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【設立50周年を迎えた(株)日本開発サービス】「世界をつむぐ一本に」を合言葉に次なる50年を目指す

開発協力業界で独自の地歩を固めてきた(株)日本開発サービス(JDS)が設立50周年を迎えた。翻訳・通訳、印刷業からスタートし、1990年代から政府開発援助(ODA)のコンサルティング部門に参入、成長を加速させてきた。その足跡と変遷、そして次なる挑戦を展望してみた。



挑戦と試行錯誤の半世紀

生き残りをかけた日々

 日本開発サービス(JDS)は2023年10月20日、都内で「設立50周年記念式
典」を開催した。半世紀にわたり、さまざまな領域に挑戦し、試行錯誤を続けながら業務の裾野を拡大してきた同社らしく、会場には開発協力業界を中心に多様な世界の関係者200 人以上が集った。国際開発ジャーナル社と所縁のある懐かしい顔ぶれも多く、参加者にとっても近況を語り合う貴重な式典になった。
 冒頭挨拶に立った沢田勝義会長は、1978 年の入社からこれまでの歩みを回顧し、翻訳や英文タイピング、印刷などの仕事がメインだった「黎明期」をふり返るとともに、政府開発援助(ODA)への参入を一つの契機に徐々に「発展期」に入っていった経緯を回顧した。ODA 事業への参入当初について、沢田氏は「新規参入の壁は高かった。当初は簡単な調査ものなど小さな仕事を必死にこなした」とし、明日、明後日をどう生き残っていくか、この思いを抱きながら試行錯誤を続けた、とふり返った。ODA 分野は今やJDS 事業の大きな柱になっているが、沢田氏はその成長を支えた幅広い専門家、そして関係の深い国際開発センター(IDCJ)と海外コンサルタンツ協会(ECFA)の支援・協力に強い謝意を表し、挨拶を終えた。
 続いて登壇した髙野修一代表は、企業の生き残りをかけて試行錯誤を続けた沢田会長、その後を継ぎ、人材育成のためJDS の若手社員に活躍の機会を与え続け、コンサルティング事業の成長を支えた澤田典也前代表の労をねぎらい、「失敗してもチャレンジを続けた先達の姿勢に学び、微力ながら次の10 年、20 年に向けてチャレンジを続けていきたい」と挨拶した。髙野氏の代表就任は2020 年10 月。最初の仕事はコーポレートスローガンの改訂を担うタスクフォースの立ち上げ。徹底した議論と検討の結果、新しいスローガンは「世界をつむぐ一本に」に決定した。髙野氏は「私たち一人ひとりは世界をつむぐ一本の糸。どんなに小さな仕事でも世界の未来につながる最高の仕事をするという決意を込めた」とし、「世界中のパートナーの止まり木になっていただけるような会社にしたい」と結んだ。

 JDS を「開発協力コンサルティング企業」としてだけで捉えるのは難しい。翻訳・通訳、英文タイピングなどの仕事からスタートしたという、その成り立ちからして社名にある「サービス」の裾野は広く、むしろ誰もやろうとしない領域にビジネスの匂いを嗅ぎとり、そこにサービスを提供すべく開拓に取り組んできた50 年だったからだ。ODA 事業分野に参入し、本格化させていったのは1990 年代半ば以降だ。
 JDS の事業領域は、①調査/ コンサルティング、②海外ビジネス展開支援、③海外留学生研修/ 受け入れ支援、④技術人材海外派遣、そして設立時から続く⑤翻訳・通訳・印刷、の5分野と広い。コンサルティングでは、大学や研究機関向けのSATREPS(地球規模課題対応国際科学技術協力プログラム)コンサルティング、また人材派遣分野では大学や医療機関、行政機関向けにPCM 研修講師などを派遣しているのは注目されよう。
 ODA 分野における取り組みは、同社の成長と発展につながっていったが、本誌がJDS のODA 貢献を見る時、常に浮かぶのは「カイゼン」「留学生無償」「産業振興・中小企業支援」の3つのワードだ。


