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『タクシー運転手 約束は海を超えて』(2017)

2022年10月9日(日)Amazonプライムで視聴。
1980年5月に起こった光州事件(光州民主化運動)の最中に、光州に潜入するジャーナリスト、ユルゲン・ヒンツペーターと、彼を光州に連れて行くことになるタクシー運転手の物語。
民主化を求めて蜂起した学生や市民を鎮圧するために軍を動員する政府は、通信と交通も市外から遮断しようとする。道路封鎖を潜り抜けてソウルから光州に入る2人。果たして無事に取材を終えてソウルに帰ってくることができるのだろうか。

主人公はソウルで営業する貧しい個人タクシーの運転手。民主化運動でデモをする学生たちに、「何をするために大学に入ったのか」とケチをつける小市民である。彼は自分と娘ひとりの小さな家庭を守るために、できるだけ面倒なことに関わり合いにならないように生きている。
しかし、お金のためにジャーナリストを光州に運ぶことになり、戒厳令下の民主化運動に不本意ながら直面させられ、大きな悲しみと憤りを沸き立たせるようになる。

彼が光州で出会った学生も市民も、自分と同じように小さな個人的な幸せを大切に生きている、小さな存在だった。そんな学生や市民に国軍が銃を向けるという異常事態が起こってしまった。
国軍が国民を銃撃するという、あってはならないことが起こっている場面に、今まさにミャンマーで国軍に殺されている民主化を求める人びとの姿が思い起こされる。本当にこんなことはあってはならないのだ。

映画は政治的対立の場面はほとんど描かない。ひたすら小さな個々人が何を感じ、考え、行動したかだけを追ってゆく。
誰もが自分の個人的な小さな幸せを願って生活している。できれば面倒なことには関わりたくない。だから息を潜めて目の前のことに従事していようと思う。
しかし、力を持つ者たちがどうしようもない力で市民を鎮圧し攻撃してきた時、どこまで市民は忍従していられるのか。
また、自分の大切な人が大怪我をしたり殺されたりしているのに、自分だけが安全なところで口を拭って生きてゆけるのだろうか。
みんな自分たちの小さな夢や平和を願っているのに、それを壊されて涙しながら戦わざるを得ない。その悲しさが画面を通じて痛いほど伝わってくる。

誰も戦いたくはないのに、戦いに巻き込まれてしまい、命を落としてしまう。これが現実にこの世のあちこちで今日も起こっていることなのだ。自分ならどうするだろうか。頰被りして寝たふりを決め込むのだろうか。目の前のことに忙しくて、そんなことを考えているのは暇人だとばかりの生活に従事するのか。

軽妙でユーモアのある場面もあるけれど、とてもとても重い問いをつきつけられる映画だった。
今この時も理不尽に命を奪われる人がいる地上で、そして奪われる命の側に立ち、生き残ろうとする人たちがいる一方で、自分にできることは何か。それを問われる作品だ。


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