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「情報処理」がもたらす温かい時間

「あー、これについて書きたいけれど、全然、書く時間ないよ」
と思っていたのだけれど、ひょんなことから仕事にポカっと隙間が空いたので…。

情報処理学会発行の会誌「情報処理」から原稿依頼をいただいたのは昨年10月のこと。「情報の授業をしよう!」という連載に生成AIを活用した実践について書きませんか?というお誘いでした。

これは断るわけにはいかない、と言うか、お話をいただいた時はちょっと泣きそうなくらい感動しました。なぜか。「情報処理」は、私にとっては特別な雑誌だったからです。

もう亡くなって7年にならんとしていますが、私の父はNHK〜IBMと歩んだ技術者でした。長く情報処理学会の会員で、一時は理事もしていたそうです。当然、家には「情報処理」が置いてありました。

子どもだった私は「なんとつまらなそうなタイトルの雑誌だろう」と思っていました。それでも何度かは手にとってページをめくってみたのですが、その中身はやはり難解そのもの。(これのどこが楽しいのかな…)と不思議でした。

しかし、やはり父の影響は大きかったのでしょう。私自身は工学の道へは進まず、小学校の教師になりましたが、これまでの教員生活の中でずっと「より良いICTの活用」を探ってきましたし、今は生成AIにどっぷりとハマっています。オンライン配信室なんぞを作ったのも、NHKだった父の影響かもしれません。

その父がずっと読んでいた「情報処理」からの原稿依頼です。結構、頑張って書きました。ネタが生成AIですから、来年の今頃にはもう時代遅れの論考になっていることはほぼ確定かと思いますが、いいんです。自分が足跡を残すことが、誰か一人にでも影響を与えられるのなら。

調べてみたら、父は「情報処理」に一度だけ巻頭言を書いていることがわかりました。「ニューメディアの普及と情報処理技術」という文章です。中にこんな一文がありました。

しかしソフトウェアの生産性については、ソフトウェア工学の諸手法の地道な実践による改善が成果を上げてはいるものの、現実の問題として決して充分ではないことも認めざるを得ない。

「情報処理」Vol.25 No.6(1984) 情報処理学会

生成AIの教育利用も、地道な実践による改善が成果を上げてはいるものの、現実の問題として決して充分ではないことも認めざるを得ない、ですよね。だから歩みを止めてはいけないし、すぐに陳腐化するとしても発信は続けていかなければならない。そこに迷いはありません。

それにしても。よもや学会誌の別刷りを手にして亡き父と会話したような気持ちになれるとは思いませんでした。書かせていただけて本当に良かったです。情報処理学会の皆さん、ありがとうございました。

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