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私の落選作品 その3(第30回 三田文學新人賞 応募作品)6

6.
 丸善の店内でレモンを爆弾と見立てた一件のあと、最後にこの小説は、「そして私は活動写真の看板画が奇体な趣きで街を彩っている京極を下って行った」と結ばれる。音楽でいえばフィナーレからの後奏となる。ここでも登場するのは「活動写真の看板画」という美術の世界である。
 小説全体の中に、梶井の関心をひいた美しい物がちりばめられており、彼の美に対する嗜好が説明されている。その中にあって最後の「活動写真の看板画」は、「奇体な趣き」とあることから、梶井にとってはけっして好印象のものではないと受け取れる。むしろコマーシャリズムに毒された俗悪なものと感じていたのではないか。そしてそういうものが氾濫しているのが世間の日常であり、自分もまたそういった雑踏の中へと紛れていったというのだろう。
 一方、それとは対極的に、レモンを買い求めた果物屋の描写には、「言葉の贅を尽くした」と形容したいほどの美しさが溢れている。それぞれの描写による事物は、くっきりとした輪郭線をもって浮かびあがり、まるで絵画を眺めているかのような心地に浸ることができる。しかし、店そのものや店頭に並んだ商品の存在は明瞭に把捉されるのに、なぜか人がどこにも登場しない。「あれ、おかしいな」と思い巡らしていると、私にはそこに亡霊のごとくしかもしたり顔で佇んでいる一人の人物が浮かんできた。それは江戸時代の絵師・伊藤若冲である。
 伊藤若冲は1716(正徳6)年に京都市中の高倉錦小路の青物問屋・枡源の長男として生まれた。老舗の問屋であったので裕福だったが、二十三歳の時に父親を失い、当主の名前と枡源の家業を継ぐことになる。絵は趣味であったが、四十歳という初老に達し、弟に家督と家業を譲って隠居してから本格的に絵師の活動に入る。家業の八百屋で扱っていた野菜を描いた『蔬菜図押絵貼屏風』や『野菜涅槃図』などのユニークな作品も現存している。『檸檬』で梶井が書いた「二条の方へ寺町を下った」ところにあった八百屋は八百卯という店であったことが判明しているが、若冲の枡源はより繁華な四条烏丸に近い所にあった。おそらく梶井も1800年に没した若冲のことは知っていたことだろう。若冲は近年再び脚光を浴びてはいるが、岡倉天心もすでに『東洋の理想』の中で、後期徳川時代の京都の絵師たちの一人として、蕪村や渡辺始興や蕭白とともに取り上げているのだから。
 『檸檬』の中で梶井は、その店の夜の美しさを次のように描写した。
「そう周囲が真暗なため、店頭に点けられた幾つもの電燈が驟雨のように浴せかける絢爛は、周囲の何者にも奪われることなく、肆(ほしいまま)にも美しい眺めが照し出されているのだ。」
 これはあたかも若冲が絹本裏彩色で描いた『動植綵絵』の世界を想起させる。そこには暗い背景の中に動物や植物の絢爛たる描写が息づいている。この三十幅の『動植綵絵』は、若冲自らの意思により相国寺に寄贈された。枡源も相国寺も梶井の生活圏内であってみれば、私が幻に見た若冲も、あながち一笑に付してしまえるものではないと思っている。
 梶井はこの店に惹かれて一顆のレモンを買った。そのレモンの産地は「カリフォルニヤ」とのことである。若冲そしてカリフォルニアとつながると、私はさらに連想の羽を伸ばして、今年四月に亡くなられた日本美術コレクターのジョー・D・プライス氏のことを思わずにはいられない。プライス氏は若冲の作品をメインとするコレクターで、ロサンゼルス・カウンティ美術館の日本館の創設に大きく貢献された。近年はコレクションの一部を日本に返還することを思い立たれ、結局出光美術館が一括して引き受けることになり、今春には記念展も開催された。

 梶井基次郎は関東大震災の翌年に大志を抱いて上京し、東京帝国大学の学生となった。その後、友人たちと同人誌を立ち上げる話も進み、第一学年の学生生活は充実したものだったろう。1924(大正13)年当時の東京帝国大学の美学の講義は大塚保治教授によるものであり、ニーチェの『悲劇の誕生』から美的体験の二類型であるアポロン的とディオニュソス的の対立も講じられている。あるいは梶井も聴講したかもしれない。澄みたい気持ちと濁りたい気持ちの狭間で揺れ動いてきた過去が、あるいはまた走馬灯のように蘇ったかもしれない。
 私は今回久しぶりにこの『檸檬』を読み返してみて、これまで気づかなかった人物が二人、亡霊のように立ち現れてくるのを感じた。一人は梶井とはほぼ同時代を生きたが、生きた場所は洋の東西遠く離れていたマルセル・デュシャンであり、もう一人は生きた場所は同じであったが、生きた時代が百年あまり前後していた伊藤若冲である。それらの人物が立ち現れてきたのは、何よりも作品の持つ力による。あるいは曲解とか迷信的とかいう人もいるかもしれない。しかし私は、そうした時間や空間という枠を飛び越えた世界に想いを馳せさす作品こそが古典であり、またそれこそが古典の古典たる所以だと思っている。
 美術を愛する日本人すべての恩人であるジョー・D・プライス氏は惜しくも本年天に召されたが、2016(平成28)年に東京都美術館で開催された『生誕三〇〇年記念 若冲展』の展覧会図録に、「若い鑑賞者のみなさんへ」と題して以下の文章を寄稿された。
「今回の展覧会で初めて若冲と遭遇する若い人達は自分を信じ、”こころ”と”眼”で若冲の作品を体感してくださることを切に願っています。美術に関する知識がないことは恥ずべきことではなく、むしろ無限の可能性を持ったあなた方の財産なのです。
 若冲が創造したNature(自然に宿る神性)に出会ってください。良い古典とは古いものではなく、いつまでたっても古くならないものだと私は常々考えています。それは洋の東西や時空まで飛び越えてしまうパワーを持っているのです。」

 梶井基次郎の『檸檬』は、あるいは現在の若い人たちにはあまり読まれていないのかもしれない。しかし、絵を見たり音楽を聴いたりするのと同じように、文章を読むことで想像の翼を広げてほしい。きっと古典はそれに応えてくれる。
 『檸檬』――それは最も純粋な個となるまで洗練され高まることによって、普遍的な存在となることができた芸術的結晶である。梶井基次郎が手にした一顆のレモンは、今ここに朽ちない作品『檸檬』となって現前しているのである。(了)

 2023(令和5)年10月 擱筆
 2024(令和6)年4月 三田文學新人賞落選


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