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【エッセイ】月の光

こんばんは、今夜は月が煌々に輝いていましたね。満月の一個手前でした。6月の満月をストロベリームーンというみたいですよ。

今夜は岡山ではなく、東京にいるんですけど。宿泊先までの帰り道に木と木の間から私を射したのでついスマフォを構えてしまいました。最近のIphonは性能が良すぎて、夜でもお昼みたいに、月が太陽みたいな輝きに写しだされました。

太陽みたいな月

さて、なんでこんなお話をするかと申しますと、というよりは、どうして夜空を見上げたかと申しますと、今日はフジ子・ヘミングさんのコンサートに行って参りまして、ドビュッシーの月の光に心を奪われたからでしょうね。


小学六年生の卒業文集に将来の夢は「ピアノの調律師」と書いた一葉です。無論、そんな聴力もなく技術も才能もなく。。数年後には旅人になるとか写真家になるとか夢物語みたいなことをぼやいていたわけですけども。就職する時には堅実的な人間になっていて、今の仕事とも全くかけ離れた医療事務員というひたすらにレセプトをはがす作業を8年続けて、今に至るわけですけども。

まあそんな将来設計の話はさておき、小学生の私に戻しまして。世の職業ですらまともに知らない十代前半の私がピアノの調律師というなんともニッチな世界を思い描いたかと申しますと、NHKでフジ子・ヘミングさんのドキュメンタリードラマを見たことがきっかけとなります。幼いながらに彼女の弾くピアノの音色に酔いしれて、いつか彼女の弾くピアノを聴いてみたいという思いに馳せたのでしょう。おそらく一番近くで聴きたいという欲も膨らませ、我が家に月に一度訪れていたピアノの調律師さんになれば近くで彼女の音色を聴けると思っていたんですね。

そんな幼き憧れを20年の時を経て、本日叶えたわけです。(調律師としてではなく一聴者として)しかも会場は昭和女子大学の人見記念講堂。音響は日本のクラシックホールでも最高峰と言われ会場です。

昭和女子大学 人見記念講堂

きれいとか美しいとか素敵とか、そんなありきたりの言葉では申し訳ないほどに、とは言えうまい表現が見当たらないんですけども。ただフジ子・ヘミングさんにしか出せない音が細胞から伝わってきて、鼓動を感じ、脳内に情景が映し出される不思議な時間でした。

月の光、別れの曲、月光、ラ•カンパネラ…

すごく大袈裟ですけど生きててよかったって思うくらい。そして、御歳90でも生涯現役としてこのように舞台に立ち続けてくださっていることが至極光栄なことだなと思いました。

3歳から弾いてきたピアノ。趣味のひとつで、練習にあけくれているわけではないですが、これからも鍵盤はそばに置いていたいなと思います。

ありがとう、幼き私。ありがとう、月の光、。

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