて」アートはむずかしいとも言えるのです。

なぜなら何もない状況から
「答えのない事が答え」のアート活動に1人で向き合い、
ここまで。と言う終わりのない作品を自分の価値基準で世の中に表現するから、、



つまりアートは自分が納得したモノゴトを作品という意識で世の中に表現する活動です。

そこに終わりや正解はありません。自分がどれだけ追求して価値を感じれるかです。。。




それともうひとつ付け加えて説明すると、NATURAL HUMANの意識にもつながりますが、アートは「自分なりの生き方」そのモノともいえます。

そして「自分なりの生き方」をマンガのセリフみたいに言いかえると、

「自分の90%ではなく100%の答えを自分自身で決めろ!それが正解だ!」
「そして失敗や成功から学んでまた挑戦し続けろ!」

という世界観で進む人生の道から
途中で必然的に生まれる「何か」を制作している活動がアートとも言えます。


まあアートは自由そのものなので作品になればなんでも良い。とも言えますが
信念を持って「これがアートだ!」と宣言できることが1つのルールなのかもしれません。


今の話につけ加えると、
世の中にとって「悪いこと」もアートと言わざるを得ませんが、イドはそれを進めたいわけではない事も伝えときます。

そんな悪かどうか「ラインの見極め」としてはダミアンハーストというアーティストが
動物の亡き骸をホルマリン漬けにして「生と死」がテーマの作品をつくっているのですが
ここら辺がだいぶ攻めてるラインになってくると思います。

動物をもてあそんでいれば悪になり、
作品としてメッセージを伝えるためならアートになるのかもしれませんが
少なくともダミアンバーストはホルマリン漬けの作品や、蝶をきれいに並べた剥製の作品に何か伝えたいコトがあってつくっているのです、、


そんなアートは既存の世界観や固定概念を動かして新たな発明をつくることでもあるので、
これくらいのラインを攻めないと発明はできないとも思っています。


要するに「やりすぎ」や「やらなすぎ」を知り、「自分なりの基準」で世の中のラインを見極めた表現が発明レベルの作品をつくる「カギ」になるでしょう。




それから最初の方でお伝えした
「人が表現するモノゴトはすべてアート」とは言いますが、

村上隆さんやダミアンハーストの様な方が活動されている「ハイレベルのアート界」を知るとある程度のルールがあって、
「なぜつくるのか」という作品に対する明確な意識が必要になってきます。


なぜなら表現そのものは自由ですが、それを世の中に伝えたい。となると「伝え方」も重要になってくるからです。

もちろん人間には価値観の違いがあるので万人に伝えるのはむずかしいと思いますが、
少なくとも「製作者がどう意識して活動しているか」を発信する作業も必要になってきます。


要するにモノゴトすべてはアートになってしまうので、ハイアートの世界で活動するなら
自分なりの「つくる理由」を明確にすることが発信やアート活動での成功につながると思っています。



ここまでの話しをまとめると。

・アートは自由に表現した作品という名の「モノゴトそのもの」

・自分なりの「作品をつくる理由」を明確にして表現する活動が「ハイアート」

・「何か」をつくる事自体は自由なので、その自由に表現した作品は「ロウアート」

、、とイドは思っています。


そしてハイアートとロウアートをうまくつなげて活動できる人がアーティストを長く続けられる。とも思っています。




【現代アートの価値】


続いてはピカソの作品に始まり、村上隆さんやダミアンハーストなど有名なアーティストの作品になぜ高額な価値がつくのか。についてイドなりにお話します。


そもそも作品をつくる事に明確な意味や価値なんて必要ないのですが、「なぜつくるのか」というアーティストの作品と向き合う理由や
鑑賞者の「絶対に欲しい!」という感情がトッピングされると需要が生まれて作品に価値が付きます。


ですので「何でこんな作品が数億円もするの?」と言われるような作品もアーティストによる「表現の価値観」が個性的で面白かったり、水面下では「世の中のため」になっているからです。


そして鑑賞者の中には高級車や時計の様に資産としてとらえる意識がある方も居たり、
アート作品は節税的な面でも役立つので資産家の世界ではアート作品が投資の対象として取引されるからです。


