アジアオープンの思い出

今デラヒーバカップのセコンドで綾瀬の東京武道館に向かっている。この会場は過去に何回もアジア選手権が行われた思い出深い会場だ。せっかくなのでアジア選手権について語ってみようと思う。

基本的に土曜日が仕事の僕にとって、アジア選手権はあまり縁がない大会だった。
黒帯になって出れたのは2012年の1回のみ。
2013年以降はワールドマスターとの兼ね合いもあり更に休み辛くなり、現役時代に出たのは先にあげた2012年と、茶帯で出場した2008年のみ。

2008年に茶帯で出たのは良い思い出だ。
芝本さん、松本義彦、若林二郎さん、新井孝太郎さん、北村くん、そしてブラジレイロ優勝のパブロ・シウバ…
そうそうたる顔ぶれだった。エントリーは総勢16人位だった気がする。当時の柔術人工的にアダルトの茶帯で16人のトーナメントが組まれることなんてなかったので、ちょっとびっくりしたのと、エントリーリストを見てテンションが上がったのを覚えている。

優勝候補はその年のブラジレイロ王者であるパブロ・シウバと、その年のパン選手権王者の松本義彦。僕はというと、当時はその他大勢の位の選手に過ぎなかった。

この大会は初めて両親を会場に呼んだ大会でもあった。当日の柔術歴はまだ4年程度であったが、当時の集大成を見せたいという思いから、両親を呼んだ。後にも先にも親を呼んだのはこの時だけ。

結果は1回戦で優勝候補のパブロ・シウバに4-0で敗れた。ホレッタ系のスイープで2回転がされ、僕のスイープはありえないムーブで切り返され完敗。結果として負けはしたが、全力でやり切ったこともあり、後悔は全くなく、さらにこの先練習して強くなってやる、という思いがより一層強くなった。

決勝はパブロと松本でパブロがパスして3-0で優勝した。その後パブロ・シウバは黒帯昇格し、更に2010年には黒帯世界王者に。


ちなみに試合が終わり両親の元に行くと「なんかよく分からなかったけど必死なのだけは伝わってきた」という至極当たり前の感想が返ってきたのは言うまでもない(笑)

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