16-第二章今までの体験や出来事の意味


話は変わりますが、あなたは自分の事をどう定義していますか?

「私は、こんな両親のもとに生まれて、こんな学校に行って、こんな仕事をしていて、会社ではこんな立場で、昨日こんな失敗をした自分です。」というふうに思っていませんか?

しかしよく考えると、それって自分が今まで置かれていた環境や状況、過去の出来事の事を言っていますよね。


「会社ではこんな立場で、こんな家族がいて。」というのは確かに現在進行形ですが、自分が置かれている立場や、役割のことをさしてます。自分そのものの事を言っているわけではありません。

しかし、ほとんどの方が自分の中に積み重ねた記憶を、自分自身だと思い込んでいます。「自分ってどんな人?」と考えた時に、自分の記憶をほじくり返していませんか?

 

記憶を自分だと思っている限り、自分が変わることはなかなかできません。だって、過去の出来事は変わらないし、それを覚えている記憶も変わらないのですから。

そのように、過去の記憶や出来事や周りの状況に、囚われている自分がいます。


では、あなたの中にある記憶や、過去の出来事や、今の状況とは、いったい何なのでしょう?

ここでちょっと時間をとって、過去の出来事や自分が置かれていた状況、その時の感情を時系列で思い出してください。できればノートに書きだしてもらうと、さらにはっきりしてくるでしょう。


幼児期、学童期、青年期…。どんなことがありましたか?

物心ついた時から、小学校、中学校、高校といろんな出来事がありました。辛いことや苦しいこと寂しいこと、もちろん楽しいこともありました。もしかしたら、いじめたり、いじめられたりもしたかもしれません。

 

そして大人になって、失恋もしたことでしょう、傷つけたり傷ついたりしたことでしょう。楽しいことも嬉しいことも沢山あった。悩んだり泣いたり笑ったり、たくさんの体験をしてきたことでしょう。どんな人に、どんなことをされたり、言われたりしましたか? その時どんな気持ちがしましたか?

いろんなことが思い浮かぶでしょう。

 

そういう自分の歴史が、目の前に一冊の「自分史」として置いてあると想像してください。過去の出来事が、ありありと目の前に浮かんでくる方もいらっしゃるかもしれません。


そうすると、ほとんどの方がこの「自分史」を自分だと勘違いしています。「私はこういう私です」と思い込んでいる場合が多いのです。先程の事例の田中さんも川口さんもそうでした。今までの辛い苦しい体験と、憎しみや悲しみや寂しさを抱えていた体験を、自分だと思い込んでいました。


確かにそれは事実です。しかし、それは今までの体験でありその時の感情ですが、あなたそのものではありません。

ではその自分史って何なのでしょう?

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