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PLAN75(2022)

 75歳になると希望者は安楽死を選ぶことができる法案「PLAN75」が国会で可決。今後更に検討を進め、対象年齢を65歳に引き下げる案も浮上しているという設定。近未来の国籍不明の場所が舞台かと予想していたら、まさに今の日本だった。
 全人口における高齢者の割合が急増して、若年層の負担が増える中、この問題を解決するために、高齢者の人口を減らそうという政策が実施された。そのような状況下で、高齢の当事者女性が主人公。彼女の逡巡だけでなく、若い世代の葛藤も描かれる。
 特に若い世代は、この「PLAN75」に直接関わる仕事を遂行する中で、矛盾する自分の行動を戸惑い、この制度に疑問を持ち始めるというのが興味深い。
 鑑賞してみて、正直物足りなかった。まったり、ゆっくりとした時間の使い方をする映画だが、もう少し早い展開にして、関連する色々と複雑な問題を描いても良かったのではないだろうか。
 例えば、主人公の高齢者女性たち、いずれも家族のしがらみもない天涯孤独な人間として描かれている。独居老人の孤独死の問題は近年深刻化しているので、そういう設定の人間がいても良いのだが、他には、例えば施設で生活している人や、家族とのつながりがある人がいても、75歳という「若い」年齢の人間ならばおかしくない。
 家族に囲まれているにもかかわらず孤独感を抱えながら「PLAN75」を選択する当事者、そしてそれを心中では期待しながらも形の上では引き留めようとする家族、あるいは「終活」の問題など、もう少し深く描くということはできなかったのだろうか。
 また、この映画では認知症の問題は描かれていない。登場する高齢者は、いずれも肉体的衰えこそあれ、認知はしっかりしている人ばかりで、そこもリアリズムが欠けているように感じる。
 更に言えば、若年層の登場人物の描き方も、みんな「PLAN75」に疑問を感じ始めるストーリー展開で、悪く言えばワンパターン。この「PLAN75」に賛同し、積極的に推進したがる若者が登場しない。そこまで色々と描き始めると物語が複雑になりすぎるから捨象しているのだろうか。
 「PLAN75」という非常にショッキングな制度がテーマになっているにしては、登場する人間たちのキャラクターのバリエーションが少なすぎるためにリアリティに欠け、残念な結果になっていると感じた。
 ただ、高齢者の生き方、死に方について考えさせられたのは事実だ。
 映像に映る子どもも若者も、壮年の人も、みんないつかは高齢者になるということが嫌でも見せつけられる。生きるというのはどういうことなのか。なぜ人間は生まれてこなければならなかったのだろうか。
 いずれはこうやって若い世代にこの世を譲るために、死ななければならないのなら、人生は長すぎる暇つぶしに過ぎないのでないだろうか。
 映画は明確は答えを示さない。答えを出すことは不可能だろうと思う。そういう意味で、観る人の心に大きな課題を投げかける物語だろうと思う。批判的なことをたくさん書いたが、一見の価値はある。

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