2022/8/8世界観の獲得

「日差し」というと自分に当たる太陽の眩い光を思い浮かべる。
「せせらぎ」というと小川の近くを歩いている風景が思い浮かぶ。

私にとっての私の世界観はこの程度である。
ディストピアを想像しても曇りが頭の中に浮かんでしまう。
それほど凝り固まっている。

もし自分だけの世界を自分が構築するとなると


想像すると少し楽しくなる。

でもなぜか土地や気候、人や物をすぐに考えそうになる。

もっと自由でもっとキテレツな世界を求めているのに
ありふれたものばかり思い浮かぶ。

これは考える前の感覚によるものである。
つまり
自分が見聞きしたものでしか感覚は作動してくれない。

世の中には天から降ってきた。

内から湧き上がる。
的な人間もいるだろうが
私はそうではない。

私はただの一般人
とレッテルを貼ることによってその世界観を感覚的に見出している。

そこにヒントがある。

考える前の感覚のヒント。

自分というものを別の何かに置き換えて想像してみると別の世界が広がってくる。

ファンタスティックビーストのニュートスキャマンダーだと思ったり。

蟻だと思ったり。

空気だと思ったり。

この世に一輪しか咲いていない花だと思ったり。

カメラのシャッターだと思ったり。

天狗の鼻の先っぽだと思ったり。etc

皆さんも想像してほしい。
自分が自分以外の何かになる夢の中で何を考えそうかを。

その想像は今のあなたの精一杯である。
しかし世にも奇妙なことが夢の中では起こる。

私は夢の中で夢であると認識してしまう。
夢であると認識した私は何をするわかるだろうか。

なんと
寝てしまうのだ。

夢であると分かったら夢の中でさえ少しでも睡眠を取ろうと寝ることを選ぶ。

疲れたくないのだ。
起きても夢のことなんてほとんど覚えてないのに、
起きた時につかれる夢だったと思いたくないのである。

たまには空を飛ぼうと試みたり
空間を歪めようと試みることもある。
成功する時としない時は五分五分くらいである。

しかし夢の中では自分以外の何かになったことは一度もない。

想像力が普段から欠如しているとそうなるのであろう。

鏡は好きではないので普段鏡もあまり見ない。
鏡に映る景色が嫌なのでではなく。
自分が映る鏡がどうも好きにはなれない。

ただ夢の中で鏡を見ると何故かいつも自分が写っていない。

好奇である。
自分のいない世界を観察できる好奇である。

起きた時には忘れている自分だけの自分のいない世界。

夢でなくても想像できるがより主観的になれる。

起きた時には忘れている自分だけの自分のいない世界が私の世界観のわずかな獲得、ひとつまみである。

その模様は後ほどお伝えする。

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