気持ちは後ろ向きでも行動は前向きに

こんなブログでも、見てくれているのは正直嬉しい。ありがとう。
今日は、昔話と自己紹介も兼ねてちょっと長めに。


現在の伊田錦

現在、私は27歳、男性、無職である。
というか、働いたことがない。どころか、アルバイト経験すらない。いわゆる引きニートというヤツだ。
夜遅くまで働く親のために…(お腹が減る自分のために)ご飯を作り、心許ない力と意識でもって掃除や洗濯などの家事をするだけの人生を送っている。
なぜ、こうなったのかは正直もうあまり定かではないが…(いや、ただの甘えだと言われればそれまでだが)もう少し過去を振り返えることで、自分をえぐり出していこう。

大学生時代の伊田錦

こんな俺にも、大学生という肩書きはあった。大学生だったというには、あまりにも経験値は少ないが。心理学系の大学へ進み勇み足で学んでいたものの、うまく馴染めなかった。というか、馴染んでいない自分に居心地の悪ささえ感じた。。大学は友だちを作る場所ではない。と言われればそれまでだが、友だちどころか、人と関わることさえうまくできずに孤立していた。こう書くと、周りに全く人が居なかったみたいに聞こえるが、一応こんな俺でも関わってくれる人は、いた。だけど、関わり続けることができずに、自分から離れてしまった。
そこから、大学を休学、中退し、無事引きこもりの完成である。

高校生時代の伊田錦

では、高校生の伊田錦はどうだったのか。
正直、まぁいろいろあって書ききれないが、基本的には失敗したと思っている。自分の弱さや醜さばかりが前面に出て、壁を作り、刃を向け、自分を苦しめていた。学校と家族という狭い世界の中で自分を卑下していた。
これは、誰にも明かしていないが、高校生の頃から◯にたいと思うようになっていた。自暴自棄気味に人生を送っていた。当時(今も)勉強ができなかった俺は、テストで赤点を取り、追試験を受けなければいけなかった。どうも、追試験に合格しなければ卒業できず、留年する。との言葉を背に受けて。
正直、この頃の自分は留年してもいいとさえ思っていた。留年して高校辞めて、人生終わって生きていくんだ(◯んでいくんだ)と。…でも合格した。結果、卒業式の舞台で、各々の想い出に浸りながら泣いている同級生に囲まれながら、なんとも言えない心持ちで、卒業証書を受け取った。
進路に関しても親と一悶着あったが、ここでは割愛する。

気持ちは後ろ向きでも行動は前向きに

昔話が長くなってしまったので、続きはまたいつかにして。
今日のブログのタイトル回収でも。
この言葉は、俺の座右の銘…的なものだと思う。
子どものころから、逃げグセ、諦めグセのある自分が嫌いだった。何か自分が嫌な気持ちになると、あるいはこれからそうなるだろうと予想できると、すぐ逃げていた。諦めていた。いや、正直いまだってそうなんだろう。
できない、知らない自分。恥ずかしい思いをする自分。を知られたくなかった。見られたくなかった。だから、逃げることで、避けることで、正当化しようとしていた。
そしてそんな自分の気持ちに向き合ってこなかった。だから、大人になった今でも些細なキッカケで逃げたり諦めたりするのだと思う。
でも、ある時、過去ではなく現在をどうするのか、という捉え方にたどり着いた。目の前の物事、出来事に対して自分がどう思うのか、どう感じるのか、どう捉えるのか、ということを知ることが大事なのだと。
逃げたい、嫌だ、やめたい、面倒くさい、そう思ってしまう自分を認め、受け入れる。そんなこといくらでも思っていいんだと。
その代わり行動を変えること。
こんな自分でもできることがあるのかもしれないと知ること。
その1つがこのブログだといいなあ。

おわりに

こんなめちゃくちゃな文章でも、まとまりのない言葉でも、見てくれている、というのはありがたいです。
まだ、誰かのために…なんて言えないけど、とりあえず、自分のために思ったことを書き続けてみます。
ここまで読んでくれてる人がもしいたら、ありがとう。
またいつか。


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