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映画『ダンジョンズ&ドラゴンズ/アウトローたちの誇り』を見たTRPGオタクのよしなしごと




悩めるオタク(あるいはめんどくさい求道者)

 私は本当にTRPGが好きなのだろうか。
 たまに、そう自問することがある。

 ガキンチョの頃にTRPGと出会い、アホみたいに長い自作のシナリオを作り、ダイス片手にテーブルを囲んで友人と馬鹿騒ぎをし、ついにはシステム制作に手を出し――それで「TRPGが好きじゃない」は無理があるんじゃないのか? とは思う。冷静に考えれば明らかなことだ。

 ただ、人である以上気持ちのゆらぎがあるので、それでも疑わしくなることはある。 たとえば、セッション中のコミュニケーションでしくじったとき。シナリオの練り込みが甘かったのを自覚したとき。何かを作りたい焦りはあるのに、茫洋としたイメージ以外なんにも出てこないとき。

「お前はTRPGが好きなのではなく、自分が“作る側”にいるインスタントな快楽に酔っているだけだ」
「一人で何も作れない、他に何もできない者が、半端を許される場所を選んだにすぎない」
「この世に飽和した娯楽を見ろ。プロが限界まで作り込んだ作品が山ほど転がっているのに、即興の馴れ合いが、素人の手遊びが、どれほどの意味を持つ?」

――私、何やってるんだ?

 馬鹿言うな、遊びなんだぞ。仰々しいこと考えないで気楽にやらせてくれよ。
 そんなふうに、なんとか笑い飛ばしたり、振り払ったりしながら、ここまでやってきた。
 その実、明確な答えを持たなかった私は、内心ずっと安らかでなかったし、一瞬でも「気楽な遊び」と目を瞑ってしまった己を自覚するたび、途方もなく虚しくなるのだった。



 前置きが長くなったが、D&Dの映画を見てきた。 わけわからんくらいメチャクチャに泣いてしまった。
 ぬかるんだ夢から醒めて、自由のめまいに苛まれる者を『ショーシャンクの空に』が救うように。
 創作に呪われた創作者が『アイロニーナ』に幽き光を見出すように。
 万人に開かれた作品から、こっそりと自分にだけ「今まさに必要だったもの」を差し出しされて、ピンポイントに心のやわいところをぶっ刺されるような……そんなかけがえのない鮮烈な体験をした。
 私はTRPGが好きだった。愛していたのだ。そういう話をさせてほしい。



※これ以降はネタバレ全開だ。あらすじ説明もすっ飛ばすので、映画本編を見てからどうぞ。円盤が出ているので映画館に行った君も行ってない君もマストバイ! ご家庭で快作ファンタジーを楽しもう!









“TRPG感”で無限にはしゃげる

 万人に開かれた作品……という話をしたが、本作『ダンジョンズ&ドラゴンズ/アウトローたちの誇り』も、シンプルに「誰が見ても楽しい上質なエンタメ映画」に仕上がっている。常連客がニヤニヤできるサービスはあれど、断じて一見さんお断りの、元ネタを知らない人を置いてけぼりにするような作品ではない。
 そんなわけで、頭から尻までよかったところを挙げていくと、話がとっ散らかって日が暮れてしまう。最高男女バディ談義やD&D小ネタ情報は有識者にお任せして、今回は本作の「TRPGらしさ」に焦点を当てて話そうと思う。言わば、こんな記事を読みに来てくださる“こっち側”のオタク向けのお話だ。

 あなた方も上映開始からものの数分で、膝を打って叫びたくなったのではなかろうか?
「いや、キャンペーン1話の導入シーンじゃん!」
 見えるぞ。見えるよな。妙にリアリティのある、架空のDM・PLと卓の幻覚が見える。

――物語は、雪深き極北の地、アイスウィンド・デイルから始まる。シートとお菓子とダイスの散らばるでかいテーブルの上に、監獄のマップが置かれた。セッションの始まりだ。

 PCの置かれた状況を整理しつつ、恩赦会議でキャラ紹介も兼ねた演説をさせるDM。エドガンのPLは……遊び慣れてて、DMにガンガン提案をするタイプだ、たぶん。アーラコクラを使った大喜利脱獄計画のことで頭がいっぱいな上、作ったばかりの設定を参照しながら(あるいはその場ででっち上げながら)喋っているので、途中でどこまで喋ったかわからなくなっている。
 回想シーンのエドガンが突然真顔になってジャーナサンの話をするのも、ノーモーションでPLの素が出ているかんじで凄まじい既視感がある。みんなわかってくれるよな……? そしてホルガのPLはエドガンの演説中にお菓子の袋を開けてる。ずっとポテチ食ってて喋らない。