もちろんイドはそんな資産や投資の対象として作品を購入される方も歓迎します。

なぜならその理由で購入するには「これから上がるのか」という見極めとしてアーティストや作品を知ることにもつながるからです。

純粋に「なんか欲しい!」も感情的で嬉しいですが、それに加えて「イドのこんな理由に共感できるから欲しい」と言われることも嬉しいのです。



それから今話したようにアートは純粋に鑑賞時の作品そのモノから感じるエネルギーを体感できる映画のような面白さがあります。

イドがそのエネルギーを感じた作品は「ジャクソン・ポロック」や「ルーチョ・フォンタナ」というアーティストです。

2名とも初めは画面越しで作品を見たのですが、その時から「なんだこれは!?」という風におどろいた覚えがあります。


今まで見たモノを自分なりにくずして具象的に描く事しかしていなかったイドは抽象画や概念というカタチで表現するアーティストに夢中になったのです。


そして2人の作品を一部だけ実際にみる機会があり、やはりすごい。。と体感したのでそんな面白さがアート作品にはあります。


つまりアート作品には「純粋に」感じる鑑賞方法と、「どんな理由で作品をつくっているか」を知ってから感じる鑑賞方法があるので奥が深いのです。




それから有名な作品の価値が上がり続ける理由として、「欲しい!」と思っても1点モノには「市場」がないので、販売者が言い値で1億といえば1億なのです。


なので本物は高いから似た様な作品を「そんな感じ」で1点モノとしてつくる。という事もできますが、
やはり作品に込める「制作者のエネルギー」が本物にはあるので言い値がどれだけ高くても欲しい人はいるのです。



しかしなぜ製作者のイドがアート作品に対してそうとらえる事ができたのかというと
大まかに言えば「芸術とは」を学んだことになりますが、
ハイアートの世界を面白く思える様になったキッカケは「芸術企業論」の本や
「アートのお値段」というドキュメンタリーをみたからです。

そのドキュメンタリーを見た時に「アートとビジネスは水と油、割り切って料理するように考えないと」と思ったのです。



ですので作品の制作中は自由に「自分なりに表現する活動」に100%意識を向けて制作して、

作品を世の中に伝える時には「なぜつくるのか」という理由や「どう伝えるか」の意識を100%にして表現しています。



そんなハイアートの世界で生活する鑑賞者の中には自由にお金を使っても資産が気にならないくらい多く持つ方が本当に居て、
人生を楽しむために色んなモノゴトに大金を使っています。


「楽しむためにお金を使う」という意味で大金は関係なくはみんな同じかと思いますが「規模や感覚の度合い」がすごいのです。。


そんな感覚の方が人にお金を使う時、アーティストというのは「自分なりの生き方」のプロとも言えるので
個性的であればあるほど「会いたい」「どんな作品をつくっているのか知りたい」という思いを持っていただき、

実際に話してみて生き方が面白くてこの作品が「欲しい!」と思われた時に、手に入れるためならいくらでも出すりと言っていただける世界があります。


なぜそう信じれるのかというと、
あなたの大好きな有名人が世界に1つしかない限定の作品をつくったとしたら値段を気にしなければ「絶対に欲しいと」思いませんか?


これが有名なアーティストの作品が数億、数十億でも交換される理由なのです。


そして日本の有名な方でも楽しいことに使えるなら100万は普通に出す。と実際に言っている方がいらっしゃったり、数百万、数千万、数億を自由に使える方は存在すると思うので
「会えて気に入っていただければ」言い値で作品を購入していただけるチャンスはあるのです。


それから「こんなアーティストの作品が3億で売れた!何でだ?こう言うコトをしているからか!面白い!他にも買える作品はないのか?」
と思った時にその作品が300万、3000万といわれるとお買い得と感じてしまいますよね。


その感覚がイドも含めて人にはあり、本当にその値段で購入できる方同士の競合いがオークションで行われているのでピカソや有名なアーティストの作品にとんでもない値段がつくのです。


なのでアーティストが作品を高額で販売したいのであれば「作品を自由につくる事」と、「自分なりの価値を見出す活動」も必要なのです。




【アート活動とイド】


そしてイドはハイアートの世界を知り、
「成功しているアーティストがどの様に活動しているか」を学んだことでアートについて2つの向き合い方を意識する様になりました。

それが
・今まで通り作品を自由につくること

そして
・なぜつくるのかを意識して活動を明確に伝えること

です。


「自由につくること」に関しては、日本人として「和」の感覚を表現するスタイルを意識して。

「なぜつくるのか」に関しては、アート活動人として「NATURAL HUMAN」の意識を必要な人に伝えて世の中のストレスを少しでもへらすためです。


そして第1の目標である「潜在意識を意識するアート庭園」の実現に必要な今以上の知識、仲間、資金をつくるために
作品、人徳、ブランドのレベルを上げながら必要な場所に発信して、
50才までに目標を実現するアート活動を行っています。


