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言葉の重み

十年近く前に書いた文章をFacebookが「思い出」として引っ張り出してきました。元々、個人が特定されないように、実際に聞いたことにかなり手を入れて書いたものでしたが、更に手を入れてここに載せます。自分でもどこに引っかかっているのかわかりません。でも、この話が僕に与えた影響は、それなりに大きいのです。

新幹線

「先生、交通会館の3階って行ったことありますか?」

子どもの話がひと通り終わった後、個人面談の予定終了時刻までまだ数分あることを確認した父親が僕に話し始めた。

「いや、ないですね。交通会館は2階のパスポートの所までしか行ったことないです。」
「そうでしょうね。あそこの3階、ちょっとしたテラスがあるんですが、そこ、なかなかいいんですよ」
「と言うと?」
「新幹線がよく見えるんです」

父親の顔は、もうわくわくした子どもっぽい顔になっている。やれやれ、この人、鉄ちゃんだったのか。僕も乗り物全般、嫌いではないけれど、鉄ちゃんの話をじっと聞く趣味はない。

でも、まあいい。面談終了時刻までの話だ。その時刻になったら「すみません、次の方がいらっしゃるので」と言って話を切ればいい。時計を確認して僕は父親に意識を戻した。

「東京駅を発着する新幹線、ということですか?」
「そうなんです、それはもうひっきりなしに行ったり来たりするんです」
「それは好きな方にはたまらないでしょうね」

父親の言葉が少し途切れた。自分から話しだしたくせに、何か迷っている風だ。新幹線の話で? でも、僕はそれ以上、聞かずに父親が話しだすのを待った。個人面談は、話したいだけ話させてあげた方が向こうの満足度は高い。だが。

「こんなこと、先生にお話しするのも変なんですが…私、若い時に新幹線に飛び込もうとしたことがあるんです」

時計を見る。終了時刻までは2分を切っている。だが、これは2分で切れる話ではなさそうだ。僕は机の上の時計のアラームをそっと止めて父親に聞いた。

「伺ってもいいですか?」
「もちろん」

独白

大学在学中に親友と二人で始めた会社でした。車の部品を輸入する会社です。車といっても、ヴィッツとかじゃありません。ヨーロッパの古い車です。イギリスとイタリアの物が多かったですかね。彼の語学力と交渉力、それに私の車についての知識がうまく混ざり合って、最初は色々苦労しましたが、軌道に乗るまでにそれほどの時間はかかりませんでした。

そういう部品って、向こうに行けばオンボロの倉庫みたいなところで山積みなんですが、日本に入ってくるととんでもない値段がついていたんですよ。その隙間をうまく突けたようで、だんだんと利益が上がるようになっていきました。大学を卒業した時は、この会社を大きくすることが目標になっていましたから、企業への就職なんて全然、考えませんでしたね。

会社を起ち上げて3年目。ずっと2人でやってきたんですが、彼がもう一人雇いたいと言い出しました。もちろんアルバイトはそれまでにもいたんですが、正社員は採っていなかったんです。でも、商売の規模から考えてもそろそろ人を増やす時期に入っていたのは間違いなかったので、彼の意見に賛成しました。

どうやって募集する?と聞いたら、彼が「いい人がいる」というので、後は彼に任せることにしました。私は出来る限りそういった雑事から離れて、どの年式の何という車が日本で何台走っていて、そのモデルの部品でよく出るのはどれで、それはどこの国のどこの店で買い付ければいいか、そういうのを調べていられればよかったのです。

その「いい人」というのは女性でした。まあ美人と言って良かったのではないかと思います。能力は・・・お世辞にも高いとは言えませんでしたね。私の感覚からすると「人が増えて仕事が楽になるはずなのに、逆に仕事が増えてるよなぁ」というものでした。でも、彼が彼女に惚れているのは明らかだったので、「ま、仕方ないか」と思って諦めていました。いっそ2人が結婚でもしてくれたら彼女には辞めてもらって、次はちゃんと自分で選んで有能な人を採ればいいや、くらいに思っていましたね。

後は、、、お話しするのもなんですが、よくある話です。会社の業績がちょっと低迷を見せると、彼女がその責任は私の部品調達先選びにあると言い出して、みたいな。でも、私は彼を信じていました。何しろずっと2人でやってきたわけだし、この会社は彼と私の2人で組んでいるからこそできるのであって、どちらかが抜けてしまったら成り立たないのは明白でしたから。

