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北へ向かった。寺尾紗穂を聴いた1年をふりかえる。


人生の折り返し地点。

今年はあらゆる意味合いにおいて、変化の年だった。
春には35歳という節目をむかえた。
35歳が節目?
あなたはそう言うかもしれない。
ぼくは以前から人生の折り返しは35歳だということにしていた。
あくまで便宜上そうしているのだが、いちおう根拠のようなものはある。

村上春樹の短編集である回転木馬のデッド•ヒート。断片的にあらゆるシーンが記憶に残っている。

村上春樹の短編集「回転木馬のデッド•ヒート」について語られることは一般的にはそれほど多くないように思う。
なぜそれほど目立たないこの本が好きなのか、ときどき不思議に思える。
人生のあらゆる場面で、本棚からこの本をとりだしては、少し読んでまたしまう。
本棚でホコリをかぶらない本なのだ。

プールサイドで。

35歳。この年齢をきくと「プールサイド」という短編を思い出さずにはいられない。

「回転木馬のデッドヒート」の4番目に収録されている。

プールサイドで他愛のない世間話から「人生の折り返し地点」についての話になる。

35歳になった春、彼は自分が既に人生の折りかえし点を曲がってしまったことを確認した。  
いや、これは正確な表現ではない。
正確に言うなら、 35歳の春にして彼は人生の折りかえし点を曲がろうと決心した、ということになるだろう。

「回転木馬のデッド•ヒート」より

人生の折り返し。マラソンでいえば21キロ地点。
ひとは終わりがあるからこそ、生きられる。
逆説的ではあるが、終わりがみえないとふつうひとは42キロも全力で走れない。

70年の半分の 35年、それくらいでいいじゃないかと彼は思った。
もしかりに 70年を越えて生きることができたとしたら、それはそれでありがたく生きればいい。しかし公式には彼の人生は 70年なのだ。
70年をフルスピードで泳ぐ──そう決めてしまうのだ。そうすれば俺はこの人生をなんとかうまく乗り切っていけるに違いない。  

そしてこれで半分が終ったのだ

「回転木馬のデッド•ヒート」より


そしてこれで半分が終わったのだ。

北へ向かう。

そしてぼくは北へ向かった。

ながいあいだ背負ってきた仕事を折り返し地点に置いていくことにした。

「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。」
といいたいところだが、飛行機で移動すると、北海道はほとんど隣町にいくような感覚で着いてしまう。

しかし、いろんなものを捨ててきたぼくにとって、
人生の折り返し地点を曲がったぼくにとって、長いトンネルという比喩はぴったりきた。

ここにきてから、ぼくはやけにこの曲を聴きたくなった。
とにかく1年を通してずっと、BGMとして流していた気がする。
今日、図書館で寺尾紗穂さんエッセイ集をみつけた。
この曲は寺尾紗穂さんのお父さんの葬式の日にできた曲らしい。
できあがってから、すぐにはライブで歌えなかった。
心が震えすぎていたから。と語っている。

北に向かうことは、あらゆるひとにとって、なにかしらの感傷がふくまれている。
いったいぼくはどんな感傷を抱いているのだろう。
みえないけど、確かになにか痛む気がする。
そしてこの曲は、未来への希望の裏側にひっそりついた「感傷」という傷に絆創膏を貼ってくれていた。

今年のSpotifyは寺尾紗穂さんがほとんど独占していた。EUなら独禁法にひっかかるだろう。

北から向かう。

とはいえ、センチメンタルになりたいわけではない。
むしろ、ぼくの望んでいた人生がやっとスタートしたことを素直に喜んでいる。

ずっと望んでいたが、諦めていた時期があった。
でも、肩の力を抜いて、ほんの少しの覚悟があれば人生は進みはじめた。
それにしても、不思議なものだ。

必死で望んでいるときには、なぜか沖へ沖へと流される。
それでも人生には「潮目」というものがある。
そのわずかな海流の変化をうまく掴むことができれば、
覚悟をきめてしまえば、
環境を変えれば、
人生はあっというまに、全く別のものになる。

ぼくはこの地で一生暮らしていくことを覚悟した。
投壜通信は、この北の地にたどりついた。
そしてこの場所から、ぼくは再び手紙を瓶に詰めて海に流した。
北から、みらいのぼくに向けて。


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