旧六甲⼭ホテル(六甲⼭サイレンスリゾート)修復保存 2019年7⽉オープン

画像1 阪神間の町並みや瀬⼾内海を⾒渡す標⾼931mの六甲⼭、この地に1929年(昭和4年)宝塚ホテルの 分館として六甲⼭ホテルが誕⽣し、2007年(平成19年)には国の近代化産業遺産に認定されました。(沿革資料等:1階アーカイブギャラリー、Web Page Histryより 以下同様)
画像2 開業当時のこのホテルの美しさを、そして⾼級リゾート地としての存在感が失速気味の六甲⼭を蘇 らせるため、洋館の修復と新たなプランニングをイタリアの建築家ミケーレ・デ・ルッキが⼿掛け ました。
画像3 ⼭岳リゾートして六甲⼭の開発と景観保護に寄与したのは、幕末から明治にかけて⽇本の居留した 外国⼈実業家たち。
画像4 1868年(明治元年)⻑崎のグラバー商会の出張員として神⼾に移住してきたアーサー・H・グルームは、美 しいものを愛し、狩猟を好むイギリスの商⼈であった。
画像5 六甲を訪れるうちに⼭の家を建てるのに格好の場所であると考えた彼は1895年(明治28年)「グルームポン ド」という名もつけられた三国池のほとりに、六甲⼭上初めての別荘となる夏の家を建てる。
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画像15 駐車場と思えない設えに、日本の造園の力量と欧州の庭園の技法が相まった六甲山麓の自然の融合に、この日も3,4名の庭師が一本々々丁寧に見て回る姿に感服します。冬に向かう六甲山の厳しい環境に草木が整える冬支度にそっと見守る姿に見惚れていました。
画像16 森の中のカフェテリア。環境に配慮した、持続可能な文化遺産を目指す。(完成予想画:1階アーカイブギャラリーより 撮影可)
画像17 グルームの功績によりリゾート地として知られてきた六甲⼭に着目した阪急電鉄の創業者、⼩林⼀ 三は、宝塚ホテルの分館として六甲⼭ホテルを開業。(展示資料:1階アーカイブギャラリーより 撮影可)
画像18 「近代建築の三⼤巨匠」の一人として知られるフランク・ロイド・ライト⽒や、阪神に多くの近代商業建築を遺した渡辺節⽒が⼤正後期〜昭和初期にかけて設計していた。
画像19 宝塚ホテルも設計した建築家・古塚正治氏によるハーフィティンバー様式のイギリス式の洋館が完成 したのは1929年(昭和4年)のことだった。
画像20 この「修復」は、イタリアの知恵と修復技術が⽇本独⾃の⼯芸技術と融合し、今後の世代へ⽂化遺 産を継承するための⼤切な、しかし複雑で⼤がかりな事業です。
画像21 そんなミケーレ・デ・ルッキ⽒の作風と⾒事に合致した『六甲⼭サイレンスリゾート』 は、「六甲⼭の⾃然と の共存」をテーマにしています。
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画像25 旧「六甲⼭ホテル」の2階には、開業当時からあるステンドグラスを天井に仰ぎ⾒られるカフェテ リアがあり、パティシエが毎⽇焼き上げるスイーツやフレッシュ・パスタなどの⼩洒落た軽⾷、そ してイギリスと縁が深い神⼾ならではのティーセレクションや、本格的なアフタヌーン・ティーな どが楽しめます。
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画像27 「阪神間モダニズム」の空気を肌で感じられる、往時のままの空間。エントランスには旧「六甲⼭ ホテル」の歴史を紹介するヒストリー・ギャラリーを備えている。
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画像29 「サイレンス・リング」の完成イメージ。客室は神戸港を望むオーシャンビューと、六甲山の自然に癒されるマウントビューから選べる。(完成予想画:1階アーカイブギャラリーより 撮影可)
画像30 本場・イギリス式のアフターヌーン・ティーは神⼾ならではの愉しみ。この日は、丹波栗とカシスのショートケーキをいただきました。お終い⁈  いやいや次の機会に続きます~   https://note.com/icingbox/n/n4b788c72096e

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