創作活動とか色々
やさしく語りかけながらグーで殴るような話が書きたいと思う。救いようもなく圧倒的な悪が居る話を書きたいと思う。
でも直接的な暴力や暴言には耐えられなくて、何十にも何十にも重ねた皮肉みたいなもので面白おかしくしてしまう。悲惨な話を思いついても、何が面白いんだと我に返ってしまう。別に笑えるシーンがなくたって、面白い話は書けるはずなのに。あくまで理論上だけれども。
叶わない恋のように魅了されている。絶対に向いていないことは明らかなのに、私はいつまでもいつまでも執着して、それを行っている自分を直視することすらできない。
素朴な話も書きたい。でも途中でこんな平坦なもの誰が楽しむんだろうかと我に返って、無茶苦茶な設定を付け足してしまう。
逆張りだらけで、率直に心情を吐露するのが白けてしまうのは、私の認知の歪みが引き起こしているはずだ。
場にそぐわない難しい単語を使ってしまうのは発達障害の症状だと聞いた。確かじゃない。でもなんとなくわかる。
早く薬が開発されてほしい。一度でそうとわかる検査になってほしい。自分で切り落とさせるんじゃなく、メスとレーザーと薬剤で綺麗に削り落としてほしい。そのほうがきっと治りが早い。
その場で「あ〜面白いもん見たな〜」ってなるだけの話ならなんの役に立つだろう?
そんなのもっともっとすごくて世界に認められる人だけが書いていればいいんじゃないか? 「あ〜なんか面白いもん見たな〜」の人の、傑作を見る機会と時間を奪っているのではないか?
書くことで私が満足して人生が豊かになって生きる意味になってるなら別だけど、そんなこともない。
書いた瞬間とたまに読み返すときにだけは少し楽しい。でも私の認知は相変わらず歪みまくっているし、クオリティは別に上がってないから成長もないし、書くことで出会った人とどうにかなることもない。5%の350ml缶に負ける娯楽だ。そんなこと言ったって私は書くのだけれども。
だんだん私に書かれた作品に対して申し訳なくなってくる。こんな気持ちで生み出されたと知ったら、私なら悲しい。なんにでも魂が宿るのだとしたら、親殺しに来られても文句は言えない。
いつか私の作品たちが私を殺しに来るところを想像して、それも悪くないかもなと思った。
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