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思考、教科の目的、生成AI

2月3日(土)にKOGANEI授業セミナーで公開授業を行いました。4年生の国語で「ウナギのなぞを追って」。どんな授業だったか書いておきます。


プロンプトは何だ?

「ウナギのなぞを追って」は、AIに描かせたタイトル画のような冒険活劇ではありません。ウナギがどこで卵を生むのかという謎を長年に渡って追い求めた研究者の苦労と喜びを織り交ぜながら研究の歩みを描いた説明文です。

まずは「要約」の復習。既習の教材でどんな学習をしたかふり返りながら、要約するときは「中心となる語や文を使って」きたことを思い出させます。
「でもね、今日はちょっと違う」
ん?という顔をする子どもたち。
「今回は『あなたが一番、興味をもったことを中心に要約する』ということに挑戦します。」

この後は前時のふり返り。
「例えば『ウナギがこんな深い謎に包まれていたのにこれを解き明かそうとする塚本勝巳さんたちがすごいと思いました。』と書いていた人は『塚本さん』に興味があったわけだよね。」
ふんふん。
「或いは『なぜ、ウナギは新月の日の近くに、卵を産む習性があるのかも知りたいと思った。ウナギには謎がいっぱいあるなと思った。』と書いていた人は『ウナギ』とか『謎』に興味があるわけだ。」
うんうん。
「ということで、今回は『あなたが一番、興味をもったことを中心に要約する』ということに挑戦するわけだけれど…。」
もったいをつけて問います。

「一番、興味をもったことを中心に要約したら…要約って変わるのかな?」

ざわざわする子どもたちに言います。
「これを要約名人にやってもらって試してみようと思います。」
「AIだ!」
「ピンポンピンポーン。AIにやってもらいましょう、と言うか、もうやってもらいました。プロンプトはこれです。」

この文章は、小学校4年生の国語の教科書にのっているものです。
この文章を元にして、「〇〇〇」に興味をもって要約文を作成してください。
要約は、難しい表現はさけ、この文章に出てくる表現や文章を中心に、小学校4年生が書くような文体で書いてください。

「要約は3つ作りました。今日は、それぞれの要約を作るとき、『◯◯◯』にどんな文・言葉を入れたかを当ててもらいます。」

要約ABC

課題がわかったところで、要約ABCの発表です。それぞれ、以下のようなものでした。

要約A
塚本さんたちのチームは、ウナギの謎を追い求め、長い年月をかけて研究しました。マリアナ海で、ウナギの赤ちゃん「レプトセファルス」を捕まえ、その生まれた場所を探し出すために、たくさんの調査をしました。新月の日や海山の近くでウナギのたまごを見つける手がかりを見つけ、ついにウナギの産卵場所を発見しました。研究者たちの苦労と喜びがたくさん詰まった大切な発見でした。

要約B
ウナギのたまごを産む場所を探すため、研究者はマリアナの海に調査に行きました。長い時間をかけて、ウナギがたまごを産む場所がマリアナ諸島の近くだとわかりました。ウナギの赤ちゃんであるレプトセファルスを追い求める調査で、たまごを産む場所が特定され、ウナギが新月の頃に一斉にたまごを産むことも発見されました。しかし、ウナギの生態にはまだ解明されていない謎が多く残っています。

要約C
この文章は、ウナギの生態に関する長期的な研究を紹介しています。研究者たちは、ウナギがどこで卵を産むのかを解明するために、何十年もの時間をかけて、小さなウナギの赤ちゃん、レプトセファルスを追い求めました。海流の方向に従って南へ東へと探索範囲を広げ、より小さなレプトセファルスを発見するたびに、ウナギの産卵場所に近づいていることがわかりました。最終的に、海山と新月が産卵に重要な役割を果たしていることが明らかになり、長い年月をかけた研究の成果が実りました。

まずはグループで話し合います。私はマイクを持って各グループを回り「ふーん」「ほー」と言うだけ。気楽。しかし、子どもたちは必死に文章を読みながら手がかりを探しています。