設立50周年記念式典に出席したスタッフたち


「カイゼン」の普及に貢献

 沢田勝義氏が代表についたのは1990 年。ODA 参入当初は“実績主義”の壁により、短期間の調査や情報収集などの簡易な仕事が中心であったが、専門家らのネットワークが徐々に整備されるにつれ、大型案件に対する参画の道も広がっていった。
 JDS の記録によると、本格第一号案件としてミャンマーの民間提案型知的セミナー(中小企業振興のための人材育成)(1999 年)、無償第一号としてグアテマラの職業訓練センター機材整備計画基本設計調査(2000 年)、民活型の技術協力プロジェクト第一号としてアルゼンチンの情報処理研修センター・アフターケアプロジェクト(2002 年)などメモリアルとなる案件
を相次いで受注した。
 2006 年に受注したチュニジアの品質/ 生産性向上マスタープラン調査(第1 年次~3年次)は開発調査第一号となった。品質/ 生産性向上に向けた取り組みは、専門家派遣、技プロとスキームを変えながらもその後、エジプト、アルゼンチン、そしてエチオピアなどへと広がっていった。
 特にエチオピアについては「品質・生産性向上(カイゼン)普及能力開発プロジェクト(第1~第2フェーズ)」、「品質・生産性向上、競争力強化のためのカイゼン実施能力向上プロジェクト(第1 次~第2次)」、「企業競争力強化のための包括的支援体制構築プロジェクト(2021~)」を受注。エチオピア政府が2011 年に組織化した「エチオピア・カイゼン機構(EKI)」を中核に民間と公的セクターで活動を実践できる産業人材の育成を支援している。2015 年にプロジェクト実施機関の「工業省」と「EKI」がJICA 理事長賞(事業部門)を受賞したことは記録しておかなければならない。

留学生無償と中小企業振興

 沢田勝義氏の後を継いで澤田典也氏が代表に就任したのは2008 年。その頃のトピックとして注目されるのは、2011 年にガーナ向け人材育成奨学計画(J DS)、いわゆる留学生無償を受注したことだ。
 この制度は途上国の若手官僚の育成を目指し、無償資金協力により彼らを留学生として受け入れ、日本の大学院でそれぞれ専門知識を習得。帰国後は、各国の政府中枢で課題解決に向け活躍してもらおうという代表的な人材育成事業だ。開始は1999 年度。(一財)日本国際協力センター(JICE)が一貫して実施代理機関として事業促進にあたってきたが、民間勢としてJDS が“突破口”を開いた形だ。
 ガーナを皮切りに、スリランカ(担当は2014 年~2017 年度)、ネパール(同2020 年~現在)、さらにエルサルバドルと実績を積み上げており、受け入れ人数は284 人(本誌集計/2023 年10 月末現在)。加えて2023 年9月には大洋州14 カ国(受入予定30 人/ 年)、インド(同9人/ 年)のJDS事業を受注。2023 年度は準備調査、24 年度から第一期の募集・選考を開始する。
 産業振興分野はODA 参入初期から得意とする分野であったが、中小企業を含めた民間企業の海外展開支援でも粘り強い取り組みを続けている。JDS はそれまで培った途上国・地域での経験とネットワークを駆使し、職業訓練・産業育成、情報通信、農業、廃棄物処理、環境など幅広い分野で海外展開支援サービスを実施した。今後ともJICA 制度にとどまらず、民間ベースに立った独自の展開支援にも積極的に取り組んでいく方向だ。

