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オバマ上院議員の父の日のコメント(2008/6/15)

 この記事は、アメリカで父の日にあたる2008年6月15日に、シカゴの「神の使徒教会」においてオバマ上院議員が演説した内容をを翻訳したものです。
 オバマ上院議員は、この演説の7カ月後、アメリカ合衆国の第44代大統領に就任しました。オバマ大統領の半生については、アメリカ大使館公式マガジン「アメリカン・ビュー」の「バラク・オバマの半生」に詳しく記載されています。是非ご覧ください。

 おはようございます。この父の日に娘たちと一緒に家にいることができてうれしいですし、今日は主の家で皆さんと一緒に時間を過ごせることを光栄に思っています。
 山上の垂訓の最後に、イエスはこう締めくくられた。「私のこれらの言葉を聞いて行うものを、岩の上に自分の家を建てた賢い人に比べることができよう。雨が降り、洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけても、倒れることはない。岩を土台としているからである」[マタイ7章:24-25節]
 ここ使徒教会では、私たちの主であり救い主であるイエス・キリストの岩の上に築かれた家で礼拝することができ、とても恵まれています。しかし、この教会はもう一つの岩、もう一つの土台の上に建てられています。その岩とは、アーサー・ブレイジャー司教です。48年間で、彼はこの会衆を僅か数百人から2万人以上の勢力に築き上げました。この会衆は、彼のリーダーシップのおかげで、暴力と貧困、失業と絶望という激しい風と暴雨に耐えてきました。
 彼の働きと宗教活動のおかげで、この教会を取り囲む地域では、卒業生が増え、ギャングが減りました。家が増え、ホームレスが減りました。コミュニティが増え、混乱は減りました。ブレイザー司教が何十年も前にキング牧師の側で始めた正義の行進を続けたからです。この家が半世紀にわたって高くそびえ立っているのは、彼のおかげです。そしてこの父の日に、その土台を強固に保つ役目を担う者が、彼の息子であり、皆さんの新しい牧師であるバイロン・ブレイザー牧師であることを知り、誇りに思うに違いありません。
 今日、私たちは、自分たちの人生を支える全ての岩の中で、家族が最も重要であることを思い起こします。そして、その土台となる父親がいかに重要であるかを認識し、尊重するよう求められています。父親とは、教師であり、コーチです。指導者であり、模範となる人です。父親は成功の見本であり、私たちを常に成功へと導いてくれる男性です。
 しかし、もし私たちが自分自身に正直になれば、あまりにも多くの父親が行方不明になっていること-あまりにも多くの生活や家庭から姿を消していることを認めることになるでしょう。彼らは責任を放棄し、男の代わりに男の子のように振る舞っているのです。そして、そのために私たちの家族の土台が弱くなっているのです。
 アフリカ系アメリカ人のコミュニティにおいて、このことがいかに真実であるかは、皆さんも私も知っています。黒人の子どもたちの半数以上がひとり親家庭で暮らしており、その数は私たちが子どもの頃と比べて倍-そうです、2倍です-に増えていることも知っています。私たちは以下の統計も知っています。父親なしで育った子どもは、貧困にあえぎ罪を犯す可能性が5倍、学校を退学する可能性が9倍、刑務所に入る可能性が20倍高いのです。また、行動問題を起こしたり、家出をしたり、10代で親になる可能性も高くなります。そして、そのために私たちのコミュニティの土台が弱くなっているのです。
 この1年間で、この街は何度、別の子どもの手によって子どもを失ったことでしょう。真夜中に銃声やサイレンの音で何度心臓が止まったことでしょう。教室に座っているはずのティーンエイジャーが、街角でたむろしているのを何度見たことでしょう。仕事をする、あるいは少なくとも仕事を探すべきなのに、刑務所に座っている人が何人いるのでしょう。この世代で、貧困や暴力、薬物依存症で失うことをいとわない人が何人いるのでしょう。いったい何人いるんでしょうか?
