弱さをみせるということ

どうも。伊田錦です。

僕はこれまで、たくさん記事を書いてきましたが。

noteを振り返ると。

ネガティブな記事、愚痴を書いただけの記事、ただ感情のままに書いた記事なども一定数あります。


「ネガティブな内容は読んだ人もいい気はしないから書かないほうがいい。」

「自分語りは読まれない。」

「メンヘラかよ?構ってちゃんかよ?」

そういう考え方や意見もあるのは、よく分かります。

僕だって、せっかく読んでくれたのに、ネガティブな気持ちにはさせたくないし。

もし、自分がネガティブなときに、愚痴ばっかり聞かされたら、もっとしんどくなっちゃうかもしれないし。




一方で。


僕には、“完璧な人”、“意識高い人”、“隙がない人”は取っつきにくいみたいな感覚がありまして。

行動力があり、周囲の人を巻き込み、短期間で結果を出す。

弱音を吐かず、周りを鼓舞して、強い影響を与える。

…純粋にスゴイなと感心する一方で。

そんなスゴイ人に気圧されるというか、どう関わったらいいのか分からないんですよね。

もちろん、「そんなバイタリティーのある人の下だから、自分もやる気になる!」

とか。

「あの人も頑張っているから、私も頑張ろう!」

「結果を出している人と関わるからこそ、成長できるぞ!」

みたいな、ポジティブな効果もたくさんあると思います。

「みんなで切磋琢磨して、周りと差をつけるんだ!」

そういう、向上心やエネルギーに満ち溢れている人たちだからこそ、大きなチカラを持つのだろうなと。

でも。

ちょっと気持ち悪い見方だけど、たとえばある人に何万人とフォロワーがいて、僕はその何万分の1人でしかないんじゃないか。

多くの人に影響を与えていて、ファンやフォロワーがたくさんいる人にとって、僕の存在はなんなんだろう。

(書いててキモッと思ったが)

うまく言えないけど、なんとなくそう思っちゃう。


ついでに言えば。

僕が何千とか、何万のフォロワーやファンを持ち、その人たちに向けて発信するみたいなことも想像できない。

そんな何万の人たちを前に、

何が言えるだろう?
何が届くのだろう?

なんて考えちゃう。


やっぱり僕は。

目の前のたった1人に届けたい。

たった1人でいいから、響いてくれればそれでいい。

多くの人を動かすことも、多大な影響も与えられない。

それでも。

目の前の、僕の言葉や想いを必要としている人に届けば、響けば、もう充分だ。幸せだ。



なんの話か分からなくなったが。(笑)


これからも。

弱い自分
ダメな自分
甘い自分
ネガティブな自分

熱い自分
まっすぐな自分
柔軟な自分
考えちゃう自分

ありのままの自分を晒していきたい。

そうすることで、僕自身も救われるし。

もしかしたら、誰かを救うことにもつながるかもしれない。

不完全で。
不恰好で。
欠点だらけの僕ですが。

そんな僕だからこそ、伝えられることを。届けられることを。

目の前のたった1人の“あなたへ”


では。また。いつか。

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