新年

どんな一年になれば意義深いですか?

「新年あけましておめでとうございます」という挨拶。時候の挨拶として形式的にしている人もいれば、自身や相手に対して何らかの思いを込めて発している人もいる。挨拶一つとっても、そこに込められた意義は人それぞれである。一年の始めに立てる願いや誓いも人それぞれだろうし、それが達成した時の意義もまた人それぞれなのだろう。

年末に旧友に会ったが、それ以外はいつも通りといった感じの年末年始。イオンもコンビニもカフェも開いていて、電車もいつも通り走っている。店で売られているものは、福袋やおせち料理など、多少は正月仕様になっているものの、特売自体は他のイベントでもある訳だし、それ程特別というわけでもない。

幼少期の頃は、開いている店を探す方が大変だったことを思えば、社会の常識というものもすっかり変わってしまった。経済と消費活動は、人間の決めた暦とは関係なく、時には暦をイベントに結びつけて活用しながら動き続ける。年末年始も仕事で働いている方々はどんな思いなのだろう。働く意義、休む意義というものも人それぞれだと感じる。

昨年最後に読んだ本は『ぼくは13歳、任務は自爆テロ。』だった。先日難民の本を読んで、難民を検索していたら紹介されていた1冊。衝撃的なタイトルだったためすぐに購入して読み進めた。NPO法人アクセプト・インターナショナル代表理事の永井陽右氏の著書である。ソマリアの実情、ギャングがテロリストになる背景などを説明した上で、団体が行っているケニアにおけるソマリアギャングの更生などの活動や、活動の対象となった青年達の生の声を届ける内容になっている。

ギャングのイメージと言えば、一般的には狂暴、怖いといったものを抱くだろうが、そこに至る背景や、抜け出せない難しさ、抜け出した後にもつきまとう過去や周囲からの疎外感。誰もが平和に過ごしたいけれど、己の中に培った信念もある。信念が過激な方向で固まってしまえば、平和とのトレードオフを実現することは難しい。ただ、その信念が培われる過程で生じた苦しみや怒りの根源は社会構造にあるから、信念を否定するのではなく、対話をしっかりして双方が理解する必要がある。そして問題が一人一人にあるのではなく、社会構造自体に問題があることを共有して、解決の手段を一緒に模索する。そのような大切さを改めて理解できる一冊となっている。

全く異なる二つの話。新年と信念。だけど、これが同じ地球上で同じ時に起こっている事象だ。全く異なるようでいて、資本主義、競争社会、格差、分断という土台の中で循環されている。消費をすれば資本主義や競争主義を助長して、格差や分断を産み出す。本当に複雑な社会だ。

著者は「ぼくはなにをしたいのか?」と「ぼくたちはなにをするべきか?」という問いを明確に違うものとして捉えていた。昨今では、これらを結び付けることが自己実現や成功への秘訣だという論調が強くなっている。ただし、真の社会課題の解決は、したいことだけで達成出来るほど容易ではなく、後者の問いを独立させる必要があるのだろう。ただ、やり始めてみると、それがしたいことになることもあるからこそ、チャレンジが重要なのだろう。

するべきことをする人生というのは、おそらく意義深いものになる。このnoteを書くこと自体も小さな一歩と思いつつ、行動を積み重ねていきたい。

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