12-全てを認め受け入れることが出来る自分


では、どうしたらいいのでしょうか。

あなたが、AさんやBさん達の価値観の中に入るのではなくて、あなたがその枠から出たらどうでしょう。

それは、皆の価値観を否定したり、無視したりするということではありません。あなたが、全てを認め受け入れることが出来る自分になったらどうでしょう。(図14)

あなたは「周りから認めてもらえる自分」を目指してきませんでしたか?

だから、苦しいのです。「認めてもらえる自分」を目指せば、当然認めてもらえたり、もらえなかったりします。人の価値観は様々ですからね。

時代や国や文化によっても違いますし、その時の気分によっても違います。

同じ田中さんが、昨日は「あなたは素晴らしいよね」と言ってくれたのに、今日は「何よ、あの人なんか!」と否定してきたりします。そうするとあなたは右往左往しはじめます。それはただ単に田中さんが昨日の夜、夫婦喧嘩していただけかもしれないのです。それで、ただ虫の居所が悪くて、イライラしていただけかもしれないのです。田中さんの夫婦喧嘩に、あなたは責任ありますか? ありませんよね。

しかし、認めてもらえる自分を目指している人は、それだけでオロオロしてしまいます。人の評価なんてそんなものです。その時の気分によって大きく変わるのです。そんな不確かなものに右往左往していませんか? 周りの評価や他人の物差しで自分の価値を計っていませんか?


「周りから認めてもらえる自分」を目指せば、いずれ破綻します。不可能です。

そこを目指すのではなくて、あなたが「全てを認め、受け入れることが出来る自分」を目指したらどうでしょう。つまり図でいうと、あなたがすべてを包み込む外側の大きな枠になるということです。

今までの方向性とは一八〇度違います。生き方が大きく変わり始めます。そして、それは今からでも、どんな人でも可能なのです。


ところで、今「全てを認め、受け入れる…」と言いましたが、あなたの思う「全て」の中に自分自身は入っていましたか? どうでしょう?

中には「全てを認める」というと、自分以外の全てと思っている方がいます。自分が入っていない人が沢山います。事例二の川口さんもそうでした。どんな状況であろうが、自分は我慢をして周りの人を受け入れようとしていました。彼女も全てを受け入れようとしていたのですが、そこに自分自身のことは含まれていませんでした。


しかし、それは全てとは言いませんよね。「全て」なのですから、もちろん自分も含まれますし、さらに言えば、全ての中心には『私』がいるのです。

そうすると、また勘違いをする方がいます。「じゃ、全てを認められるような、立派な自分にならなくちゃ!」とプレッシャーをかけはじめます。


それも全てではないですよね。「私の全て」なのですから、自分の中には強い自分もいれば弱い自分もいる。立派な自分もいれば情けない自分もいる。正直な自分もいれば、嘘をついたり、ちょっとずるい自分もいる…。そんな自分の全てを認めたときに、本当の自分へと戻り始めるのです。


今まで私たちは長い間「誰からも許されて認められる自分」を目指すことを、いつの間にか刷り込まれてきたようです。間違いなく、全ての人がこれまで一生懸命頑張ってきました。


しかし、頑張れば頑張るほど苦しくなります。それは「誰からも許されて認められる自分」を目指したからなのかもしれません。いくら頑張ってもそれは成しえませんものね。認められるかどうかは、相手次第だからです。その判断も相手のその時の都合や気分次第で変わります。

 

そうすると常に右往左往して、認めてもらうため、許してもらうために頑張り続けなければいけません。

 

ハムスターが輪っかの中を、カラカラと走り続けているようなものです。一生懸命がんばって走り続けているのですが、一歩も前には進んでいません。見える風景は同じです。

その輪っかから降りましょう。降りたら一歩踏み出した分、一歩前に進みます。風景や状況が変わるのです。

 

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