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コロナで向き合う。子育て、夫婦、自分軸。

2度目の感染

少し前、コロナウイルスに感染した。
病院ではっきり「陽性」と出たキットを、先生が手慣れた様子で、少し眉毛を下げながら見せてくれた。

同じ室内にいるのに、防護服・フェイスシールドをして健康な先生と、保菌者の私の間には大きな壁があるように感じた。
なんだか急に肩身の狭い思いになる。

コロナでの自宅療養、2回目。
1回目の時は感染者が今ほど多くはない時期だった。周りからどう思われるのかが不安で、ひっそりと息を潜めるように家族で療養期間を過ごした。

あの頃とは随分と変わったが、2度目の自宅療養が始まった。

膝から崩れ落ちる

今回は、家族にうつさないよう自主的に家庭内で隔離生活をしていた。

お風呂は最後に。
タオルは別。
自分が触ったところは消毒。
共用のものを触る時にはビニール手袋。
我ながら模範となる家庭内感染対策では…と褒め称えたくなった。

熱はあるものの、幸い軽症。
読みたい本とお菓子を寝ぐらの隔離部屋に持ち込んで、布団の上で1日を過ごす。

仕事を休むことが気になるものの、自宅療養期間が週末と重なったため被害は最小限。
週明けからはまた復帰できる。

満を持して自宅療養期間満了!!
…と思っていたら……。
下の子への感染が判明。
あぁぁぁぁ。膝から崩れ落ちた。
あんなにも対策したのに…。

「お母さんに会えなくて寂しい。」
と、下の子だけが足繁く隔離部屋に通っていたので、それが原因かも。

休みが長引く。来週の仕事どうしよう。
出張もあるし。約束もあるし。提出書類、全然書けてないし。あれもこれも…。

そんな私の胸の内など知る由もなく、お熱の我が子は、
「今日から一緒に寝れるね。」
と、満面の笑みを向けてくれた。
2人での隔離生活が始まった。

子育てと仕事の狭間で


子育てと、仕事。
このバランスのとり方は永遠の課題。
しなければならないことがあると仕事を優先してしまいがち。

子どもの参観日もおじいちゃんに頼んでいたことがあるが、
「お母さんかお父さんが来ないなら、誰も来なくていい!」
と、幼かった我が子に言われたことがきっかけで、何があっても参観は両親のどちらかが行くようになった。

子どもの看病もそう。
コロナが流行するようになってからは、子どもの発熱の時には両親のどちらかが仕事を休んで病院に連れて行くようになった。

仕事を休むことへの申し訳なさや、トラブルが起きていないかなど、気になることは山盛り。

ただ、時には何かを切り捨てたり割り切ったりしないと、子どもが必要としている時に寄り添ってあげられない。
他者に気を遣いがちな私が、この数年間で徐々にそう思えるようになってきた。

私の療養期間が終わってからは、夫婦で半分ずつ調整して出勤と看病をすることにした。

以前は、
「自分は休めない。」
の一点張りだった夫も、この数年間で変わった。
前まで感じていた「私だけが仕事を休んで、犠牲になっている」というような考えもなくなった。

もちろん今回もすんなりと全てが決まったわけではないけれど。
夫婦で互いに譲歩し合って決められたこと。
子どもの側にいてあげたいという自分の意思で休みを選んだこと。
自分の中の優先順位を整理して、夫婦で話し合えるようになったのは、とても大きい。

「自分はどうしたいの。」
幼少期からあまり自分ではしてこなかった問いを、夫は容赦なく浴びせてくる。とてもありがたいこと。
ピンチの時ほど、自分と向き合わさせられる。自分軸を探す作業。

そして、療養期間を終えてお日様の光を浴びながら、外の空気を胸いっぱいに吸い込んだ。
やっぱり健康が一番。
いつも忘れがちな大事なことを思い出せた。