精神年齢 大人になる条件「コラム」
精神年齢の定義を知っていますか?
あなたの精神年齢は、いくつでしょうか。
今回は、精神年齢という「言葉」についてのお話なんですが、
人類が、特に日本人が、犯しがちな誤りについて、お話していきます。
誤りと言いましたが、発見したことという感じでしょうか。
誤り事態に興味はありませんが、ミスリードに気づいてほしいと思って、この「精神年齢」というタイトルを付けています。
労働生産性という言葉があります。
日本は、労働生産性が先進7か国中最下位なんだそうです。
労働生産性とは、投入された資源(使った金や人や物)と産出(稼ぎ)です。
投入した資源に対して、産出の割合が大きいほど、生産性が高いということです。
100円使って200円稼いだよりも、100円使って300円稼いだ方が高いという感じでしょうか。
これ、本当なの?って思いませんか?
日本人の生産力って高いはずでしょ?
おそらく、間違っていないと思うんです。
唐突ですが、これは、大人な考え方が引き起こしている問題だと思うんです。
特に、日本人の大人像がそれを引き起こしています。
大きく二つが考えられるのですが、
一つ目は、本当に日本人個人個人が生産性が低いパターン。
二つ目は、能力ではない社会システムに問題があるパターン。
現在、労働力の高齢化が起こっています(検索すると、沢山出てきます。文科省とかの情報も)
日本の労働環境が、労働生産性を下げているという主張についてですが、こう聞くと、日本には、ろくな会社がないと言っているように聞こえますが、実はまったく違います。
現代社会は、労働に必要と思われる学力ばかり養って、我慢強さやコミュニケーション能力の開発がおろそかになっていたため、偏った考え方や行動を起こす人が増えたのだという話が支配的だと思います。
ここで疑問が湧きます。
我慢強さって、どうやって教育するんでしょうか?
コミュニケーション能力って、どうやって教育するんですか?
この、認知能力以外の能力を鍛えましょう。
と、このようなキャッチフレーズから生み出されるアドバイスは、明らかなミスリードだと思います。
そもそも、認知能力そのものが、我慢したり、コミュニケーションを上手に行う源泉です。
我慢強さとか、自制心とか、いわゆる精神力が、筋力のように、訓練で強化されないことは科学的に分かっています。
それができたら、中毒症状のある人は、とっくに居なくなっていますよ。
いまだに、薬物中毒とか、アルコール中毒のようなものは、その人の持つ精神力に依存して起こっていると思っている人も多いらしいですが、全人類、だれでも、薬物中毒になりえますよね。
しかし、ほとんどの人は、我慢強さや自制心なんかを鍛えられると思っています。
知っていますか?
これ、ほとんどの場合、我慢しているんじゃなくて、考えるのをやめているだけなんです。
したがって、当然、精神的なダメージがありますし、大きなストレスが蓄積していくという結果を産んでいます。
「私が我慢している」とか、「私が我慢すればいい」とか、よく聞きません?
私たちは、そういう風に育てられたんですよきっと。
では、我慢し続けられる人って、どうしてるの?って思いますよね。
加えて言えば、我慢しなかったら、世の中大変なことになっちゃうよって普通は思いますよね。
我慢強さを発揮する時って、どんな時でしょうか。
目的を達成する過程で発生するストレスを我慢する時です。
そう、困難を乗り越えて、前に進むときに我慢するんです。
我慢できるように、我慢の練習をするのは、やめた方がいい。
そうではなくて、我慢できるように、学力や認知能力、論理的思考能力を高めないといけないんです。
目的があって、その損得によって我慢したり、諦めたりする。
当然の事です。
理不尽なことでも、理解できなくても、我慢するべきではないんです。
私たちは、理不尽なことでも、ぐっと我慢する!みたいに教えられてきました。
今も、「非認知能力」とかなんとか、新し気に言ってますが、本質は変わっていないと言わざるを得ません。
我慢できないんだったら、我慢が出来るまで、目的に対する振舞い方とか、体験をさせないと、ストレスで病んでしまいます。
そういう困っている人に対して「非認知能力」などというミスリードしている人というのは、それも自然淘汰だと心の中で思っているかもしれませんね。
人間も動物なので、それを否定することはありませんが、少なくとも、我慢するために、我慢する訓練を推進するような、ミスリードは、許せませんね。
まあ、そう育った大人が作る施策なので、致し方なしですが。
そうやって育った大人は、どうなりますかね?
理不尽なことも我慢して仕事するのが仕事だと思い、仕事なんて、そんなものだと思考停止し、やりたくもない仕事で生産性を下げ、(やりたくない仕事でも、しっかりやるのが大人って、必ず言います)
それホントに生産性が上がってますか?