その先はもちろんテーマを通じてアート庭園の空間からはじまる新たな作品をつくり続ける予定です。


これがイドのアート表現であり、生き方です。


ピカソはキュビスム、村上隆さんはスーパーフラット、という概念をつくりました。

ですので現在イドは「ナチュラルヒューマン」という概念で潜在意識を意識する
「抽象的な感覚のモノゴトを具象的に抽象画として表現する」作品をつくっています。


あとは今以上に作品の質と価値を明確にして活動の実績をつくる事で、
ピカソ、村上隆さん、ダミアンハーストと同じハイアートの道を進めると思っています。



つまりイドは「お金持ちになりたい!」というキッカケから、


趣味で描き続けていた絵の表現で「ピカソのような作品をつくればお金持ちになれる!」という理由でアート活動をはじめて、


活動を続けていたら「なぜつくりたいのか」という理由にたどり着いてハイアートの世界を知り、


今ではハイアートの世界に続くためのセルフブランド活動を行っています。


そしてある程度の準備ができ次第、「絵の」表現を再開して「精神と時の部屋」に入る以前の活動に戻る予定です。。。





【アートの歴史】


アートの世界。いかがでしょうか、

最後に世の中の「現代アート」がどのようにして今のカタチになったのか、アートの歴史を通じてイドなりにお伝えします、、



、、、それはマンモスの狩猟があったとされる数万年前に、動物の生活を残す純粋な表現からはじまったと言われています。



その後に続く歴史は不明ですが、
数千年前の縄文時代のころ、そして古代エジプトの時代には王の権威を表す装飾品やネフェルティティという胸より上をカタチにした立体像や

ギリシャの時代では哲学者達が美術を「どれだけ美しいか」という風にとらえて「ダビデ像」の様な肉体美が強調した立体物の表現が多く生まれます。


そして西暦1年の前後の時代で絵は文字以外で人に伝える手段になります。


そこでローマ帝国、キリスト教では文字の読めない人に向けて製作者が描く神話や宗教の絵を見せて価値観の共有を行っています。

ですのでこの時代の作品には物語の表現として似たような人物が描かれている作品が多く生まれます。


つまりこのあたりの時代は絵描きは描きたいから描く。というよりは依頼されて描く技術者のイメージが強いです。




その後、西暦1300年ごろには宗教絵画にとどまらず、ルネサンス美術という「モナリザ」「ヴィーナスの誕生」の様な、「そこにあるモノや人」の美しさを描く技術者の自由な作品が生まれます。



そして西暦1600年ごろにはパロック美術という「レンブラント」という人の「夜警」や「フェルメール」という人の「真珠の耳飾りの小女」の様な色の使い方を意識して画家の個性を作品に強調するオリジナルの技法が生まれます。


しかしまだ「絵を描く」という活動は王族、貴族、教会の依頼によって描かれる肖像画の作品が多かったのです。

ですので少しでも依頼者の気にくわない作品をつくれば仕事をうしなうようなギリギリの画家も居れば、
ダヴィンチの様にある程度自由に描かせてもらえる画家もいました。



その後、西暦1800年ごろ
「サン=ベルナール峠を越えるボナパルト」というナポレオンを描いた有名な作品が生まれる新古典美術の時代には

社交場、評論家、画商の誕生により、依頼者と技術者以外の関係者ができて美術とはこうあるべきだ。という統一性を意識する作品の評価がはじまります。


そして「民衆を導く自由の女神」という戦争の風景を描く作品の様に、
統一性に疑問をもつ画家により、自由な感性による「社会の仕組みに向けた反発心」「自然などの豊かな意識」「情熱的や冷淡な感情」などの技術者の主観的な作品も多く生まれます。


つまりここら辺で「アーティスト」という概念が定まってきたと思います。




その後は絵具チューブが生まれた事により、外で自由に絵を描ける事から、モネやゴッホといった印象派の様な「新たな描き方」による絵画制作の自由度がさらに上がりました。


そして印象派に続き、西暦1900年代にはこれまで「世の中のモノゴト」を描いていた表現から「ムンク」の様な人が表現主義という表現者の内面を強調する描き方が主流になります。


その時にシュルレアリスムという心理学の要素で人間の内面そのものである「非現実世界」を表す「ダリ」の様な作品も生まれます。



ここら辺から表現者が覚醒して、作品に制作者の意味が付くようになってきたと思います。




そして「ピカソ」と「ブラック」によるキュビスムといったモノゴトをそのままのカタチで描かなくても良いのでは。
という内面の表現を進化させて「自分なりの概念」を持った描き方が生まれたのです。


もうここら辺からは「アート作品ってよく分からない」と言われても良い表現になっています笑



「デュシャン」も1912年あたりに泉という「男性用の小便器にサインを書いただけの作品」を発表しています。

そんな泉をキッカケに「アートとは」という疑問が再認識されて表現の自由度が広がりました。



そして「カンディンスキー」にはじまり、1940年頃には「ポロック」といった何かを描くよりも絵の具を「たらす」「のせる」といった抽象表現主義が生まれて、
「絵画とは媒体にすぎず、重要なのは製作者、鑑賞者の世界観である」という個性ある概念が生まれます。



