七夕の夜に難題。等しく愛を注げますか。
「○○(妹の名前)のほうがお母さんに愛されてると思うからお願いしてきて。」
開いた扉のかげから長女の声。
七夕だから、お祝いケーキを買いに行きたい。そのことを、次女から私に伝えてほしいという内容だった。
こそこそと相談する声が丸聞こえですが。
そもそも七夕はお祝いをする行事だったっけ?
そんなことはさておき。
姉妹には平等に愛情を注いできたつもりだが、そんなふうに感じていただなんて…。
年に一度、織姫と彦星が会えるか会えないかの重要な日に、思いもよらぬ重大発言が飛び出した。
お姉ちゃんだから
私には3歳下の弟がいる。
小さい頃はいつも一緒に遊び、けんかになれば必ず殴り合い。
父からは、
「頭とお腹は殴ったらあかん。」
とだけ。
暴力を止めないんかい!と突っ込みたくなるが、けんかをして痛い思いをするのも勉強だという教育方針だったのかもしれない。
子育ては何が正解かわからない。そして答え合わせができるのはずっと後。
そんな幼少期に、褒められる時にも叱られる時にも使われた「お姉ちゃんだから」という言葉。私はこの言葉が大っ嫌いだった。
好きでお姉ちゃんになったわけじゃない。
弟のほうが大事にされている。
卑屈な考えがよぎった。
そんな卑屈少女も大人になり、娘が生まれ、やがて2人目も女の子が生まれた。
長女には「お姉ちゃんだから」とは言わないでおこう。2人には平等に愛情を注ごう。
出産直後の離れて過ごす数日間。泣き腫らした顔で面会に来てくれる小さな長女を見て、そう誓った。
胸に手を当ててみる
冒頭の長女の爆弾発言。
ドキン、ドキン…。自分の言動を振り返ってみる。
長女は私と性格が似ているところがある。そんな長女を見ていると、子ども時代の自分とつい重ねてしまい、やきもきして口出ししてしまう。
無自覚に、長女には厳しくなりがちかもしれない。
長女が叱られると、決まって次女が面白いくらいにお利口さんになる。空気を読んで要領よく動けるのは、妹や弟の特殊能力だと思う。
長女の真意
動揺を悟られぬよう、発言についてやんわりと長女に尋ねてみた。
長女は笑うような困ったような顔をして、こう説明した。
「だって、私はお父さんに懐いてて、○○(妹)はお母さんに懐いてるやん。だからそう思った。」
要点をまとめるとこうだ。
お父さんとはバカなことをしたり、一緒に盛り上がったりできるから、私はお父さんに懐いている。
妹はいつもお母さんにべったりとくっついている。
だから、お母さんにより愛されているのは妹のほうだ。
この説明ももしかすると全ては本音ではないのかもしれない。
本当はもっと根の深いところで消化できない思いを抱えているのかもしれない。
はたまた、ケーキ屋さんに連れてってと頼む役を妹に押し付けるための口実だったのかもしれない。
ただ、頻繁に不機嫌なガミガミおばさんと化す自分とは違い、子どもたちと楽しそうに全力で遊ぶ夫のおおらかさを見習わないと…と、反省もした。(調子に乗り過ぎて、家を破壊する勢いで遊ぶ3人をまとめて叱る日もあるが。)
どんな時だって、2人とも同じだけ愛しているよ。
それを伝える努力をもっとしないといけないのかもしれない。
七夕の夜に
何を祝うのかは不明なまま、お祝いケーキを4つ買った。
先の物価高の影響なのか、1つ700円以上するケーキに思わずたじろぐ。しかし、ショーケースに鼻先がくっつきそうな距離で選ぶ子どもたちの期待を前に、買わないという選択肢はない。
高級ケーキを頬張り、夜空を見上げて星を探し、布団に入った子どもたち。
2人が寝た後、短冊に願い事を書いてと言われていたことを思い出した。
迷いなく書いた短冊は、こよりが見つからず赤い紐で小さな笹に結んだ。
「いつもわらってすごせますように」
ただ、願い事は願うだけでは叶わない。
明日は、笑顔でおはようと言おう。