なぜ、嘘をついてるんでしょうか。
もしくは、考えたこともないから、そう思い込んでいるだけとかですね。
したがって、会社や学校と、個人や労働者のマッチングがうまくいっていません。
それこそ、みんな無条件降伏だから、一見、マッチングしていると勘違いしてしまうということです。
そして、こういう私の意見に対して、貴方は楽観的だと言います。
よく考えた、合理性のある話であって、決して楽観的な私見ではありません。
世の中はそんなものだ、そんなの通用しないという主張こそ、頭を使っていない楽観的な姿勢だとカウンターを打っておきたいと思います。
このように、社会全体がそうなので、本当に日本の労働生産性は低いのかもしれません。
極論を言えば、マッチングしなかったら、もっと会社は社員をクビにして、社員は、もっと簡単に会社を変えていかなければならないでしょう。
自己責任という言葉について。
まず、責任の考え方が間違っている。
責任って、任されていることに責めを負うことでしょ?
なので、その覚悟を持つという意味ですよ。
この、自己責任という言葉は、とても知性ある人間の言葉とは思えません。
「助け合いません、ルール通りですみたいな」
これも、日本人の生産性を落とす原因なのだと思います。
助け合わない精神で、労働生産性があがるわけがない。
次に、日本人の能力が低いのではないという視点から。
まず「働きすぎ」の認識が間違っている。
働く時間が増えると、相対的に賃金が下がります。
日本は、嫌な仕事でも、働くことが良いことなので、自分の得意分野でない生産効率の低い労働によって、低賃金で、長時間働く人が増えます。
世の中が、休みであろうが、夜中であろうが、生産をつづけたり、サービスをつづけたりすると、需給バランスが崩れます。
簡単に言うと、コンビニが沢山出来ると、売り上げが下がりますね。
売り上げが下がると、労働生産性は下がります。
増えないまでも、24時間営業にすると、そのエリアにいる買い物する人の数は変わらないので、時間単位の売り上げは下がります。
結果、やっていけないので、賃金はどんどん減ります。
結果、労働生産性が大きく下がってしまいます。
日本は、効率化とか機械化が得意なので、それに拍車をかけてしまいます。
普通、機械によって自動化できたら、売り上げ上がります。
それが、機械化で浮いた分、安価にしてしまうんでしょうね。
実際には、機械化によって、利益率をあげなくてはならないのに(まじめすぎる
なんというか、そういう美意識も教育されてるんでしょうね?
儲かってはいけないとか。。。
機械化で100分の1の作業でよくなったら、100倍儲かるじゃんっていう思考にならないみたいです。
関係ないですが、YouTubeのパイがなくなる?って話がよくあるじゃないですか?
芸能人や企業の参入でユーチューバー増えて、飽和しているから、新規で始めるのはやめた方がいい的な。。。
これも、なんかこう。。。自分で考えられないのかな(笑)
凄い人が参入して、面白い動画が出たら、ユーザー一人当たりのYouTube視聴時間増える可能性については考えないんでしょうね。
面白ければ、他の時間削って、YouTube見るでしょ。
こんな簡単なロジックも分からないとなると、よっぽど考えていない。
ここから、精神年齢について話をしていきます。
私は、よく精神年齢が低いと言われます。
精神年齢って、なんだっけ?みたいな。
若いときは、ネガティブな意味で、そう言われていた。。ですね。間違いなく。
若いとか、子供だとか、頼りないとか。。。
年を取って分かったことは、私が思っていた精神年齢とやらが、上がることはないということです。
私は、おそらくずっと変わっていません。
精神年齢が上がった自覚がある人や、そう言われる人は、かなり気を付けてください。
今日のターゲットになっています(笑)
私、人生の中で、上手くいったことも、そうでないことも、それぞれありますが、
これまでの仕事や生活で、私の作ったものや行動、経験が、バックボーンとして増えていっただけで、中身は変わっていないと思います。
強いて言えば、アウトプットが上手くなっただけかなと。
精神年齢が高いと、落ち着いているとか、コミュニケーションがうまいとか、我慢ができるとか、耐えられるとか、感情的にならないとか、そんな感じだと思うんですが、なにより、現実的であり、理不尽に耐えられるというのが、精神年齢の高さであると言うのが、一般的な認識じゃないでしょうか。
精神年齢が高いというのは、いいことのはずですよ(きっと)。
年を重ねて成熟して品質が上がっている状態でしょ?
これは、皆の共通認識だと思うんです。
これまでの話でお分かりの通り、私は、大人の定義にまったく納得がいきません。
世の中は、理不尽なものだから、それに耐えられないのはおかしいとか言うんですよ?