ここら辺の作品は圧倒的なエネルギーを感じれるので鑑賞をオススメします。


モナリザやミケランジェロは美しい、
ピカソやマチスは素晴らしい、
ポロックやフォンタナは圧倒的、って感じです。



それから、第二次世界大戦後の西暦1950年以降はアーティスト自身の視点でつくる様々なスタイルの作品がふえたため、
アートに関わっている人の間では「アートかアートではないか」の判断基準があいまいになってきます。



そしてアーティスト自身も「芸術」を深く知らないがゆえに
その分野に立ち入っていることにも気づかない場合が多い世界になるのです。



ですので今の時代に生まれる作品すべてを「現代アート」という風にとらえる事が多く、その中でどんなアート活動を行うか。が重要になってきます。



それから1960年代には「ウォーホル」がキャンベルのスープ缶を発表して大量生産、大量消費社会がテーマのポップアートという概念が広がります。


その時にウォーホルは工場という名のアトリエで芸術労働者を雇い、シルクスクリーンの作品を大量制作する。といった、「アート作品の制作」に関する概念を更新します。


それは西暦のはじまりに宗教絵画を多くの技術者によってつくっていたローマ帝国の時代に似ています、、



そして村上隆さんやジェフクーンズも多くの芸術労働者を雇い、アート表現のスピードと広さをふやすような活動をされています。

この活動には賛否両論ありますが少なくとも「アートとは全てであり、自由でもある」事には変わりないとイドは思っています。




そんな2023年の現代は絵画や抽象表現にとどまらず、チームラボのような空間で表現する作品や、NFTといったWeb世界の作品が生まれます。


つまり現代のアートは絵を描くことに限らず、モノをつくる、コミュニケーションでつくる、空間や世界をつくる。という「何かを表現する」活動を意味します。



以上のようにアートの歴史をみたイドは
これからの時代は制作者だけの概念を表現するよりフラットな場になる、
だから鑑賞者もふくめた「個人の意識」という人間そのモノに存在する概念、
つまり「潜在意識の世界」を表現してアートの時代を進もうと意識するようになりました。


なぜなら大衆化するアートがこれからどこに向かうのかと思った時にアートとは自分なりの生き方を表現する「すべて」なので、
「自由すぎて」周りに意識を向けがちな情報社会の現代には「本当の生き方」をつくるNATURALなHUMANという「人そのものに方角を向けたアート表現」が必要と思ったからです。



ですので「潜在意識」「意識」「生き方」「人間」「個人」といった人に関するワードがイドの言葉には多く現れます、


しかし上記のワードは人に関した「当たり前なコト」なのですでにみなさんは行動できています、
ただイドがアート表現として伝えたいコトは
「今以上に人間の秘められた可能性を意識してみませんか?」という内容です。


イドはアート活動がキッカケで、自分を以前以上に意識したことで「なんか今日は上手くいかなかったな」というネガティブな日がなくなりました。



要するに本当にやりたいコトをして自分なりに生きているからネガティブな事、つまりストレスがへり、
そんなストレスがへる人がふえる事で相乗して世の中のストレスもへる。
と信じているので「潜在意識を意識」がテーマになる時代のアートが必要と思い活動しています。





【アートの結論】


もう「アートとは」について答えを知ることが出来たのではないでしょうか。


広い意味の結論は
「現代を生きる表現者がつくるモノゴト」です。


それは絵画や歌にはじまり、「そう意識すれば」商品やコミュニティもアート作品になります。



そしてピカソの様な作品が居る世界では
「なぜつくるのか」という理由を持った人のつくる作品がハイアートと呼ばれます。


このハイアートの世界にイドは魅力を感じて、現代を生きる村上隆さんやダミアンハーストの様に「面白い」作品をつくり、
NATURAL HUMANというブランドを通じて「世の中のストレスを少しでもへらす」活動にも繋げる。というアート活動の進み方を意識しています。


つまりアートとはモノゴトそのモノであり、製作者、鑑賞者などの「誰が言うか」で内容が変わる「空気をつかむ」様な活動のコトです。


あなたがアートと思えばそれはアートなのです。


そしてアートに限らず人生のモノゴトも「そう思えば」そうなのです。



イドはそういう風に潜在意識を意識して今日も「NATURAL HUMAN」のアート作品をつくります。




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NATURAL HUMAN『潜在意識を意識』
アート活動人「I°」(イド)

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