ある一般人の疾駆。

序章

 前提として。クイズノックはにわかな方だ。そもそもオタクっぽい性格をしておいて何かのコンテンツにハマることが得意ではない。個人活動を開始して以降の彼のことも、あまり追えていないと思う。

 それと、この記事を書くきっかけになった有料記事も、無料部分しか読んでいない。なんかこう、仮想敵と戦おうと武器を探しているみたいな今の自分が、滑稽に思える。

 思えるけど、いろいろ考えた結果、いつもは布団の中にいる時間にキーボードを叩いている。私は、言葉が好きなので。

 名前を不用意に呼ぶのが何となく恐れ多くて、名前を呼んではいけないあの人みたいな扱いをした結果、「彼」という三人称が鬱陶しいくらい出てくる。作文初心者が書いたんかってくらい(実際そうだけど)繰り返し出てくる。鼻についたら申し訳ない。

 ひとつながりの文章を書くのが得意でないので、いくつか章を分けて書くことにする。

薔薇の章

 言葉が好きだから、彼のことが好き。言葉って所詮、人と向き合うためのツールだから。言葉に真っ直ぐ向き合う人は、人に真っ直ぐ向き合う人。そういう人は一回信頼してみる。好きになろうとしてみる。それが、私が勝手に決めている自分ルール。

 その姿勢を保ってきてよかったと胸を張って言える理由の一つが彼だ。ブログやツイート(あるいはポスト)、演者としての動画内の発言etc……。私の目に入ってくる彼の言葉はどれも綺麗で、とがっているところ、指を切ってしまいそうなところがない。私はそれを最初は不自然だ、と思った。

 なんで不自然、自然じゃないなんて思ったのか。その綺麗さと棘の無さは、両立しないと思ったから。彼の言葉の綺麗さは、薔薇の花の綺麗さなのだ。だから私は彼の言葉を浴びるとき、棘のない薔薇を突き付けられたような落ち着かなさを、時折感じる。

 なんで薔薇のくせに棘がないのだろう。そういう品種だから? たぶん、違う。彼が、手渡す前の薔薇から棘を一本一本、手作業で取り去っているから。誰に頼まれたわけでなくても、指先に血が滲んでも、そうし続けているから。

 そうしてきっと血が滲んでいる手のひらを、私は見せてもらったことがない。

進化の章

 彼がクイズノックの脱退を決めたのは、間違いなく進化の過程の一つだと思う。それは、個人で活動している今がグループにいたころより面白いとか輝いてるとか、そういうことではなくて。

 例えば象という種族は、鼻が長い。これによってしゃがまなくても水を飲んだり物を取ったりできるようになって、自然界を今日まで生き残ってきたわけだけれど。じゃあ鼻が長いことにはプラスの面しかないのか、って言ったらきっとそうじゃなくて。長い鼻に使われている細胞たちに行き渡らせるために余分に栄養が必要になるだろうし、私は象じゃないからわからないけど、鼻を使ってないときは「ぶらぶらして邪魔だな~これ」って思うこともあるんじゃないかな。

 結局進化というのは世界が「正解」って言ってくれた変化のことでしかないわけで。私たちが目にするのは世界に肯定された側ばかりだけど、変化に対して「不正解」を押されてそのまま絶滅してしまった生物も、きっとたくさんいるはずで。象の真似して鼻を伸ばしてみたけど、邪魔すぎて絶滅したやつとか。探したらワンチャンいないかな。いないわな、さすがに。適当に喋りすぎた。

 メリットデメリット両方存在する中で変化を選んだ。正誤判定はまだなされていない。少なくとも彼は今生きている。だから、これは進化の過程なのだ。

 さらに彼はクイズノック脱退という大きな進化に満足せず、YouTuberデスゲームに参加したり、TRPGの映画化プロジェクト「カタシロReplica」に出演したりと、常に進化を続けている。

 きっと、彼が絶滅する(=私たちの記憶から消え去る)ことはないのだろうと思う。

弓矢の章

 この人が好きだな、と明確に思ったきっかけはたぶん、モデルのねおさんとクイズノックのメンバーさんが出演するラジオ、こちらQuizKnock放送部の第62回の放送を聞いた時だったと思う。