思考停止のススメですよ。
何も考えていないからそんなことになるんです。
しかも、それを子供に教えてはいけない。
理不尽に対して、なぜそうなるのかを考えて理解したうえで、合理的に、判断すべきであって、猫も杓子も耐えるということではないでしょ?
きちんと、自分に利益があるかどうかを見極めて、理不尽と付き合うわけですよ。
自分を精神年齢が高い人間だと思っている人が、あの人は、精神年齢が低いなどと言いがちな気がします。
だいいち、精神年齢とかいう尺度自体が納得できません。
そもそも、定量的に精神年齢を比較することなど我々にできるんでしょうか?
精神年齢って何だということなんですが、調べるとですね。
1 精神の発達程度を年齢で表したもの。
知能検査によって測定する。1908年にビネーが考察。
知能年齢。MA(mental age)。→生活年齢
2 一般的に、ものの考え方や行動からみた、精神的な成長の度合い。「精神年齢が低い」
暦の上での年齢(生活年齢)とは異なり、知能の発達の程度を年齢であらわした尺度。
知能検査によって測定される。年齢とともに知能が発達していく段階でのみ意味をもつ。
知能年齢。 → 知能指数
大辞泉の解説
せいしん‐ねんれい【精神年齢】
1 精神の発達程度を年齢で表したもの。
知能検査によって測定する。1908年にビネーが考察。知能年齢。
MA(mental age)。→生活年齢
2 一般的に、ものの考え方や行動からみた、精神的な成長の度合い。「精神年齢が低い」
ここまでが、辞書
ひとつは、その年齢に即した知能があるかどうかのようです。
正しい精神年齢の意味(これは計測可能なもの)
もう一つは、ものの考え方や行動からみたもの。
これは、かなりいい加減な尺度、心理テストなんかで使われる。
公が使うことはないんじゃないだろうか・・・
少なくとも、世界共通して認識のある概念ではないし、まったく科学的ではないです。
大人なやつって、大抵面白くないでしょ?
何も考えていないから面白くはならないという視点なら、逆に面白いかもしれません(笑)
結論からいうと正しくは、精神年齢とは、性格の幼稚さの度合いではないということです。
日本でなんとなく信じられている精神年齢は、大人であるか否かということになりますかね。。
それなら、大人であるとは何か?
2013年10月に実施した「あなたの言葉を辞書に載せよう。」キャンペーンでの「大人」への投稿から選ばれた優秀作品をご紹介します。
◆自分に非がなくても謝らなければいけない人のこと。
◆涙の意味は一つではないと知っている人。
◆「責任」という服を着せられた子供。
◆宴会で頭にネクタイを巻ける人。
◆我慢するときの言い訳に多用される傾向がある。「やめときます、―なんで…」
◆諦めることに慣れた人。
◆夜更かししても怒られない人たちのこと。
◆何か大切なものを失い、どうでもいいことを身に付けてしまった人。
◆昨日と違う風景に気づかなくなった者のこと。
◆経験の積み重ねでワクワクを失った者。また、未経験のドキドキを恐れて挑戦しない者。
◆誕生日が楽しみじゃなくなる人のこと。
◆一人きりで泣くようになった人。
◆過去を笑える人。
◆守るべきものを手にした者。自分の立ち位置を理解している者。
◆1年365日を異常に早く感じてしまう人。
次に、自立とは何か?
「うちの子は毎日同じことで叱られている。何度言ってもできない。
言われなくても自分でできる子にしなければ。ちゃんと自立させなければ」
大抵は、こういった生活習慣についてあれこれ言われます。
生活習慣が大切なのは、それによるメリットがあるからですよね?
メリットを感じた結果によって、生活習慣を変えてますかね?子供は。
もうね、生活習慣づくり自体が目的化しているわけですよ。
精神年齢の解釈がまずいので、「精神年齢が低い=人間として価値が低い」
というような考えになりがちなんではないでしょうか。
例えば、無邪気に冒険をする子供(=少年のような心)は価値が低くはないと考える反面、日本では、現実的な傾向が強くて、守りに入ることこそが、大人であり、現実的な価値が高いことになっていますね。
どちらにせよ、精神年齢を測るモノサシが定まっていないので、学術的な根拠を示すことは出来ないでしょう。
変わり者って、歴史上沢山いますが、変わり者が我々の生存を支えてきたという点を忘れてはいけませんし、少し考えれば他人を、より理解することは可能です。
常識や一般通念に頼って判断し、知っていることを理解している事と勘違いしてしまうような大人ではなくて、自ら思考し判断出来る様な大人になりたいものです。
読んで下さってありがとうございます。