「くっ、ジャーナサンはまだか!」
「まだかじゃなくて出す予定がねぇんですわ」
「時間稼ぎするぞ! ホルガも設定喋ってくれ!」
「エドガンがだいたい全部言ってくれたしよくね? 下手に喋ると逆効果になりそうだし、芋食ってるわ」
「キャラにも食わすな」
「DM、そろそろジャーナサン来ない?」
「来ないっつってるだろ!!!」

 聞こえるぞ……セッション中のしょうもない雑談が……! このへんで遅刻したサイモンとドリックのPLが部屋に入ってくるんだよな。

 そして現実の遅刻者登場*¹の流れを汲んでか、根負けしたDMの温情か、さもなくば判定の結果によって、めでたくジャーナサンが登場。ここぞとばかりに大暴れするエドガン、ホルガがついでのように「さっき食ってた芋をぶん投げます」と宣言し、DMは頭を抱えながら導入シーンを締める。

「おとなしくしとけば恩赦だったのに……!」

 この十数分だけでチケット代の元がとれるくらい、むせかえるほどの“TRPG感”がたまらないオープニング。拍手が止まらないぜ……。
 もちろん、誰もが全くこの通りに想像するわけではないだろうが、思い思いにセッションの光景を幻視したことは想像に難くない。次元の壁をぶち破らずとも、画面の向こうに“プレイヤーがいる”のを感じるのだ。ホルガのPLは絶対ポテチ食ってる。

 ともかく、この後にも
・手縄を切る判定に延々失敗し続けるエドガン
・メチャクチャ映像がリッチなのに手短に描写される長距離移動のシーン*²
・「穏当に恩赦になっていたはずのシナリオの名残」がじんわり感じられる、指名手配中の割に人里で警戒されない一行
・データに強いが出目がお察しなサイモンPL
・ゼンクの秩序善コント
・別れ際のいいかんじな雰囲気に耐えきれず、突然岩乗り越え直進パラディンネタを挟んでくるエドガンのPL
・最終的にプランAが通ったけど、プランBの判定で粘ったドリックにもご褒美があるように、DMがフォージの脱出計画の情報渡していそう
・攻撃系のスキルがないので楽器で殴りかかるエドガン
・戦闘が長引いて疲れたDMの化身ソフィーナ

 などなど、話し出すときりがないほど“TRPG感”はストーリーの方々に散りばめられている。万人に通じる笑いどころであると同時に、わかる人にはわかる「セッション・プレイヤーのレイヤー」を一枚増やして、メタ的なギャグに落とし込んでいるのが本当に上手い。
 TRPGを知らない人は、骨太ながらケレン味のあるファンタジーを楽しめる。TRPGのオタクたちは、制作者の目配せを受け取って「サイモンはファンブラー、理解」と舞台裏を想像してはしゃげる。八方良しのいいことづくめだ。浅く広く遊んでる私ですらこんなになってるので、D&Dメインで遊んでる人なんてもうウッハウハ*³だろう。


ちょっと待てそれはまずい

 肩肘張らず自然体のメタフィクションであり、丁寧な純ファンタジーでもある……とびきり贅沢な時間を享受できる、最高メディアミックス。ゲームだからこそ許される狂気と正気のバランスを、実写でも崩壊させず絶妙なバランスで保っている傑作。映画中盤までの印象はこんなかんじだ。今までゲームの実写化で散々辛酸をペロペロした傷が癒えていくようだ。あのB級感溢れる予告動画は何だったんだ?

 まあ今となってはこれもこれで愛おしいのだが。

 益体もないことを考えつつ、予告のワンカットが本編で一つずつ回収されるたびに、私は興奮で震え上がっていた。いいぞ、劇場版D&D! このまま最後まで突っ走ってくれ!

