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道端の泥まみれのハンカチがたまらなく悲しい(2022/07/05火)

道端に落とし物のハンカチが落ちていた。
雨に降られたのか、心無い通行人に踏みつけられたのか、放置されたハンカチは泥まみれになってしまっていた。

こういう落とし物を見かけるとたまらなく悲しくなる。
持って帰って綺麗に洗ってあげたい気持ちも無いわけではないけど、勝手に持ち去ったら普通に犯罪だし、万一持ち主が拾いに戻って来たときのためにも動かすわけにはいかない。

結局余計なことはせずにその場を後にした。
ハンカチに印刷されたキャラクターが泥まみれになろうとも笑顔を絶やさずにいるのが余計に悲しい。どうにもできなくてごめんなさい…。

こういう「モノに対する憐れみ」って不思議だ。

付喪神とかアニミズムとかそういうものを本気で信じているわけではないんだけど、最期まで使命を全うできずにボロボロになったりしたモノを見ると「気の毒だなぁ…」という気持ちが芽生えてくる。

モノに意思や気持ちがあるかないかで言えば「まあそんなものは無いんだろうな」と思っているが、一方で「でも無いとは限らないしな」という思いも確かにある。
(モノだけじゃなく、動物や植物にヒト同様の自我があるのか?という問いにも似たような考えを持っている気がする。)

こういう妄想じみた「もしかしたらあるのかもしれない」が心に根付いているのは、「動物やモノが人間には秘密で意思を持って自由に行動している」という趣旨の創作物にたくさん触れてきたからなんだろうな。

有名なので言えば「トイ・ストーリー」とか「とっとこハム太郎」とかがそれにあたる。多分、小さい頃に読んでいた絵本なんかにもそういう内容のものがあったはず。

考えてみれば、これは「動物やモノの意思」が「人間には秘密」という作品に限った話ではないのかも。
「アンパンマン」や「きかんしゃトーマス」などでは動物やモノが堂々と自我を持ってヒトと会話しているけど、こういう作品に触れてきたことで「そういう世界もある」という感覚が育まれたのも影響していそうだ。

終わり


(蛇足)

モノに自我があるタイプの作品によくあるこういう展開(下記)が結構好き。

・大切にされてきた道具が手違いでゴミ捨て場に紛れ込み、ゴミ捨て場の先客たちに「お、新入りか。」「残念だけど、お前も俺たちと同じで『不要品』だったってことだ。」「今頃お前の元の持ち主は新品とよろしくやってるぜ。」みたいな言葉をかけられるが、「そんなことはない!きっと探してくれているはず!」と持ち主のもとに帰ろうと奮闘する展開。

こういう展開の作品の具体例は思いつかないんだけど、なぜか「よくある展開」として認識している。この記事を見た人にこういう展開が本当にある作品の心当たりがあったら教えてくれたら助かります。

美味しいご飯を食べてあったかいお風呂に入ってぐっすり寝ろ