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Face to Face の教育から 学びのSide by Side へ

大盛況

登壇させていただいたMicrosoftのオンラインセミナー「Japan EduDay:休校期間を経て本質的な学びに立ち戻るために、学校現場のリーダーと先生方ができること(第1回)」は大盛況だったそうです。アーカイブはこちらから。(初回は要登録)

誰でも自由に視聴できるものではなく、登録制だったので、そんなに集まらないだろうと思っていたのですが、事前登録は400オーバー。イベント中はずっと230~250人が視聴していて、最終的には317名の参加があったそうです。ありがたいことです。

7月に行っていたICT×インクルーシブ教育セミナーの参加者が約200名、研究発表会の公開授業がやはり約200名ですから、私の教員人生の中では最も多くの方を相手にお話しさせていただいた機会になっていたのかもしれません。とは言え、本番は自室でPCに向かって話すだけですから、その実感はゼロ。後で数字を聞いてびっくりです。

教育系のオンラインイベントで、しかも告知は4日間だけ。それでこの人数を集められたのは大健闘と言っていいのではないでしょうか。それには、恐らくImpress Watch こどもとIT の記事が効いていたのではないかと思います。だってタイトルがこれですよ。

まだコロナウィルスの影響で休校が続いている時だからこそ、外に出られない状態が続いている日々だからこそ、「ポスト・コロナ時代」という言葉がキラーワードになったのでしょう。「後ろ向いてばっかりじゃなくてさ!」というみなさんの気分に響いたように思います。

脱学校化社会

そのタイトルに見合った話を私ができたかどうかはわかりませんが、それなりに考えていただくきっかけにはなったのではないかな、と思います。

かつてイヴァン・イリイチが展開した「学校化」。本来は自律的であるはずの学びが、「学びは学校から与えられないとできないもの」「学びは誰からか教わらないとできないもの」というように思わされている社会をイリイチは厳しく批判しました。大学院生の時、この考え方に触れた私は、その理屈には納得するものの、「でもさ、じゃあ学校化以外にどんな学びのシステムがあるっていうのさ」と思っていました。

ところがです。コロナウィルスによって学校は閉じられました。こんな日が来るなんて全く想像できませんでしたが、子どもたちは学校に来られなくなりました。家で勉強するよりありません。(もちろん保護者のサポートはあるにせよ)自分でするよりない。学びは突然子どもたちの元に返されたのです。

そんな状況にあって教師はどうすべきか。意識を変えなければならないのではないですか? 目の前の子どもに話すようなわけにはいかないのですよ。そんな思いを私なりに表現したのが「Face to Faceの教育から 学びのSide by Sideへ」という言葉でした。

狙いは的中? 視聴数も多かったですが、ご意見や質問もかなりいただきました。それなりに皆さんの心に響くものがあったでしょうか。

そうした問いの中には、その場でうまく答えられなかったものや、答えるには答えたものの、後から私の心に何かひっかかりを残すようなものもありました。いくつかの問いについて考えたいと思います。

問い①

Side by Sideになると労務負荷が高まるのではないでしょうか。Teamsは個別に相互通信できる点は大変利点があると考えますが、現場の負担増による長期的な影響はどうお考えですか?

Side by Side になると、教師は一人一人の学びに寄り添うことができるようになる。そうなると、これまでは35人にいっぺんにやっていたことをバラバラにやらなければならない。だから労務負荷が高まるのではないか、ということですよね。

高まらないです。逆にもっと短い時間で済むようになると思います。本番でも話しましたが、私の場合、学校の授業だと最初に5分くらいで本時の課題を明確にした後は子どもたちが自分で学びを進めるような形を取っています。そうなると45分のうち、40分は暇なんですよ。そこで子どもたちに関わろうにも、そこは子どもたちが自分で学んでいる時間だから邪魔になってしまいます。(子どもの方から質問されれば別ですが。)致し方なく授業後にふり返りを読んだりしてSide by Sideなことを進めるわけですが、オンラインだとその40分もフルに使えるわけです。だから、かえって楽になるんじゃないでしょうか。

ただし、そのためには条件があります。教師の方が、ある程度の情報活用能力を持っていなければダメです。うまく回りません。それはポスト・コロナ時代の教師には必須でしょうね。

問い②

教科について、例えば図画工作のように作り上げていく過程も重視していく教科もあると思うのですが、そのような時間的推移の子どもの思考をどう評価すればいいと考えますか?

書いていることが外れていたら申し訳ないのですが、デジタルって過程を残すのにはぴったりではないかと思います。

一応、私は国語が専門ということになっているのですが、これまでは学習者用デジタル教科書を活用した実践を多く行ってきました。そこでは、子どもたちが文章を読んで考えたことを何らかのデジタルなノートの上にまとめ、それを友だちとシェアして意見を交換し合いながら自分の考えをブラッシュアップさせていく、ということをさせました。

デジタルだとその過程が全部残るんですよね。だから「あれ、なんで俺はここでこんな風に考え方を変えたんだっけ。そうだ、あいつのあの意見だ。あれで気持ちが変わったんだった。」というようにふり返れるわけです。それは教師も同様。デジタルだから見取れる過程があると思います。

とは言え、その情報量は膨大です。教室で授業をやっている時の比ではありません。だから、またやはり教師の情報活用能力が大切になってくるのです。

問い③

アナログ的な対応でなければできないことはありますか?

休校期間中のアナログな対応ということであれば、教科書の配布くらいでしょうか。ただ、それも今年度に関しては著作権の扱いが大幅に緩和(という言い方は誤解を招くかもしれませんが)されるので、例えばTeamsで繋がれてさえいれば何とかならないことはありません。まあ、それでも子供の手元に教科書があるに越したことはありませんが。

変革を迫られる教師と学校

今回のコロナウィルスによる休校は色々と難しい問題を引き起こしていますが、それを解決するためには教師も学校も大きく変化していかなければなりません。変化の方向を間違えるととんでもないことになります。これは企業の話ですが、ひどいです。

先行している海外の事例にも厳しいものがあります。

これからは具体的な進め方をもっときちんと伝えないと、と思っていたら狩野さんの記事が出ました。

素晴らしいまとめ。僕は「Face to Face の教育から、学びの Side by Side ヘ」という言葉を使って強引にまとめちゃいましたが、狩野さんはその辺りをしっかりまとめてくださっています。そう、教室の授業を再現しようなんて思ってはいけないです。教師も学校も変わっていきましょう。


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