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(2)撮影仕事が来なくても支えになったもの

前回の続き。

(前回の話は以下参照)https://editor.note.com/notes/n7a9f08557afc/edit/

2010年頃の話だが、
五味さんに写真を見てもらった時に「写真やめたほうがいいよ」と
言われても、あきらめなかった理由は大きく分けると二つあって、

ひとつは、「年齢的にラストチャンスだと思って踏み出したことだったので、簡単には後戻りできなかった」事。

もうひとつは、

写真家・内田ユキオさんのフォトエッセイ「ライカとモノクロの日々」を読んで勇気をもらった」事だ。

内田ユキオさんの「ライカとモノクロの日々」


以下は抜粋ですが、
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アルバイトもせずに家にいると、ひどく不安になった。電話のベルが鳴るのを待っていても、どこからも仕事の依頼は来ない。貯金はどんどん減っていく。それでもアルバイトを始めれば、きっとプロの夢をあきらめてしまうだろう。貯金がなくなるのが先か、仕事が来るのが先か、それに賭けてみようと思った。(中略)。仕事を辞めてから半年ほど経ったある日、持ち込みに行った会社の編集者から電話があった。

「ひとつ仕事をお願いしたいのですが」(中略)

「ラルク・アン・シェル」というバンドなのですが、彼らのレコーディング風景を自然な感じのモノクロで撮ってください」

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この話を救いに作品撮りを続け、ブックの写真を入れ替え続けた。

それで、五味さんにまた写真を見てもらいに行ったのだった。

そのおかげか、持ち込み先の反応も少しずつ変わってきた。

とは言え、すぐには仕事の依頼は来なかった。

相変わらず写真を撮っては入れ替えるの繰り返しだったのだけど、1枚だけ作品から省こうか迷っている写真があった。

PENTAXのK-7で撮ったラテン系の外国人女性を撮ったモノクロの写真だった。

気に入っている写真だったのだけど、
誰もその写真で手を止めてくれないのである。

同じ編集部へ3度目の持ち込み


次の持ち込み先は「MUSICA」という音楽雑誌だった。
ここに持ち込むのはもう3度目。

ここでも興味を持たれなかったら、このモノクロ写真は入れ替えようと決めていた。

その時、MUSICA編集部で写真を見てくれたのは当時の副編集長だった。

一定のペースでめくっていた手が、そのモノクロ写真のところで、一瞬止まった気がした。

写真を最後まで見終わると、またそのモノクロの写真に戻ってくれた。

何か気になるところがあったのかな…

そう思ったけど、何の進展もなかった。

やっぱりダメだ。このモノクロ写真はもう入れ替えよう。

そう思っていた数日後、MUSICA編集部の副編集長から電話がきた。

「THE BAWDIESという4人組をモノクロで撮ってください」

これがはじめてきた撮影依頼だった。

その時の撮影がうまくいったのかと言われると、すごく微妙なのだけど、このMUSICAで3ヶ月連続でアーティストの撮影をさせてもらった。

その写真を持って、web媒体にも持ち込みをして、Perfumeを7回撮らせてもらった。

学生の時から知り合いだった編集者の鈴木文彦さんから連絡をもらって、俳優と女優の撮影をさせてもらった。

そのお陰でそういう撮影も増えていった。

内田ユキオさんと


その数年後、PENTAX645Zという中判デジタルカメラで撮った写真でグループ展に参加させてもらうことになった。

その中に、内田ユキオさんの作品もあった。

主催者の方から急に呼び出しをもらって、西新宿にあるPENTAX(RICOH)のギャラリーに行くと、今からトークショーだから参加するようにと言われた。

トークショーのメンバーに内田ユキオさんもいた。

トークショーの準備なんて何もしてなかったので、狐につままれたような気分だったけど、

内田ユキオさんの「ライカとモノクロの日々」を読んで、僕もモノクロの撮影依頼がきたんですと内田さんにようやく伝えることが出来た。
当時のことを数年前にFacebookに投稿したら内田さんもコメントをくれた。https://www.facebook.com/masatsugu.ide/posts/2120326998005954

このフォトエッセイの中に
「何枚かの写真が僕をここに導いてきてくれた」という一文がある。

その言葉通り、
外そうと思っていた写真を、たまたま気に入ってもらえて、
4人組ロックバンドを撮る事になり、そこから仕事がスタートした。

写真学校時代の私


写真の学校にいた時は、私は講師に好かれていなかったから、他の同期のように(頑張ってるのは知ってるけど)あっという間にメーカーとの繋がりを持ったりすることも出来なかったし、たまたまその講師と居合わせた写真展の打ち上げで、「誰だっけ?」なんて他人の振りをされたりもして、「おう、そう来るんかい」とメラメラしたこともあって、今はそうゆう人と出会ってしまうのが憂鬱だったりもするんだけど、恩のある人にはまたどこかで会えたらいいなと思っています。

これからも写真をたくさん撮って、
記憶に残る良い出会いが増えるといいなと思っています。








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