(こちらはYouTube版だが、Skyさんのサイトから全編聴くことができる)

 クイズノックのメンバー、河村さんとねおちゃんと彼の三人が出演していた回だった。ふんわりと流れを文字起こしすると、

ねおちゃん「河村さんが最初の方で言ってた言葉が、すごい良いなと思って」
河村さん「何だろ、そんな良いこと言ったっけ?」
こうちゃん「まあ良いことはいつも言ってるよ。いつも……素敵な人だから良いこと言ってるよ」

 いいことは「いつも」言ってる、という言い方もすごく素敵だと思ったし、でもそれ以上になんというか、「素敵な人だから~」というくだりに、若干の強引さを感じていた。なんかこう、無理やり誉め言葉をねじ込んだ感というか。それは決してお世辞を言ってるとかそういう意味合いではなくて、言ってること自体は間違いないんだけど、今それ言う流れだったかな? みたいな。ディスっているわけではない。純粋な疑問。

 この時は好きになるというよりも単純に疑問に思っただけだったが、これがきっかけで、クイズノックの動画などで彼を見るときに、ある視点を獲得できた。それは平たく言えば「この人、メンバーさんのことめちゃくちゃ褒めるな……」というような視点(仮説?)だ。

 褒めるというか、尊敬や感謝をすごく素直に口にするという印象。……というのもたぶん完全に正確ではなくて、せいいっぱい足りない語彙を私なりに尽くすと、尊敬している、感謝しているという事実そのもの。自分はあなたを尊敬しています、あなたに感謝しています。そういう意思。それを言葉と態度で伝えるのがすごく上手な人。

 それを改めて感じたのは、クイズノックのメインチャンネルで公開されている、スクショOKの動画。出典が判明しているのでURLを貼るぞっ!

 視聴者が思わずスクショしてTwitterのリプライなどで使いたくなるようなクイズをつくろう! というコンセプト。他のメンバーさんは答えが「タメになる」になるようなクイズを作成し、「タメになる情報があった時に使ってください」なんて言う中、彼が作ったクイズがすごかった。

 答えはシンプルに「ありがとう」。すごいのは問題文の方で、「(前略)いまわたしが思っていることを伝えます。二人はさ、東大王始め色んな番組で活躍してて(後略)」と、一緒に動画に出演していたメンバーである伊沢さんと鶴崎さんの二人に対する尊敬の気持ちが溢れている。そして、問題文を斜め読みすると「いざわさんつるさきさんいつも」というワードが浮かび上がる。解答と繋げると「伊沢さん鶴崎さんいつもありがとう」という、二人に対する感謝の言葉が出てくるというギミックだ。

 純粋に勝ちを狙うなら、二人への感謝に限定せず、単にありがとうが答えになるクイズを作って「感謝したい人がいるときに使ってください」でいいはずだ。そうしなかったのは単にウケ狙いという側面もあるだろうが、本当に二人に感謝していて、かつその気持ちを何らかの形で伝え続けていたい、と常に思っているからこそだと思う。

 このクイズが私はすごく気に入っていて。クイズの体をなした、二人への手紙みたいな文章。私が本当にすごいと思うのは、彼のこういう、「人に感謝を伝えるタイミングを逃がさないぞ!」という姿勢だ。いや、クイズの作問を「感謝を伝えるタイミング」だと思ってるの、だいぶめちゃくちゃだなという気もするが。

 前提として、感謝や尊敬の気持ちは常にある。だけどそれを伝える機会は常に存在しているわけではないから、今! と思ったら一直線に伝えてくれる。なんか照れ臭い、とかそういう気持ち、たぶんないわけではないと思う。それでも折を見てそういう気持ちを言葉にしてくれる姿に、私はなんだか「このタイミングを逃がしたら、もう一生言う機会がない」という焦りのようなものを勝手に感じ取っている。

 実際には、そんなはずはない。相手はほぼ毎日会社で顔を合わせるような人たちで、明日その人たちが死ぬわけでもないし、いや実際はその可能性はゼロではないのだけれど、でも普通は日常的にそんなことを考えたりはしない。でも彼は、頻繁に口にする感謝と尊敬の中に、「これが最後になるかもしれない」という焦りや不安、それ由来の強引さがあるような気がして。

