若者のすべて 歌詞考察失敗した話

   『最後の花火に今年もなったな』

フジファブリック『若者のすべて』のこの歌詞を初めて聴いた時、「なんだ!どういうことだ!」と衝撃を受け、この歌詞の後はほとんどこの歌詞の意味についての考察が頭を占拠するなか曲を聴いていました。
そしてふと、私はある考えに行き着しました。
この歌詞には省略があるのではないかと。

(君と見たあの花火が) 最後の花火に

今年も(君と復縁して花火を見に行くことはなかったので)

なったな

ということなのでは!?と。
この歌の主人公は、昔彼女?と花火を見に行ったが、別れたか離れたかしてそれ以降花火は見ていない。花火大会はあるけれども、僕はやっぱり今年も行かないので、あれが最後だなあ という歌詞なのではないかと思ったわけです。
我ながら良い考察だと思いながら、ようやく歌詞の考察から解放され、2フレーズ目くらいから曲に集中していると、この考察を否定する歌詞に出会ってしまいます。

きっとね いないよな

!? 
こいつ花火大会の現場にいる!?
彼女いるかなとか気にしてる!?
この歌詞は1フレーズ目のあの歌詞の直後でも出ているのですが、あの時は考察に囚われていたので気づきませんでした。
ま、まあ花火とも彼女とも限らんだろと思いつつ聴いていると、終盤畳み掛けるようにこの考察を否定する歌詞に出逢います。

ないかな ないよな なんてね 思ってた
まいったな まいったな 話すことに迷うな

!?!?
出逢ってる!?!?花火大会にやっぱり行っていた上に、出逢ってる!?

さらに歌詞は追い打ちをかけてきます。

最後の最後の花火が終わったら
僕らは変わるかな 同じ空を見上げているよ

もう確定です。花火大会に行っていたし、彼女(ずっと彼女と言ってきましたがこれもわからない)
にも遭遇してる上に隣で花火を見てるじゃないかと。

とはいえ私の考察も完全に間違っていたとは言えないかもしれません。
修正するならば、

(君と見たのはあれが)最後の花火に
今年も(君と遭遇することはないので)
なったな

こんな風になるでしょうか。
花火は見ているけれども、今年も君と会えることはなく、君と見た花火はあれが最後のまま今年も更新されることはないなあ。という意味でならギリギリ採用できるでしょうか、私の省略説。

最後の最後の花火が終わったら
の『最後』が単純に最後の一発という話でなく、いままでの『最後の花火に今年もなったな』の『最後』に含ませているのと同じ意味で使っているのならこの考察ではあまり当てはまらないでしょうか。

省略だ!と思うより、詩的な表現だと思って味わったほうが広がりがあって素敵ですし、その方針でまた考察してみたいものです。

こんな拙い文章、ここまで見てくださった方いるでしょうか?もしいるとしたら嬉しい限りです。ありがとうございます。

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