 挑戦と試行錯誤を繰り返し、ビジネス領域を開拓してきたJDS の50年。この基本姿勢を見失うことなく、JDS は次なる50 年を目指していく。



JDSの緊急難民支援プロジェクト

IT スキル研修を通しウクライナ避難民の生活を支援
「ポーランド日本情報工科大学を通じたウクライナIT 人材育成に係る情報収集・確認調査」

神崎 博之氏

 設立から半世紀を迎えた日本開発サービス(JDS)。その大きな節目の年
に、ポーランドに逃れたウクライナ避難民の就労・生活安定を目指した案件の実施にあたっている。国際協力機構(JICA)がファストトラック適用案件
として発注した「ポーランド日本情報工科大学を通じたウクライナIT人材育成に係る基礎情報収集・確認調査」である。
 ポーランドで避難生活を送るウクライナの人々は約100万人。そのほとんどは女性や子供、高齢者たちで、避難生活の長期化に伴い、就労と生活の安定化が大きな課題になっている。支援案件を検討していた日本側関係者は、かつて日本が援助した「ポーランド日本情報工科大学(PJAIT)」の存在に着目。その教育機能を活用したITスキル研修は効果的な支援になるのではないか、と本案件の形成につながっていった。JICAと業務実施契約を結んだのはJDS。高等教育とIT分野の支援実績が大きく評価された。
 JDSチームメンバーは4人。総括の調査部主任研究員の神崎博之氏による
と、業務の柱は①ITスキル短期研修の実施、②本調査を踏まえた来年以降の支援内容検討・提案、の2本。ITスキル研修の開始に向け、チームはワルシャワ市役所や避難民支援にあたる複数の現地NGOと連携し、アンケート調査などのサーベイを実施。その結果をカリキュラムなどの策定に反映した。IT研修では①Excel、②WordPress、③Pythonの3コースが設定され、今年7月17日からそれぞれ1~2週間の短期集中プログラムを実施した。神崎氏によると、アンケート調査などで研修ニーズを探り、コース設定に反映すると共に、IT研修を行う現地NGOとも連携。今回の短期研修を修了したら、NGOが運営するアドバンス・コースに参加できるといった工夫が凝らされた。
 修了式は8月11日に行われ、最終的に86人に修了書が渡された。受講者の大半は30~40歳代の母親。「マスター取得者も多く、教育レベルの高い方々が中心。ITスキルを活用すれば在宅でできる仕事も多く、生活安定への道が広がっていくと思う」と神崎氏は話す。今回の情報収集・確認調査は終盤を迎えており、来年度以降の支援計画のあり方を焦点にJICA・PJAIT・JDSチームの三者間で協議・検討が進められている。IT人材が不足するポーランドや日系のIT企業などにも参加を仰ぎ、本格的なIT職のための実践的なコース開発なども検討されている模様だ。
 長期化するウクライナ戦争。いつ国に帰れるのか、先行きがまったく見えない中、お金や言葉など生活上のさまざまな問題を抱え、メンタル不調に陥る避難民も多いと聞く。「ていねいで、寄り添うような支援を続けていく必要がある」と話す神崎氏。今回生まれた“芽”を大きく広げていく取り組みが期待される。



【Column】 設立50周年記念 富士山登頂プロジェクト

「日本で最高」の「日本一の仕事」がしたい!
 設立50周年の年に「日本で最高(一番)の仕事をするために、日本最高峰からの景色を見にいこう」。こんな思いからJDS社員有志が企画・実施した「富士山登頂プロジェクト」。提案者は産業振興を専門とするメキシコ国籍のウェルタ・モイセスさん。「成果を出すためには万全の準備が大切」と、
実施体制と担当を決め、登頂を目指した。
 日本最高峰を目指したのは2023年7月25日から26日にかけて。4班に分かれ、それぞれの班長の下、天辺に向かった。参加者は30人。子供同伴の人も。山梨側からの「吉田ルート」を綿密なスケジュール管理にもとづき登っていった。
 途中、登頂を断念した人も出たがそれでも多くの社員が富士山頂上からご来光を仰いだ。その光の中に10年先、20年先のJDSと自らの人生の夢、目標が見えただろうか。


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本記事は国際開発ジャーナル2023年12月号に掲載されています
(電子版はこちらから)

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