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東京心覚 初見感想〜山吹と心

新作『ミュージカル刀剣乱舞 東京心覚』を観劇してきたのでとりとめもない概念的な(?)感想を。

歴史上の人物達の感想はほとんどなく、感じたことだけ。歴史に関する感想は色々調べてからまとめたい。


ネタバレあり。




東京にまつわる歴史の出陣をダイジェストで送りつつ(水心子の意識や記憶?が混線しているから断片的に各出陣の場面が出てくる)最後は水心子の意思で現代から過去へ順に遡っていき、歴史とは、ひいては存在とは何かを探る話だったのかな。

実際に起きていることと後世に語られる歴史は全て一致するとは限らない。ではその後世で語る人間がいなくなってしまった(=放棄された世界)では歴史は存在しないものになってしまうのだろうか。人の認識が先か、存在が先か。


ラスト、水心子たちは例え何も存在しない未来が待ち受けていようとも、過去を覚えている心があれば過去(歴史)が無意味になることはないと結論付けた。
その心とは、五月雨江と太田道灌の交流で語られていた目の前の物を知覚・認識すること。自然はただ有るから美しいのではなく、美しいと感じる心があるから美しい。観る人の心が美しいから山吹は美しい。山吹もそれを見て美しいと感じる心がなければただの花である。人の認識を重んじる考え方である。
いままでの刀ミュの出陣の際に象徴として出てきた蓮の花や竜胆、トリカブトや山吹たち。それらを美しいと思う心があるかどうかによってその花たちは美しい花か、ただそこに有るだけのモノになるか変わる。
だから水心子達は心を大切にする。実際に生きた人々を彼らが心で覚えている限り、歴史の裏で生きた人々も無意味ではない。
放棄された未来で桑名が山吹を植えたのは未来への希望であろう。この山吹を美しいと感じる心がきっとこの世界にもいつか芽生える、芽生えて欲しいという願いだ。

三日月は語られぬ歴史の人物たちに想いを寄せ、彼らを認識し寄り添うことで彼らが歴史から存在しなかったということを防ごうとしていた(のかな…?)三日月の機能についてはきちんと考えたことがあまりなく自信がないが今回に関してはそのように捉えた。

水心子はそこから更に一歩踏み込んだ。
彼らに寄り添いながら、同じ心を持つ存在(山吹に囲まれた概念少女)が現れる未来に希望を持つ。その子が現れる時までは自分たちが覚えている。それは単に機能としてではなく、心をもつ存在として待っている。

心が覚えたがってるんだ!(これしか浮かばなかった)


現存不明の豊前が太田道灌を斬る役割を担った理由を考えると泣けてくる。そういった感想は機会があればまた。




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