――この見事な「TRPGを映画に落とし込んだときのメタ的な面白さ」は、しかし、ラストシーン手前で突然牙を剝いて容赦なく襲い掛かってくるのだ。

 問題となるのは、物語が一番盛り上がる例の場面。死にゆくホルガを前にして、蘇りの石板を手にしたエドガンが決断を迫られるシーンである。
 エドガンが事件に関わる動機として、娘の救出と同じくらい、妻のジアを取り戻すことも大きかったと思う。でも目の前で死にゆく人がいれば、葛藤しつつも石板を使ってしまうのだろう。大事な相棒が相手なら当然そうなる。ベタだけど素敵な展開だ。

 ところがここにTRPGの文脈が乗っかると話が変わってくる。
 ホルガはPCだ。しかもキャンペーンを最初から最後まで一緒に遊んできた愛着のあるキャラクター。
 協議の上でキャラロストもありっちゃありだが、どうせなら一緒に続編遊びたいじゃん? サイモンとドリックの恋模様も気になるのに、仲間が一人死んでたらものすごく気まずい。そりゃ石板使用で蘇生一択だろう。エドガンの動機に関わるものであっても、パーティーにとっては共有財産にあたるアイテムだしな……戦闘で事故ったときにDMが保険で準備した救済措置としての意味合いもあるよな……というある種の忖度すら発生するシチュエーションだ。
 「TRPGのキャンペーン最終話」という状況に限って言えば、エドガンはここで石板を使わないといけないくらいの強制力が生まれてしまうのである。

 前提としてベッタベタのベタな展開なのに、TRPG的にも予定調和がすぎる。メタ視点のスパイスがさらにお約束感をブーストしているのが、絶望的な逆風だ。プレイヤーのレイヤーで交わされる空気の読み合いの文脈なんて、映画でするべき話じゃない。優しい欺瞞も臭ってしまえばただのノイズだ。
 おいどうすんだよこれ!!! ここから入れる保険はないぞ!!!
 そんな風に怯え、半ば叫びそうになりながらラストシーンを見守っていた。 結論から言えば、それは単なる杞憂で、数分後の私は、ものの見事にギャン泣きすることになったのである。



私たちの本気と祈り

 徹頭徹尾、PLとPCを同期させる故に。エドガンも、プレイヤーたちも、ホルガの死という事実を安易に覆すことはできない。

 エドガンの口は回らず、言葉を失う。パーティーメンバーに問うても、起死回生の策は出てこない。レッドメイジの刃に斃れた者は石板でしか救えない。単純で絶対的な摂理があるからこそ、エドガンはここまで歩んできたのだ。
 PLにしたってそうだ。PCの死というルールは、言葉だけで安易に覆してはいけない。約束された恩赦をふいにして脱獄したって構わないが、取ってつけたようなとんちで一つの死をなかったことにするのは違う。今までたくさんの名裁定で卓を沸かせたDMも、黙してPLの言葉を待っていた。

 この時点で、彼らははっきりと決断したのだろう。
 そして淀みなく、一言一言を噛みしめるように、言葉を継いでいったのだ。

 ホルガの言葉が妻の遺志と重なる。ホルガはエドガンの妻ではないけど、疑いようもなく大切な相棒で、キーラにとっては母親とも言える存在だった。
 エドガンはホルガのために歌う。獄中でも、マーラミンと別れたときも、辛いときはいつでも陽気に歌って寄り添っていたから。
 そしてきっとDMが描写したのだろう、あの美しいトンボが登場する。妻とのあたたかな思い出が脳裏をよぎる。それと同じくらい大切だった、娘の側にいてくれたホルガとの日々を思い返す――そうしてエドガンの心に迷い込んだままのトンボは、今後こそ窓から出ていくのだ。
 サイモンやドリックのPLたちも、静かに聴き入るなり、好き勝手に描写を付け足してシーンを盛り上げるなり、共にあの一瞬を分かち合ったことだろう。

 もうね、泣きましたよ………………こんな卓の光景が見えちゃったらね……………… 今までの伏線の連なりが説得力を生んでいるとか、演出が強すぎて“予測可能回避不可能な光の奔流”を浴びてしまった*⁴とか、そういうのも確かにあるんだろうけれど、TRPGプレイヤーとしての私には、もっと根本的なところが輝かしく見えた。

 私たちの作るセッションは、素人同士がえっちらおっちら協力して組み立てるものだから、どうしても空気の読み合いは発生するし、しばしばお約束じみた展開にたどり着く。
 それでも確かに、私たちはこのセッションを「良いものにしよう」と真摯に向き合っているし、お約束の中に芽吹く奇跡を大切にしている。そこにいるGMとPLにしか生み出せない物語があるし、選んだ言葉の一つ一つは、単なる予定調和ではない。キャンペーンの中で多くの言葉を積み重ねてきた分、なおさら。