 そう、街にはもっと警官が必要です。そう、銃を持つべきでない人の手に渡る銃を減らす必要があります。そう、学校にはもっとお金が必要だし、教室にはもっと優秀な教師が必要だし、子どもたちのための放課後プログラムももっと必要です。そう、私たちのコミュニティには、より多くの仕事と職業訓練、そしてより多くの機会が必要なのです。
 しかし、私たちは子どもを育てるための家族も必要です。母親が妊娠しただけでは責任を果たしたことにはならないことを、父親に理解してもらう必要があります。父親には、男としての条件は子どもをつくる能力があるということではないと理解してもらう必要があります。-男としての条件は、子どもを育てる勇気があることなのです。
 私たちは、一人で子どもたちを育てている全ての母親たちを助ける必要があります;子どもたちを学校に送り、仕事に行き、午後に子どもたちを迎えに行き、また仕事に行き、夕食を取り、弁当を作り、請求書を支払い、家の修理をし、その他両方の親がしなければならないこと全てを行う母親たちを。このような女性の多くが甲斐甲斐しく仕事をしていますが、彼女たちにはサポートが必要です。もう一人の親が必要なのです。子どもたちにも、もう一人の親が必要なのです。そうすることで、彼女たちの土台は強固なものになります。そして、それが私たちの国の土台を強くするのです。
 父親がいないということがどういうことなのか、私は知っています。しかし、私の場合は、今の若い人たちのように厳しい環境ではありませんでした。私が2歳のときに父は家を出て、私は父が書いた手紙や家族が語る物語からしか父を知りませんでしたが、私は他の大半の人よりも幸運でした。
 私はハワイで育ち、母が私と妹を育てられるように、全てを注ぎ込む、カンザス出身の2人の素晴らしい祖父母が居ました。祖父母は母と共に、私たちに愛と尊敬、お互いに対する義務について教えてくれました。私は必要以上に失敗することが多かったのですが、何度もやり直しのチャンスをもらいました。また、お金は余り持っていませんでしたが、奨学金のおかげで、国内で最高の学校の幾つかに通う機会が得られました。今日、多くの子どもたちはこのような機会を得ることができません。彼らの人生には間違いが許されません。だから、私自身の話は、そのような意味で異なっているのです。
それでも、ひとり親であることで母が被った痛手を知っています。-請求書の支払いや、他の子どもたちが持っているものを私たちに与えること、両方の親が果たすべき役割を全て果たすことに、母がいかに苦労していたかを。そして、それによって私が被った痛手も知っています。だから私は何年も前に、このサイクルを断ち切ることが私の義務だと決心しました。-もし私が人生で何かになれるとしたら、娘たちの良い父親になることです。もし私が娘たちに何かを与えられるとしたら、彼女たちの人生を築くための岩-つまり、土台-を与えることでしょう。それが、私が提供できる最大の贈り物なのです。
 私は、自分が不完全な父親であることを承知で、こう言います。-これまでに間違いを犯してきたし、これからも間違いを犯すだろうと思っています。今以上にもっと娘たちと妻のために家に居ることができたらと願っています。これら全てのことを承知の上でこのように言うのは、私たちが不完全であっても、困難な状況に直面しても、父親として生き、学ぶために努力しなければならない教訓があるからです。-黒人でも白人でも、金持ちでも貧乏でも、サウスサイド出身でも郊外の富裕層でも。
 1つ目は、子どもたちに優れた模範を示すことです。-なぜなら、子どもたちに高い期待を持たせるためには、自分自身にも高い期待を持たせなければならないからです。仕事を持っていることは素晴らしいことです。大卒であればなおさらです。結婚して子どもと一緒に家に住んでいるのなら素晴らしいことですが、週末はずっと家の中で『スポーツセンター』を見ているだけではいけません。そういう理由で、多くの子どもたちがテレビの前で育っているのです。父親として、親として、もっと子どもたちと一緒に時間を過ごし、宿題を手伝い、テレビゲームやリモコンを、たまには本に置き換えてあげること。そうやって、その土台を築いていくのです。
 私たちは、教育が子どもたちの将来にとって全てであることを知っています。子どもたちはもはや、インディアナ州の子どもたちだけでなく、インドや中国をはじめとする世界中の子どもたちと良い仕事を求めて競争することになるのです。そのために求められる仕事や勉強や教育レベルを私たちは知っています。
 ところで、時々、中学2年生の卒業式に行くと、そこには華やかで雰囲気があり、ガウンや花が飾られています。そして、まだ中学2年生だと密かに考えるのです。本当に競争するためには、高校を卒業し、大学を卒業し、おそらく大学院の学位も必要です。中学2年生の教育では、今の時代、通用しないのです。彼らに握手をして、ぶらぶらしていないで、早く図書館に戻ってくるように言いましょう!