でもね、裏切られたんですよ。ある日、会社に行ってみると、知らない男性がいました。彼女曰く、イタリア車の輸入販売店で働いていた人だとかで、あなたの業務はこの方に引き継いでもらいますから今までの資料を全て出してください、そんなふうなことを言われましたね。

私は彼女には何も答えず、親友の彼に言いました。お前はこれでいいのか。この男にどれだけの能力があるかは知らないけれど、これは俺とお前でやってきた会社だろ。俺を切って、商売がうまくいくかどうかはともかく、俺を切っていいのか! そんな感じで。

彼が何と言ったのか、覚えていないんです。あんまり頭に血が昇っちゃって記憶が飛んだんでしょうかね。ただ、彼の「やめてくれ」っていう一言だけは覚えています。

会社は新横浜にありました。私はなんとなくふらふらと駅に行って、新幹線の切符を買いました。とにかくそこにいたくなくて、どこでもいいから遠くに行きたくて、当時のことですから、持っていた現金で買える一番高い切符を買って新幹線のホームに立ちました。

こだまだったかな。ホームに入ってきた時、発作的に飛び込もうと思いました。私が飛び込んだのを知ったら、彼はきっとひどい後悔をするだろうとか、そんな考えがあったわけではありません。ただ発作的に、本当に思いつきで死んじゃおうかな、と思ったんです。

先生、死のうと思ったことありますか? ないですか。じゃあ、わからないと思いますけど、死ぬのってそういう勢いがついちゃっている時が危ないと思いますね。深く悩んでいるとか考えちゃってるとかそういうんじゃなくて、本当にふらふらといきそうだったんです。

ところがその時、「かっこいいなぁ!」って声がしたんです。ビクッとしてふりむいたら3才くらいの男の子がいました。お母さんの手を握って「新幹線、かっこいいなぁ!」って。その無邪気な声を聞いていたら、新幹線の白い車体に自分の肉片ぶちまけるわけにいかないなって思って、死ねなくなりました。それと同時に、生まれて初めて「子どもがほしいな」って思いました。死のうと思っていた人間が何をって自分でも思いましたけど、子どもがほしいって思いましたね。

まあ、それから今の会社に就職して、結婚して子どもが生まれて今に至るんですが、先生、この前、授業で「俺より先に死ぬな」って言ってくださったそうですね。子どもから聞きました。それ、どういう話の流れだったのか、うちの子の話じゃよくわからんのですが、すごく嬉しかったんですよ。

私は、たまたま男の子が「かっこいいなぁ!」って言ってくれたから踏みとどまれましたが、いつもいつもそんな偶然があるわけじゃありません。でも、小学校の時の担任の先生に「俺より先に死ぬな」って言われたなっていうのは、もしかしたらブレーキになるんじゃないかなって思うんです。子どもにとって、何だかんだ言って学校の先生って大きな存在なんですよ。小学生時代はずっとそうでしょう。そういう存在の人に「死ぬな」って言われたことは残るんじゃないですかね。

俺より先に死ぬな

応接室に一時の沈黙が訪れた。何といっていいのかわからない。とっさに僕は「あの、交通会館の3階というのは・・・?」と間抜けな質問をした。「ああ・・・」と父親もやや気の抜けた笑顔を見せた。

「息子から『俺より先に死ぬな』の話を聞いた後、なんだか無性に新幹線が見たくなって交通会館の3階、行ってきたんですよ。しばらく見ていたんですが、そうしたら久しく忘れていた、あの男の子の『かっこいいなぁ!』っていう声を思い出しました。何て言うか、、、私自身もかっこよくありたいなって思うんですよね。最近、腹が出てきちゃいましたけど」

幸い、次の順番の方は何か事情があって遅れていたので、時間オーバーは問題にならなかった。

自分がそんなに立派なことを言ったとは思わないけれど、自分の発する言葉に責任を持たねばならないな、ということは改めて感じる。教師の仕事ってやりがいあるけれど、怖い。怖いけれど、尊い。

今、担任している子どもたちも、もうすぐ卒業だ。どこかのタイミングで言っておこう。

「俺より先に死ぬな」


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