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道徳と生活と。 論語 御霊公 第三十五

今日の論語はこれ!

原文

子曰、民之於仁也、甚於水火。
水火、吾見蹈而死者矣。未見蹈仁而死者也。
御霊公 第三十五

書き下し文

子曰く、民の仁に於けるや、水火よりも甚だし。
水火は、吾れふみて死する者を見る。未だ仁をふみて死する者を見ざるなり。

現代語訳

孔子の教え。人々にとって道徳 (人の道) は、水や薪よりもずっと大切なものなのである。
水や薪 (生活) 、ここに命を賭ける者がふつうだ。しかし、道徳的生きかたに生命を賭ける者はなかなかいない。

一言

そりゃ、いないと思う。

孟子だって「民、水火に非ざれば生活せず (水や日がないと生活なんてできないよ) 」 って言ってるし。生命の存続よりも道徳の遵守に重きを置ける人なんているのか。

と、ここまで書いて思ったが、そういえば日本には切腹という文化があった。武士道によると武士は命よりも名誉を貴び、きちんとした切腹の場を与えられ完遂することは誉であったらしい。

よくよく考えたら、現代でも人様に迷惑をかけるくらいなら自死を選ぶって人は時々いるみたいだし。意外とこの教えは根付いているのかもしれない。

清貧の美学は政治利用された背景があるので、素直に賞賛しづらいし。ましてや、他人に求めるものではない。孔子も道徳を重んじる人はほとんどいないなーってボヤいてるだけだし。自身の中から湧き起こり、厳かに実践するものなんだろう。

何にせよ、実際孔子は国を追い出され、弟子ともども7日間食うものもなく飢えたって話も残っている。その体験を経てなお「人々にとって道徳 (人の道) は、水や薪よりもずっと大切」と言い切れることがすごい。

人の道を外れた上に成り立つ裕福な暮らしには何の意味もないってことなんだろうな。稼いだ者が正義の世の中では負け犬の遠吠えとして響くだろう。僕自身裕福なわけでないので、この言葉に慰められているだけなのかもしれない。
武士は食わねど高楊枝。今はまだ難しいが「生活と道徳は同じくらい大切です」と言えるくらいにはなっておきたいものだ。

参考文献

論語と向き合う Advent Calendar 2021 12/12 投稿記事


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