 そういう気持ちを伝えることを作業にしていないのが、すごいと思う。普通、日常的に何回もすることってどっかで慣れが出てしまうものだし、おざなりにしてしまう瞬間が、どうしてもある。仕事でも何でも、慣れてきたころが一番危険だなんて言ったりしますし。

 それなのに彼の放つ一言一言には、例外なく魂が込められている。

 徒然草の中に、「ある人、弓射ることを習ふに」という章(と表現していいのかわからない。学がないので)がある。矢を二本用意して的に向かい合うと、「二本あるんだから最初は外してもいいや」みたいないい加減な気持ちがどうしても浮かんできちゃうよね、だから初心者は特に矢を複数持っちゃいけないよって感じの話(死ぬほど雑な要約!)。

 彼のすごいところは、矢を人よりもずっと多く、何千本も何万本も持っていながら、どの一本も決して無駄にせず、全て的の真ん中に命中させられることだと思う。

 もうひとつすごいと思うのは、身近な人に対して、そういうことを言えるということ。私がこの記事で彼に対して好き好きすごいすごい言えるのは、彼が遠い存在だからという面が大きくて。毎日顔を合わせている家族に対して最後にありがとうと愛してるを伝えたのがいつなのか、正直覚えていない。彼は家族に対してもしっかり気持ちを伝えていると聞く。

 明日も会う人に愛を伝えるのは、関わりの少ない人に愛を伝えるよりずっと難しいことだ。高校時代の友人に素直に尊敬している部分を伝えられたのは、高校を卒業して進路が分かれた後だった。

 近ければ近いほどありがたみが薄れてしまう(悲しいことだけれど)のもそうだけど、でも何より、照れ臭いじゃないですか。「あなたに感謝しています」と伝えた相手の隣でパソコンを叩いたり、「こいつ俺に感謝してるのか」と自分に対して思っている相手と並んで歩いたりするの、私なら無理だろうな、とずっと思っている。

スニーカーの章

 彼がかつて所属していたグループのメンバーの一人、須貝さんの歌声を聴いた時、羽みたいだな、と思った記憶がある。ふわっと軽くて、真上にずっと突き抜けるような青空をどこまでも飛んでいけそうな気がする、そんな声。

 翻って彼の声は何に例えるのが一番しっくりくるだろうか、と考えた時、それはスニーカーだと思う。地面を駆け抜ける足をすっぽり包み込んでくれる、スニーカー。

 私はすずめみたいな小鳥ほど体が小さくないから、空を飛ぼうとしたら絶対に助走が必要になる。大空に翼を広げたその後も、疲れてきたら落ち着ける場所を探して、両足で地面を踏みしめる場面はきっと数えきれないほどある。

 使い古して汚れてしまうのは仕方ないけれど、穴が空いたり、走っている途中で脱げたりしたら困るから。履き心地が悪くて靴擦れを起こしても困る。

 空を見上げて、遥か上空を舞うライバルたちに焦って、それでも一歩ずつ地面を踏みしめていかなければならない。そんな、人生で幾度となく訪れる瞬間に優しく寄り添って、力を分けてくれる。彼さえいれば、私は走れる。空を飛ぶことにこだわらなくても、このまま地面を駆け抜けて目的地に向かう道もある、と気づかせてくれるくらいに速く。私にとって、彼はそういう存在なのだ。

終章

 勢いのままに書いてろくに見直しもしていない、駄文になってしまった。勢いがなければ書けなかったような気もしている。

 必要なところは裏を取ったつもりだけれど、めちゃくちゃ間違った知識や言葉遣いがあったらごめんなさい。情報に誠実な知識集団出身の人について書くのだから、本当はもっと気を遣わなければいけないのだろうけれど。

 分量も、本当は一万文字書きたかったけどね~。どんな内容にせよ、量を書けるというのは物凄いことなんだな、と言葉を並べてみて思った。

 でもまあ、量って本質じゃないから(言い訳)。足りない言葉は、これを見た皆さんで補って。以上。おやすみなさい。傷つけられて嫌になることがあっても、世界に言葉があってよかったと思える未来だといいですね。

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