 この卓越した倫理観を子どもたちに-父親として、親として-植え付けることは、私たちに任されています。娘たちに「決してテレビのイメージで自分の価値を決め付けてはいけない。私はお前たちには限界のない夢を見て、その目標に到達することを期待しているから」と言うかどうかは、私たちに任されています。息子たちに「ラジオから流れる歌は暴力を賛美しているかもしれないが、我が家では、達成、自尊心、勤勉を賛美している」と言うかどうかは、私たちに任されています。このような高い期待を子どもたちに抱かせることは、私たちに任されているのです。そしてそれは、私たち自身がその期待に応えることを意味します。私たち自身の生活の中で、優れた模範を示すことを意味しているのです。
 父親として私たちがしなければならない2つ目は、子どもたちに「共感」の価値を伝えることです。「同情sympathy」ではなく「共感empathy」、-他人の立場に立ち、他人の目を通して世界を見る能力です。私たちは「私たち」に囚われがちで、時々、お互いに対する義務を忘れてしまうことがあります。私たちの社会には、こうした義務を忘れないことがどこか軟弱である-弱さを見せてはいけない、それ故に優しさを見せてはいけない、という文化があります。
 しかし、私たちの若い男の子や女の子はそれを見ています。妻を無視したり、不当に扱ったりしているのを、子どもたちは見ているのです。家庭で思いやりに欠けていたり、よそよそしかったり、自分のことしか考えていなかったりするのを、子どもたちは見ているのです。従って、学校や路上で子どもたちのそのような行為を目にしても、驚くことはないのです。だからこそ、私たちは共感と優しさという価値観を実践することで、それを子どもたちに伝えていくのです。他人を貶めることで強くなれるのではないこと-他人を持ち上げることで強くなれることを、子どもたちに教える必要があるのです。それが父親としての私たちの責任です。
 因みに、この責任はワシントンにも及びます。なぜなら、父親が自分の役割を果たし、子どもの側にいて、子どもに大きな期待をかけ、優れた感覚と共感を植え付けるという私たちの責任を真剣に受け止めているのなら、政府はその半分を対応すべきだからです。
 私たちは、責任ある選択をする父親にはより優しく、それを避ける父親にはより厳しくする必要があります。私たちは、現在夫婦に課している金銭的な罰則を今すぐ取り除き、養育費の全額が官僚の代わりに直接子どもたちを助けるために使われることを確認し始めるべきです。私たちは、養育費を支払う父親に、職業訓練や雇用の機会、そして請求の支払いに役立てられるより大きな所得税控除によって報いるべきです。正看護師が妊産婦やなり立ての母親を訪問し、赤ちゃんが生まれる前に自分自身のケアをする方法と出産後にすべきことを学ぶ支援プログラムを拡大するべきです。このプログラムは、父親の子育てへの関与、女性の雇用、子どもの就学準備の向上に役立っています。産休・育休を拡大することで、このような新しい家族が子どもの世話をするのを支援すべきです。そして、全ての労働者が収入を失うことなく家にいて子どもの世話ができるように、より多くの有給病気休暇を保証すべきです。
 私たちは、子どもたちのために強い土台を築くために、こうしたすべての手段を講じるべきです。しかし、たとえそうしたとしても、父親として、親としての義務を果たしたとしても、また、ワシントンがその役割を果たしたとしても、私たちは人生で困難な課題に直面することでしょう。まだまだ葛藤と心痛みの日々が続くでしょう。雨はまだ降りますし、風もまだ吹きます。
 だからこそ、父親として学ぶべき最後の教訓は、子どもたちに伝えることのできる最大の贈り物でもあるのです。-それは、「希望」という贈り物です。
 私は、盲目的な楽観主義や、私たちが直面している問題に対する故意の無視にすぎない、無意味な希望について話しているのではありません。あらゆる反対の証拠にも拘らず、私たちがそのために働き、そのために戦う意欲があれば、より良いものが私たちを待っていると主張する、私たちの中にある精神のような希望について話しているのです。もし私たちが喜んで信じるのであれば。
 先日、ウィスコンシン州のタウンミーティングで私が質問に答えていると、若い男性が手を挙げてくれました。私は、大学の授業料やエネルギー、あるいはイラク戦争について質問するのだろうと思ったのです。しかし、彼は真剣な眼差しで私を見つめ、「あなたにとって人生とは何ですか?」と尋ねたのです。
 さて、私はそのことに十分な準備ができていなかったことを認めねばなりません。少し口籠ったように思いますが、立ち止まって少し考えてこう言いました。
 若い頃、人生は全て自分のことばかりだと思っていました。どうやって世界で自分の道を切り拓くのか、どうやって成功するのか、そしてどうやって欲しいものを手に入れるのか。
 しかし今、私の人生は2人の小さな娘たちを中心に回っています。そして、私が考えるのは、子どもたちにどのような世界を残すかということです。一部の裕福な人と、毎日苦労している大勢の人との間に大きな格差がある国に、娘たちは住んでいるのだろうか?人種によって分断されたままの国に住んでいるのだろうか?女の子だからといって、男の子ほど多くの機会を与えられない国に住んでいるのだろうか?他の国と効果的に協力しないために、世界中で嫌われている国に住んでいるのだろうか?私たちが気候に与えた影響により、重大な危機に瀕している世界に住んでいるのだろうか?
そして、私は気づきました。私たちの子ども-私たちの全ての子どもたちに、より良い世界を残すために、自分の小さな役割を果たそうとしない限り、人生はあまり意味をなさないのです。例え、それが困難であっても。例え、その仕事が素晴らしいものであったとしても。例え、私たちが生きている間に、それほど大きな成果を上げることができなかったとしても。
 それが、父親として、親としての私たちの究極の責任なのです。私たちは努力します。私たちは希望します。最も頑丈な岩の上に家を建てるために、できる限りのことをします。そして、風が吹き、雨が降り、その家を打ちのめすとき、私たちは、父がそこにいて、私たちを導き、見守り、保護し、暗い嵐の中を、より良い日の光へと子どもたちを導いてくだることを信じています。それが、この父の日の私たち全員に対する私の祈りであり、これからの数年間におけるこの国に関する私の希望です。皆さんと皆さんの子どもたちに神の祝福がありますように。ありがとうございました。

(了)

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