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罪悪感の根っこ
久しぶりの更新〜。
皆さま、お元気でしょうか?
最近、ウロコ外れっぱなしなんで、それを、まとめとこうとおもいまーす!
突然ですが、わたくし、ほーんとみなも驚くほどの罪悪感大魔神でしてね。
『え〜っなんでこんなに罪悪感出ちゃうん?』って感じだったんだけどー、その根本的理由が最近顕になったんですー。
それって、単に自分に対して厳しすぎる。理想高すぎる。という、かなり自分にスパルタしてる産物だったという感じなんですが、結構その奥行きがありましてな。
要は、なんで、理想高いか?とか、自分にスパルタだったか?とゆーこと。
んで、私の場合は、自分が人から愛されるためにそうしてる部分が大半だったですねー。
逆にいうと、そうしないと愛されない。ということ。でもあるし、
もっというとそのままの自分じゃ人から愛されない。価値がない。ということでもあるし、
そして、これは生きてくためでもあったんですねぇ〜。
これは、幼少期にそのままの自分であることを禁止される体験が多くて、存在の安全性がかなり欠如していたからでもあるんだけどね〜。
だから、かなり奥深い〜。
でもね、ほんとに愛を注いで欲しいのは、他人からじゃなくて自分からだったりするから自分で自分にいじめしてるみたいな、なんとも不毛な状態になっていたのでした〜
くぅ〜っ!もどかしい〜よね〜
私は、過干渉の親に育てられるという家庭環境を自ら選択して生まれてきてるので、幼少期から自分がありのままで受け入れられる安心な場所を自分の犠牲なし(親が求めてくる子供像を提供する)に得られなかった環境の部分がそれには起因してたりしています。
だから、かなりオートマチックに勝手に理想化した自分を演じるスイッチはいっちゃう感じに仕上がっててさ、デフォルトになりすぎててほんと当たり前すぎて気づけないんよな〜
ほんと匠の技〜!
この罪悪感の存在にはもう数年前から気づいたりはしてて、それなりに自分を認めたり、大事にしたりはしてきてたんだけど、今の位置からよくよく見てくと大事にしてた、つ、も、り、やったやーん。という風に見えるのよな。
自分の頭の声、自我の声って、結構何層にもなっててるっぽくて
今思えばずっと自分に批判的な声かけてたじゃーん!って思うんだけど、当時は気づけなかったみたいなことある〜
ベール被ってた的なかんじ〜
そう。だから、かなーり深いところで、still自分のことダメ出しし続けてたというか、理想の自分を掲げて正負をつけて判断して褒めたりダメ出ししたりしてた。みたいなこと、毎日やってたのよな〜
理想の自分、すなわち背伸びした自分を
自分だと思い込んでたんよ〜
そりゃ苦しいよね〜。
そのオーバーラップしてる自分を自分にいかにピッタリ重ねられるか?
みたいなことが、ほんとに癒しになる
言葉でいうとほーんと簡単になっちゃうけど、実際にやるのは一筋縄じゃいかんよなぁ〜。
で、この理想の自分になるがごとく、理想から外れたらムチで叩くみたいなことしてたんだけど、そのジャッジメントの基準って理想の自分に対して正か負か?で、
理想の自分を基準にジャッジメントしていく感じになってるじゃん?
んで、この自分の理想という自分ルールなんだけど、
魂自体が永年請け負ってきた決まり事ももちろんあるけど、
かなり大半は小さい頃に培った人間関係を基盤としてできてるものが大半だったりするんだな〜というのが自分を見ての感想。
わたしは、この半年ぐらいタイから帰ってきて実家で生活してたんだけど、そこで自分が自分に課してたルールの根源を結構たくさんみたのよね。
んで、そーゆールールにぶち当たるたびにそれは親のルール。というふうに線引きしてきたの。自分のルールと親のルールを選別する感じ。
ほんと、もうね、すごいたくさんあった!😂
うちは、過干渉だったし、親自身が自分の問題と他人の問題を混同して理解できてない部分があって、なおさらすこぶる多いってゆーのあるけど。
ちなみに、こうやって過干渉して育てられるとシステム上自尊心って育たない構造になっちゃう。
だから、なおさら親の言うこと聞くしかなくなる。みたいな悪循環みたいなところあるんよな。
自尊心、自信、生命の灯火。
やりたいことを押し込められる環境は、こういう人間が生きていく上で大切な火のエネルギーを弱くするの。
だから、自分を表現する、意見を表明していくとか、のときエネルギーが弱くなる。
これは人間だけじゃなくて、社会もそうで。
だから、ルールが多い社会は人間のやる気とか情熱を削ぐみたいなところあるよね。
そう、で何が言いたいかと言うと、罪悪感あるところにジャッジメントあり。なんですぅ〜
んで、ここでいうジャッジメントは、自分にムチでバシバシすること〜
自分しばいてるんです〜😂
だから、どんな自分をバシバシしてて、どんな自分をダメ出しして、許してないのか?をみていくと、そこには無意識に発動してるルールがあるし、
それができない自分にオーケーを言ってあげれば、だんだん癒されていくし、
というシステムになっておる。
これを感じてから、わしゃとりあえず何がどうとか関係なしに自分にオーケー言いまくってるんだけど、
これちょっとやるだけで、自己肯定感まじ上がるんよ。
ちなみ、怒りあるところにジャッジメントあり!でもあって〜
だいたい、ムカつき散らすことって、自分が禁止してることを他人がやってたり、自分が嫌だと思っていることを他人がやってたりしてて。
そこに反応するってことが多いので、そーゆー時も、自分にバシバシしてるポイントってゆー禁止してるルールがあると思う〜
そーゆー、禁止にしてる事項にオーケー出してったり、そこまでしなくても、怒るほど嫌だとおもったことの裏にほんとはどんな自分の望みがあるのか?を確認できれば、怒りの感情はスゥーとフェードアウトしていく仕組みだったりする。
ほんとの自分を自分で見つけて、そんなあんたも全部オッケーって言うだけで、ほんと鬼癒されます!
罪悪感にお困りの人はやってみてほしー!
ちなみにね、小さい頃、愛が乏しい家庭環境で育つといろいろ愛に関してのベースが不安定で自分の存在に対して不安定になりがちになるのね。
だから、人間関係の構築や仕事をしたりして自分を出していく場面で、大人になってから悩むこと多かったりして、割と、生きづらいとおもうんだけどー。
願わくば、幼少期に親と健全な愛のコミニケーションできることにこしたことないけど、それはもう変えられないじゃない。
心理学とかをベースに考えるとそこを超えられない感じになっちゃいがちなんだけど、
自分で自分をオッケーすることで、その欠けてた部分を自分で補充してくことができるから、そーゆー人も全然諦める必要ないよー!って心底思ったってゆー。
以上、罪悪感大魔神からのお告げでした〜!
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