縁助

どんなご縁を感じますか?

昨年の春頃に、クラウドファンディングで認定NPO法人アクセスに支援した。フィリピンの子供への教育や、女性への就労支援の活動を行っていて、活動紹介を見ていると直感的に支援しようという気持ちになった。

フィリピン人との出会いは、恥ずかしい話ではあるが、韓国駐在時に現地人と一緒に行ったフィリピンパブが初めてだった。女性が異国に出稼ぎで来ている現実を見るとともに、彼女達がかなり高レベルで英語を話せることにも驚きを覚えた。韓国語も話していたので、どうやって勉強したのか聞いてみたら、来てから学んだということだった。みんな、一様に故郷や家族のために頑張っているという話をされていた。その時に朧気ながら、富や教育の不平等、格差について潜在意識にメモリーされたのだと思う。

教育問題を再度真剣に考えるキッカケになったのは息子の中学受験である。受験のメリット・デメリット、競争社会を助長する受験競争、主体的な学びとは何か、教育の機会均等とは何なのか。最初は日本の教育の現状について色々な本を読んでいたが、そこから世界に目を向けると、教育の機会すら得られない子供達がたくさんいることに改めて気付いた。私が寄付や支援している大部分は、子供の教育や、難民援助、図書館設立などが占めているのだが、知や学びの機会平等に関するものだと言い換えることが出来るかもしれない。その中でも支援対象が、どちらかというと東南アジア系に偏っているのは、韓国や日本で出稼ぎに来ている方々が多く、身近に感じるということもあるのだろう。

さて、アクセスに援助したことがキッカケで会報紙なども送付頂き、それらを読み進める中で、親近感を持つようにもなった。そういう縁もあって、今回スクールの支援サポーターになってみた。そして、実際の支援対象の学生のプロフィールが昨日届いた(ポストを3日ぶりに見たので気付いたのが昨日なだけかもしれない)。見えない誰かではなく、対象が分かっていることで、応援したい気持ちも増幅する。当たり前のようだけれど、今回初めてその気持ちを実感できた気がしている。元旦に良いご縁を頂けたことを、学生やそのご両親、アクセスの皆様に感謝したい。

「援助」と書くと少しだけ上から目線のように感じてしまう。それは私が資金を提供する側だからなのかもしれない。だけど、この縁によって私も大切なものを受け取り、助けられている部分がある。そうであれば、「縁助」と言い換えてみても良いかもしれない。縁によって関係者がお互いを助け、そして助けられるような相互扶助的な関係構築。そのようなコミュニティが増えていけば、きっと世界はより良い社会を構築していける。繋がりや関係の中で、自身が果たせることを、引き続き考えていきたいと思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?