曖昧

曖昧さにどう立ち向かいますか?

土日の電車での移動時間に、帚木蓬生氏の著書『ネガティブ・ケイパビリティ 答えの出ない事態に耐える力』を読了。ネガティブケイパビリティという言葉は、詩人のキースが書簡に残した言葉が長い年月を経て、偶然との邂逅によって世に知れ渡ることになった。その歴史自体も物語性を感じて興味深いものだったが、もちろん本質はこの言葉の持つ意味にある。

この言葉は、答えの出ないような問いに対して、すぐに判断を下してしまうのではなく、曖昧なまま耐え忍ぶことを含んでいる。幼少期から答えのある問いに対していかに早く答えるかを叩きこまれ、それが競争社会の中で受験勉強という形で増幅されてしまい、結果的に現代人は解が無いという状態を耐えることが難しくなっている。また、答えが出ないような問いに対しても、ググったら何かしら出てくるし、自分自身の価値観や考えを補強するような書き込みもインターネット上には山ほどあるから、すぐに分かったつもりになることは出来る。ただ、曖昧なまま分からない根源的な問いに対し、自らの人生というフィールドワークを通して、考え続けることこそが真の智慧であり人格形成にも役立つ。そんなことを改めて感じる一冊であった。

日曜は岐路につく前に、百舌鳥八幡宮を訪問した。そこの天然記念物になっているクスは樹齢700年とも800年とも言われている。この大樹を見上げながら、目を閉じてみる。鳥の囀りが悠久の旅にいざない、しばし時間から解放される。そしてまた現在に戻り、生きていくということの意味を少しだけ知る。言語化できないこの感覚を抱き続けることもまた、ネガティブケイパビリティを養うことになると感じた次第である。

そういえば、本著の中で、詩人ほど詩的ではない人はいないという逆説的な文章があった。詩人は自我にとらわれず世界をありのままに観察するから、本質を掴むことができ、そこから言葉が紡ぎ出されるという説明であった。これはその通りだと感じた一節だったし、うまく言い表していると素直に思える内容だった。

世の中は分からないことで溢れている。それは素敵なことなのだろう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?