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誰でも出来る「ブログ内観法」

Step 1 ブログを開設する

ブログ内観法は、ブログを開設する事から始まります。管理人のお勧めは「はてなブログ」ですが、別にnoteやアメブロでも構いません。ついでにブログを収益化する方法を憶えておくと、励みになるかも知れません。



Step 2 記事を書く

ブログを開設したら、その時に考えている事や、実は表現してみたかった事などを記事にしていきましょう。最初に作成するブログは、諸々の作成作業に慣れるまでの「捨てブログ」と考えて、書きたい事を書きたいように書いてください。

記事を書く時は、フェイク情報を織り交ぜて、個人の特定に繋がらないように気を付けてください。先輩ブロガーの中には「顔出しが信用に繋がる」と主張する人も居ますが、残念ながらメリットよりもデメリットの方が遥かに多いです。

また「捨てブログ」のコメント欄は閉鎖した方が良いですが、ブログの記事を非公開にはしないでください。非公開にすると「他人の目」を意識しなくなるので、日記や、モーニングページや、ジャーナリングと大して変わらなくなってしまい、学ぶ事が激減します。


「捨てブログ」で書いた記事は、今しか書けない記事です。時間が経つと同じ記事は書けなくなるので、記事をバックアップをする習慣を身につけてください。因みに、管理人はPCで記事を書く事が多いので、アクセサリの「メモ帳」を使って記事を書いて、外付けハードディスクに保存しています。

保存した記事は貴重な「ネタ帳」になるので、余程の事が無い限り削除しないでください。不出来で恥ずかしいからといって削除すると、数年後に「もったいない事をした」と後悔する羽目になります。

大体15~20ほど記事を書くか、そろそろ書きたい事が無くなってきたと思ったら、記事の書き直し(リライト)をしてみましょう。この時、出来ればリライト前の旧記事も保存してください。リライトをする際は、情報の詳細さと、正確さと、表現方法の三つを意識しましょう。


リライト作業を進めながら、記事のカテゴリ分けもしていきましょう。カテゴリ分けは意外と悩ましい作業ですが、キッチリ分ければ分けるほど、自分の考え方や好みの傾向が明確になっていきます。

大抵の人は、記事数が増えれば増えるほど、カテゴリも増えていく筈です。思うままに書いてきた記事が50を超えると、リライトとカテゴリ分け(以下、記事の錬成作業と呼称)をするのが大変になるので、大体20記事前後を目安に仕分け作業を開始する方が良いのです。

そして記事の錬成をしている時に、必ず「自己の内面」に関するカテゴリを加えてください。これがブログ内観法の基礎になります。更に記事を書き加えつつ、同時に錬成作業もしていくと、一つか二つほど記事数が突出するカテゴリが出てきます。それがあなたの得意分野や、専門分野です。


得意分野や、専門分野が明確になってきたら「捨てブログ」を卒業して、得意分野や専門分野に特化したブログ(以下、特化ブログ)を始めましょう。同時に、自己の本音や内面を吐露する為の「内観ブログ」も作成してください。

特化ブログと内観ブログを一緒にした方が効率的だという考え方もありますが、客層が違い過ぎるので最初から完全に分離させておいた方が無難です。出来ればハンドルネーム(以下、HN)を別にする事をお勧めしますし、ブログを連結させる為の相互リンクも貼らない方が良いでしょう。

内観ブログの記事を書く時は、自己の内面を鋭く抉らなければいけないので、内容がシビアなものになりがちです。内観ブログだけに集中していると精神的なバランスが崩れる可能性があるので、楽しい特化ブログの記事も書いてメンタルを安定させる必要があるのです。


因みに、特化ブログの収益化を視野に入れると、起業家の視点を手に入れる事が出来ます。雇われの視点しか持たない人は会社員としても大成しませんし、脱・社畜や転職という次に繋がるアクションを起こす事も出来ません。

面白いのは、特化ブログの記事が書けない人は内観ブログの記事も書けないし、その逆パターンも然りだという所です。内観ブログと特化ブログは車輪の両輪のような関係にあるので、どちらも大切にしてください。

たまにですが、特化ブログでも内観ブログでもない「何でもあり」のスタイルでなければ続かないという人も居ます。そういう人は引き続き「捨てブログ」で好きにやって、自分の中に変化が生じるのを待ちましょう。



