香り
あなたの世界はどんな香りで満ちていますか?
上橋菜穂子氏の『香君』上下巻を読了。久しぶりに時間を忘れて没頭できる一冊だった。ネタバレになるので、詳細は割愛するが、世界の認知の仕方、それに対する孤独や孤高、人々の歴史、進化論、食物連鎖、世の中の関係性、信仰、宗教、歴史など、諸々のテーマが凝縮された一冊だったように感じる。
私自身は身体感覚で何か秀でているものは無いものの、何となく思考の仕方や、その時間軸で周囲と話が通じないことが多いようには感じている。問題が起こる前に何となく未来を予想できるものの、その時点で話をしても誰も通じず、結果的になりゆきの未来に任せ、実際に問題が起こってしまうケースを数多く経験はしてきた。少しだけ、周囲と認知の仕方が違うと感じる事例ではある。結婚生活をしている時に、当時の嫁にアスペルガーかと言われたこともあったけれど、頭の回転がどうやら私は相対的に早いということをその時に理解するに至った。それが事実だとして、私としては自身で改善などしようもなく、元嫁と同じ世界を一緒に見て感じたかった訳で、一抹の寂しさはあったのだけれど。
香りの面でいうと、韓国で駐在していた時に、チョングッジャンという大豆を発行させた味噌汁が社食でたまに出てきたことがある。臭いもすさまじく、食堂全体が納豆のような臭いで覆われる。私はこの臭いが全くもってダメで、月に一回ほど出てくるこのメニューの時は、カップラーメンを買って食堂以外の場所で一人ラーメンを啜るという生活を送っていた。あとは蛹みたいなものが味噌汁に入っていることもあり、これを知らずに噛んでしまった時に口の中の感触とともに鼻に通じる何とも言えぬ臭いも苦痛であった。駐在員でも大半の人は気にしていなかったので、私が得意的に過敏だったのかもしれない。
幼少期~高校生くらいの時は神経質すぎて過敏性腸症候群だった気がするし、高校の時は数駅の通学でさえ、腹痛が気になって苦痛に感じたこともある。途中下車も数えられないくらいした記憶がある。
認知や知覚が一般のレベルからずれると、話が通じなくなり、孤独になりやすい。これは自分の体験で概ね理解したことではある。そういう前提を持てたからこそ、個々人の強みやその裏返しの弱み、その特質故に苦労している点などに気付けるようにもなった。そう考えると人生経験にはなったけれど、正直言うと何で自分だけと思うことももちろんある。でも実際は自分だけではないだろうし、そんなことを言っても体質が変わる訳でもないから、諦めて受け入れているスタンスに変わってきてはいる。
自分の世界を理解してほしい。そういう根源的な欲求を胸に抱えながら人は生きているのかもしれない。その中で認知や知覚がずれていくほど、その想いは強くなっていく。それらに折り合いをつけながら、人は生きていくのだろう。色々と考えつつも、久々に没頭できる一冊に出会えたこと、それを私自身が認知できたことに喜びを覚えた一日であった。
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