人に優しく、自分に優しく



「かっこいいものになりたい」のがマイブームです

可愛いって多分いつでもなれる。人を頼るだけな話。
お世話してくれる人っていくらでもいるし、その人に弱みをみせるだけで可愛がってもらえている気がするのだ。いままで世話してくれた人たちごめんね。今とても失礼なことを言っています。

じゃあかっこいいって?
垢抜けて韓国系男子になることとか整形して二重にしたりとか鼻を高くすること、じゃない。

誰にも依存することなく、感情の自給自足をしたいのだ。
自分が食べるもの、行きたい場所、話す相手は自分で決める。
着たい服、やりたい髪型、発する言葉は自分で決める。

そして丈夫な体を持チ ヨくは無ク
決しテ瞋らズ
イツモシヅカニワラッテヰル

どうも宮沢賢治です。










ちがうね。





まあ「雨にも負けず」は一旦置いておいて


僕の中でとーーってもわがままな考えがある。
女の人はロックな方がかっこよくて、男の人はカッコつけていない方がかっこいい

ファッションなんて詳しくないけど、よくかっこいい女の人を見かけます。喋り出したらカッコよくないのかもしれないけど、自分に似合う服を、髪色を、爪の色をまつ毛の長さを知っているんだなと。別に超、凛!!!!とした感じのおしゃれな人だけじゃなくて、ちょっとだけ芋っぽい人でもカッコよく感じます。

男は逆に繕いすぎてない方がカッコよく感じます。なんなら生活の一部を感じていたい。andymoriとか(女性だけど)カネコアヤノとか、そんな感じ。

だから「清潔感」が重要ってなるんだと思う。


雨にも負けず
風にも負けず
雪にも夏の暑さにも負けぬ
丈夫なからだを持ち
欲は無く
決して瞋からず
何時も静かに笑っている

一日に玄米四合と
味噌と少しの野菜を食べ
あらゆる事を自分を勘定に入れずに
良く見聞きし判り
そして忘れず

野原の松の林の影の
小さな萱葺きの小屋に居て
東に病気の子供あれば 行って看病してやり
西に疲れた母あれば 行ってその稲の束を背負い
南に死にそうな人あれば 行って怖がらなくても良いと言い
北に喧嘩や訴訟があれば つまらないからやめろと言い

日照りのときは涙を流し
寒さの夏はオロオロ歩き
皆にデクノボーと呼ばれ
誉められもせず苦にもされず
そういう者に
私はなりたい

宮澤賢治



人を傷つけるか自分を傷つけるか

「人を傷つけるくらいなら自分を傷つけたほうがいい」なんて嘘だ。だれも傷つかないに越したことはないでしょう?もちろん精神の成長痛は別だけど。
あなたが自分を愛しているならそんな非情なことはあなた自身にすべきではないのだ。あなた自身が可哀想だ、あなたに傷つけていいと思われているなんて。
優しさの暴力ってやつだ。

自分を愛していない、自分に興味がないというなら確かに自分が自分の身の回りの人たちの痛みを背負ってみてもいいかもしれない。
なるべく自分が好きな人に優しさを振り撒いてもいいのかもしれない。でも、それって本当に優しさなの?
少なくともそんな優しさ、俺は嬉しくない。

別にいい。
自分がされて嬉しいから優しくする。世界平和のために優しくする。
嫌われたくないから優しくする。他人に興味がないから優しくする。
なんでもいい。これらが世間に出回ってる優しさのベーシックスタイル。
他人のためにならなくても別にいい。全然マシだ。

だけどあなた自身のためにならない優しさは残酷でしかない。もう手遅れだと言わんばかりに大事に大事に「優しさの暴力」を抱え守っている。
そんなもの蹴散らしてやりたい。いつのまにかボロボロになった心が回復するように、再生するように笑い合ってお酒でも飲む時間を設けたいのだ。


100均やコンビニに売っているような優しさでも世界は回る。
「これさえ言っておけば!!優しさ感じるフレーズ集30選!!」とかもう買ってないだけでみんな頭の中に入っていると思う。架空の本。

それでも、あなたの優しくしたいという気持ちは本物だと思うから、だからなにかを犠牲にせず優しくできることって意外と少ないんです多分。



ちょっとわかりづらいね。

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