Step 3 心に溜まる「砂」を抜く

当サイトでは、自己の本音を語ったり、内面を吐露するような記事を書くことを、砂抜き(すなぬき)と呼んでいます。この作業が不十分だと、何を言いたいのか良く分からない曖昧な文章しか書けないので、何年ブログをやっていても記事に鋭さや深みが出ません。

個人差はありますが、砂抜きをしっかりやると自己主張が上手くなり、言葉に説得力が出てきます。何せ、書いた記事をリライトする事で自己を客観視して、自分の気持ちを正確に言語化する為の努力を続け、しかもそれを他人に届ける為の工夫をしているのですから、そうなるのも当然です。

管理人が他の人にブログの書き方を教えていて気付いたのは、ブログが続かない人は他に何をやっても続かないという事です。そういう人は例外なく自己主張が苦手で、周囲に流され易いという悩みも抱えていました。


内観ブログにしても、特化ブログにしても、読者が求めているのは飽くまでもブロガーの主観や主義主張です。情報の詳細さと学術的な正確さ(裏付け)を求めているなら新聞や専門誌を読むべきですし、中立的な意見は読者自身が考えれば良い話です。

確かに詳細さと正確さは大事なのですが、そこに拘り過ぎると面倒臭くなって記事を書く手が止まりますし、かと言って自分勝手な思い込みや、根拠の無い事ばかり書いているとブロガーとして進歩しません。

極論すると、ブログは読者に善悪正邪を評価してもらう為の場所ではなく、飽くまでも「自己の主観を押し通す為の場所」だと言えます。ブロガーには自分のブログで思うがままに自己主張をする権利があり、読者にはその主張を受け入れるか、見るのを止めるかを自分で選ぶ権利がある訳です。


お互いの主張と権利を尊重しなければ、言論の自由を守れません。相手の主張を引っ込めさせる為の主張は単なる暴力であり、本来なら慎まなければならない事です。でも、ネット上には言葉の暴力が嵐のように吹き荒れていて、時には死者さえ出る事があります。

匿名で他人に石を投げつけているネットユーザーには、自己と向き合う気などありません。いくら頭の回転が速くても、いくら舌鋒が鋭くても、自分を棚に上げてモノを言う人の意見には説得力が無いですし、他者を感化するような力もありません。

本音を語るとか、内面を吐露するという事は、何故、自分はこのような事を言いたいのかと自問自答する事でもあります。もし自分の中に、他者を否定したり、誹謗中傷したいという気持ちがあるなら、何故、自分はそうしたいのかと自分自身に問いかけなければなりません。


自分自身の気持ちに対して「何故?」と問いかけ、深く知ろうとする事こそが、砂抜き作業の要諦なのです。



Step 4 個性の顕現

砂抜きの作業が進めば自己理解が深まり、自己理解は自己受容に繋がります。それは「心の純化」であり、人格の陶冶(とうや)に他なりません。ブログ内観法は、お金を稼ぎながら自分一人で出来る冥想法なのに、ここまでの効果が期待できるのです。

ブログを続けるコツは、一度始めたら絶対に辞めない事です。更新は無理せず休み休みで良いですし、何度仕切り直しても構いません。完全に足を洗うまでは、ただの休憩です。

人によっては怒りと憎悪に満ち満ちた呪いの記事を書き連ねたり、愚痴や恨み言のオンパレードになる可能性もありますが、それが自己と向き合う切っ掛けになれば御の字です。そのような記事も本人には必要な事だったりしますし、心の純化が進めば次第に表現が柔らかくなっていきます。


ある程度まで心の純化が進むと、本当の意味での「個性」が現れてきます。この「個性」を顕現させる事が、ブログ内観法の真の目的と言っても過言ではありません。己の「個性」を知れば、もう迷う事はありません。後は「個性」のままに生きて、「個性」のままに死ぬだけです。

「個性」を顕現させた時点で、内観冥想(サイコダイビング)の行法を終わらせても構わないのですが、人によってはまだ人生の決着がつかないかも知れません。

そういう人は、私が編み出した内観独習法(ないかん どくしゅうほう)を実践してください。この行法は難易度が高く、それなりにリスクもあるのですが、ブログ内観法で「個性」の顕現まで成し遂げた人なら問題ありません。


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