 お前の使ってくれた石板を無為にはしない。
 お情けで助けるわけじゃない。俺たちがちゃんと選んだことだ。
 なら、キャンペーンの最後にふさわしい、とびきりの演出をしないとね。

 たとえ結果は変わらずとも、欺瞞であっても、PLは、DMは、徹頭徹尾本気だった。わかりきった結末であっても、そこに至るまでの過程は、間違いなく彼らでなければ作れなかったものだ。
 あの一瞬をかけがえのないシーンにするために、セッションの参加者全員が尽くしたであろうことを、ちゃんと感じ取れた。
 だからきっと、私は、根っからのTRPGプレイヤーなのだろう。

「やにわにフォージはジャーナサンに掴みかかり、窓を突き破って飛び降りようとする……!」
「「「「ジャーナサン!!!」」」」
「が、窓はハリボテ。事前に対策が講じられていたようで、彼の企みは失敗に終わった。なんでだろうね」
「なんでですかね?」
「流石は恩赦委員会だぜ」
「それにしても、ジャーナサンを窓から突き落とすなんて信じられんな!」
「フォージ、なんてふてえ野郎だ……!」
「お前らが言うな勲章授与」
「んなこと言ったらサイモンだってなぁ?」
「フフッ……同刻、どこぞやの墓地で亡者が呟いているだろうね。『あの、誰か質問を……』」
「いや〜今日もありがとうDM! 最高のセッションだったね!」

 エピローグのプレイヤーたちを思い描きながら、私は映画館の座席に沈み込む。劇伴に混ざって日本語版のテーマソングが流れたとき、ちょっと笑ってしまった。あれ、セッションの本編が終わったあと、解散までだべる時間にGMがお気に入りの曲を流すときみたいじゃない? そんなところまで無性に「私の知るTRPG」っぽくて、泥臭いファンタジーと、スタイリッシュなテーマソングのチグハグさが無性に愛しくなったのだ。

 プレイヤー達はセッション後の心地よい疲労感に浸りながら、おやつの余りをつまみつつ、感想戦に花を咲かせる。映画館の私も、手元のポップコーンを行儀悪く流し込んで……最後まで目の前のセッションに心を同期させながら、きっと“彼ら”も楽しく語らっているのだろうと、そう思った。信じられたと言ってもよい。
 自分の悩みに、まさかここまで痛快で、爽快な標が与えられようとは。


 私は本当にTRPGが好きなのだろうか?
 生きる以上、ずっと自問し続けるのだろう。未来の私もその度苦しむけれど、いくらか自信を持って答えることができる。たぶんね。

 インスタントな快楽? 誰でも手に取れるなんて素晴らしいじゃないか。輝かしい一瞬を作るのは、言うほど簡単じゃないしな。
 半端者結構。失敗だらけのアウトローに誇りがあるように、私たちにも寸足らずを埋め合う矜持がある。
 そして……優しい馴れ合いが、本気の手遊びが、どうしようもなく心を揺さぶる真髄を宿すことがある。少なくとも、私はそう信じられる。

――私はな、TRPGを遊んでるんだよ!

 他ならぬTRPGの映画が、それを認めてくれたのだ。胸を張るには十分な理由だろう。
 たくさん悩むかもしれないけれど、また少しずつ何かを作っていこう。きっと私は、自分と誰かの真摯さを愛しながら、これからもTRPGを遊んでいくはずだ。







【脚注のようなもの】

 あなた、さてはルールブックの柱に書いてあるコラムを読むのが好きなタイプだな。

*1
サイモン・ドリックが途中から登場する理由は諸説ある。初期PC2人だった説が自然だが、私は遅刻説を推したい。TRPGプレイヤー、遅刻しがち。

*2
旅の風情感じまくりなLotRあたりとは対象的だ。

*3
インテレクト・ディヴァウラーにスルーされるPCだけで一生笑えるのではなかろうか。初心者向けに、作中でちゃんと「賢いやつを狙う魔物」と説明があるのがやさしい。

*4
ヴァイオレット・エヴァーガーデンとか、さよ朝とかのアレだ。どうなるかわかっててもメチャクチャに泣いちゃうのだ。

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