次はどんな意見が出たかを全体で共有。
「要約Aは『研究者のこと』じゃないか。だって『長い年月をかけて研究しました』ってあるから。」
「要約Bは『ウナギの産卵場所』だと思います。そこに至るまでのことが書いてあるから。」
「いや、Bは『ウナギの生態にはまだ謎がある』だと思います。最後に『しかし』として書いてあることじゃないかと。」
「要約Cは『ウナギの産卵場所』だと思います。場所や日時が書いてあるから。」
「あれ? さっき、Bが『産卵場所』って言っていた人もいたよね?」
みたいに話が進んでいきます。

ある程度意見を聞いたところで今度は各自の考えをFormsに書き込んでもらいます。全体的な傾向を確認したところで答えの発表です。

納得がいかないことが大切

「要約Aは『塚本さんたち研究者の苦労と喜び』、要約Bは『レプトセファルスの旅』、要約Cは『長い時間をかけて謎が解明されていったこと』でした!」と発表して授業は終わり…とはなりません。いかにも「納得がいかない」という顔をした子がこう言いました。

「要約Bが『レプトセファルスの旅』っていうことでしたけど、要約Bには『旅』などという言葉はどこにも出てきていないからビックリしました」

ここで私から子どもたちに問います。
「今、言ったことって、『レプトセファルスの旅』に興味を持って要約したようには思えないぞ、AIの要約、ダメじゃないか、と言っているわけだよね?」
うん、そうだそうだ。
「じゃあ、この要約、どこをどう直したら納得がいく? グループで話してみて。」

その後は各グループで「ここをこうしたらいい」「あそこはこの方がいいんじゃないか」とかなり熱心に話し合っていました。そのアイディアをちょっと聞いたところで45分は終了。私から、「AI、さっとまとめてくれて凄いんだけれど、本当にそれでいいのかどうか、考えてみることって大事だね」という話をして授業を終えました。

本当は「プロンプトをどう改良したら、もっといい要約になるかな?」という問いも用意していたのですが、そこまではいきませんでした。でも、いいんです。国語の授業としての目的は十分に達成していたのですから。

生成AIに触れさせる前に

授業後の協議会、大変、盛り上がったのですが、「いつ、子どもたちに生成AIを直接、触らせるか」という話が出ました。

私の考えは(ここに何度も書いていますが)、教師主導で授業の中で教科の目的を達成するのに生成AIを有効に機能させながら、児童に「そうか、生成AIはこういう性質を持っているのだな」と十分に体験させた後だろう、というものです。

正直、私のクラスの子はもういつでも生成AIに触れていいと思っています。学校全体のバランスも考えねばならないのでまだ我慢しますが、その段階まで育て上げたぞ、と自負しています。だって、これまで散々、様々な教科の色々な場面で生成AIをその性質が体験できるように使ってきましたからね。

その段階まで、いきなり生成AIに触れさせて本当に持っていけるんですか?というのが私には疑問です。例えばこの授業。一人ひとりの子どもが「◯◯◯に興味をもって」というプロンプトを打ち込んで、出力されてきた要約文を読んで「やはり生成AIの要約にはこういう問題点がある」とか考えられますかね? 私はそんな立派な国語指導、できていないですね。

それに、この授業で行ったように要約文を友達と読み込んでああだこうだと議論する。そういう方が「自分が一番、興味をもったことを中心に要約する」という目標に近いような気がしますが。

或いは「いやいや、いきなりそんなレベルに行くのは無理でも、児童が生成AIを操作できる時間は教師が決められるし、何を書き込んだかもチェックできるから、変なトラブルは起こさずにゆっくりそこまで持っていきますよ」というのであれば、それはもう教育観がまるで違うので議論になりません。

生成AIのよき使い手ってどういうことなのでしょうか。まだまだ議論が必要ではないかな、と思ったのでした。

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