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EdTechZine vs こどもとIT

2月3日の公開授業が2本の記事に!

これはもう本当にありがたいことと言わざるを得ないのですが、2月3日(土)の公開授業をいくつかのメディアで記事にしていただきました。まあ、一応自分でも書いてはいますが…。

でも、これは何と言うか、速報的に書き散らしたような感じで、そんなにちゃんとしたレポートにはなっていないわけですよ。授業者が自分で書いているわけですし。

その点、EdTechZineとこどもとITが掲載してくださった記事は、どちらもかなり力の入ったもので、かなり感動しました。

感動すると共に、非常に勉強になりました。なるほど、同じ授業を見ても切り口ってこんなに違うのか、と。それって「授業をどう見るか」という授業研究の基本にもつながることかもしれないな、と思ったのでした。ということで、両方の記事を改めて見ていきたいと思います。

EdTechZineの記事

先に公開された「EdTechZine」の記事の方から見ていきましょう。

記録性重視とでも言うのでしょうか。とにかくその日にあったことは全て網羅する、という方針なのか、国語と特別活動の公開授業、講師の先生の講評、その後の協議会まで、この記事を読めば一通りのことはわかるような組み立てになっています。

ちなみにこの日の特別活動の授業(2年生)は、急遽行うことになって、午前中に30分で書いた指導案で行った授業だったので、自分としてはほぼ黒歴史なわけですよ。授業の最後はsono.aiがうまく動かなくて「ダメだ、こりゃ」と言って参観者を爆笑させて終わるという…。その授業についてもきちんと価値づけて書いてくださっていて、もう本当にありがたいやら申し訳ないやら….

特筆すべきは協議会の部分。この日は、協議会で質問が途切れることなく次々に出てきたのですが、驚いたことにそれらの内容もほぼ網羅されていました。

授業は準備しておけますが、協議会での質問は何が飛び出してくるのか全くわからないので、答もその時に考えてパッと返さなくてはなりません。したがって、話しながら答を考えるようなことになることも多々あるわけですよね。そして、実は話ながら自分の考えが整理されたりアップデートされたりということも起こっています。(まあ、シッチャカメッチャカになることもありますが。)

そうした私の即興的な答まで含めてきちんと記事にしてくださっているのは本当にありがたいです。これまでは「協議会で話していたことの中に何かヒントになることがあったんだよな…何だっけ? 忘れちゃったよ。ビデオ見返すのも面倒だし、ま、いっか」で終わらせるのが常だったので、こうしてテキストで読み返せたのは本当に良かったです。

また、中には読み返してみると「自分の答、ダメだな。十分に答えられていなかったのだな」というものもあります。そういうことまで含めてふり返ることができたのは新鮮な体験でした。

こどもとITの記事

次に「こどもとIT」の記事についても見ていきましょう。

こちらはタイトルからもわかるように、国語の授業についてかなり掘り下げて書かれていました。

この日の授業は「ウナギのなぞを追って」という説明文の要約がテーマで、私が生成AIを使ってあらかじめ作成しておいた3つの要約文と教科書の本文を読み比べて、プロンプトの一部に入る言葉を考えさせるという授業だったのですが、大型ディスプレイに表示したプロンプト、3種類の要約文、本時の課題を表したスライドについての写真を全部載せて、授業を見ていない人にもどういった授業だったのかがわかるような記事になっていました。

「生成AIを使うと子どもが考えなくなるのではないか」「生成AIなんか使わなくても教科の目標は達成できる」というような声が聞こえてくることもあるので「いやいや、生成AI使った方が子どもをより考えさせることができるし、教科の目標達成に生成AI、かなり役立ちますよ」ということを答えたくてやった公開授業だったので、こういう記事は助かります。

他方、2年生の授業についてや協議会でのやり取りはEdtechZineに比べると割合としては少なめ。2年生の授業については、授業そのものよりも「2年生の生成AIのとらえ方」に焦点が絞られていて、黒歴史授業者としてはホッとしたのでした。

また、特長的なのは記事を書いたライターさんの考えがあちこちに垣間見えることで、これはEdtechZineの記事とはずいぶん違うように思います。例えば、2年生と4年生のAIについての捉え方の違いについて書いた文で以下のようなものがありました。

