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能登半島を想う。

3月4月と何回かにわけて能登半島にボランティアに出かけた。

発災直後の「今は来ないで」が尾を引いて、なかなかボランティアも人手不足、しかも水道もふつきゆうしないし、隆起し干上がったような漁港も道路に倒れかかった家屋も長らくそのまま。4月15日の時点でも印象的には発災直後と街の見た目は変わらない状態だった。

もちろん営々と道路を中心に復旧作業は進められている。
が、十分早いかというと水道、避難所建設、そして、自宅避難者、親戚宅への避難者などへの健康管理などのフォローが特に厳しい。
被災住宅の撤去もボランティアレベルでできることは非常に限られ、道路上や、港湾、公共施設など、手っ取り早くできそうなところでも重機による大掛かりな整理はまだまだ手付かずである。

したがって、輪島朝市の焼け落ちたビル、住宅・店舗、赤茶けたサビに包まれた車などが残っている。最近(7月)大通りだけでなく、狭い街路も通れるようにはなったようだが、民有地は復興でも復旧のレベルでもない。

災害普及では被災建物の危険を取り除き、衛生上問題となる土砂や家財などをいかに生活環境の外に運び出すか、清潔な生活環境をとりあえずも実現できるか、が大切であるが、被災した廃棄物の処理は産廃処理業者が定休日あり、持ち込み物資の官庁からの仕様通りの厳しい峻別があり、東日本や、阪神淡路、熊本など、一時は24時間体制、で物資供給なども行なっていたのと比べるとどこか差異がある。

時代も変わっているから、従事者のお休みも必要だろうし、環境を大事にするのと地方、ゴミの分別はとても厳密である。それは良いところなのdが、非常時、である雰囲気がなく、外来者が見ると被害状況に唖然とするのである。
そもそも、最初にやるべき、応急危険度判定が県の見積の数万件分、が過少で、国がそのまま打ち切ってしまった。結果として、判定がなされていない住居にジャッキや支保工を入れて、片付けている。あぶない、これ、と思うところでも活動して経験も一度や2度ではない。黄色でもない、赤だ。

現場で一番疲弊しているのは、他府県応援の職員含めた社協職員であろう。でも、非常時と考えると、ボランティアのマッチングは丁寧すぎて、短い活動時間はさらに短くなるし、金沢方面からの移動もかなり良くなったとはいえ、高速道路をビュンと走ってつきました!というわけにはいかない。段差や崩落箇所の迂回などがあり、スピード出せない、パンクする。さらにボランティア要請があると、社協職員がまず見にいっている。いきなり言ったらええやん。大軽自動車とワゴンに乗れるだけ連れていくでいけると思うのだが。また、隣の瓦礫は要請がない限り、処理しない、ことになっている。揉めるだろうかなあ?結果、路上に綺麗なところと、瓦礫だらけのところが線をひいいたように、残る。(今はだいぶ片付いたろうか?)

鉄道もなあ、蛸島まで廃止しなければよかったなあ、ともったいなく思える。
して、金沢は平和そのもの、外国からの観光客が綺麗になって被災するしていない金沢城や兼六園を楽しんでいる。
石川県行き全体としてどうなんだろう。

とにかく、災害ゴミのない、環境、道路や港に瓦礫のない環境を、早くと願ってならない。重機とボランティアのコンビネーションの外部者が仕切り、リーダーとなる部隊なんかももっと受け入れながら、非常時の対応を最初にやり、今は来ないで、アナウンスも解除の方法を考えた上でやればよかった、とまあ、8月間になってグチにもならない。今は危険な暑さ。地元の事業者、官庁職員は大変と思うが、今一度、災害関連死がこれ以上出ないようなカイゼン策を考えてほしい。9月になれば、またいく!

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