いずれも間違っているわけではないのだが、見聞きしたことを非常にまっすぐそのまま受け止めている様子を感じた。2年生の発達段階では自然なことで、4年生よりもはるかに無批判に大人の話を受け入れるものだ。

これは私もまったくその通りに思ったことだったので、ズバッと書かれているのに感心しました。また、4年の授業は要約がテーマだったわけですが、それについてもこんな指摘がありました。

ちなみにこの「こどもとIT」の記事冒頭近くに「記事を要約する(AI)」というボタンがついているが、筆者は自分の記事の要約ボタンを押したときに、「私ならこうは要約しないけどなぁ……」と思うことが多い。まさに、生成AIと自分のイメージする要約との比較をしてズレを感じている。

なるほど! と思わずにはいられません。これは何と言うか、国語教育の問題として非常に興味深いテーマですよね。

極めて大きい中川先生の存在

両方の記事を読んで改めて感じたことをもう一つ。当日も感じていましたし、いつもそう思っているのですが、改めて中川一史先生が授業を見てくださることの有り難さを感じずにはいられません。

授業を公開する、授業という形で提案する、そこまではできます。協議会で参加者の質問に答え、建設的な議論をしていくこともできなくはありません。しかし、その日の授業を価値づけたり、授業にとどまらない大枠に位置づけて論じたりといったことは、さすがにその日の授業者にはかなり難しいと言わざるを得ません。

中川先生は、そこをビシッとやってくださるわけです。しかも、授業としてどうだったのか、教科の学びとしてどうだったのか、というところまできっちり講評してくださるのは本当にありがたいです。

正直に言って、ICT界隈ってそこをおろそかにしていることがけっこうあるように思います。ICTを日常的に使うのは当たり前、情報活用能力を育てるのも当たり前、そうしたいくつもの当たり前ができていないことが多いから、そちらの議論になりがちなのはわかるのですが、でも我々は授業をやっているわけですよ。当たり前のことを当たり前にやった上で、やはり授業としてどうなのかを考えるべきだと私は思いますし、そういう授業提案をしていくべきだろうと思うのです。

中川先生はそこを絶対に外さずに語ってくださるのですよ。いつも「凄い!」と感動すると共に、どれだけ感謝してもしきれません。今回もありがとうございました。

一粒で二度美味しい授業を目指して

2つの記事はどちらも読み応えのあるものなので、皆さんにもぜひ読み比べていただければと思います。どちらも「授業を見ていなくても内容がわかる」記事になっていますが、当日、私の授業を実際に見てくださった方は、2つの記事をどう捉えられたでしょうか。それも気になります。

この2つの記事は「授業をどう見るか」ということを考える上でもかなり参考になるのではないかな、と思いました。

自分の授業の腕をあげるためにもっとも大切なのが授業実践であることはもちろんですが、他人の授業を見て学ぶということも非常に重要です。重要ですが、ただ漫然と見ていればそれで学べて、自然と授業の腕が上がっていく、というわけではありません。

まずは授業を網羅的に、冷静に、客観的に見ることができなければならないでしょう。授業を見た後の協議会等で「あのときの授業者の◯◯という発言が児童に△△という活動をさせることになりましたが、それは意図されていたものでしたか」といった質問をパッとできるくらいには記録も必要でしょう。EdtechZineの記事はそのお手本になると思います。

次に、その授業について「この活動にはこのような意味があったのではないか」「授業者のこの発言は学習者にとってわかりやすいものではなかったのではないか」といった自分なりの評価ができなければなりません。これができるためには、網羅的な見方ができていることに加えて、普段からの勉強が必要になるのは言うまでもありません。

こどもとITの記事が凄いと思うのは、私の過去の実践を引っ張ってくることで記事を補強したり、協議会で出た話題について自身が書かれた記事を参照先としてあげられていることです。そうした実績に裏打ちされた記事は、やはり説得力がありますよね。

ということで、どちらの記事も本当に参考になるものなわけですが、こうした複数の切り口に耐えられる公開授業ができたことは、自分を褒めてやってもいいかな、と思いました。こういう授業を「一粒で二度美味しい授業」と名付け(なんじゃ、そりゃ)、今後もそうした授業を目指していきたいと思ったのでした。


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