why to不定詞は文法的である

はじめに

疑問詞にto不定詞句が後続する形(WH to doと表します)があります.日本の学校英文法では準動詞句は句であって節ではないと言われますから,節を後続させる疑問詞にto不定詞句が続くのは変な感じがします.(というわけで,慣用表現なので覚えなさいという戦略がとられます)しかし,欧米の英文法書ではto不定詞句は非定形節という扱いを受けますから,疑問詞にto不定詞が続いても問題はありません.用例としては以下のようなものがあります. (Huddleston et al. 2002).WH to doは名詞のかたまりを形成しますが,主語にはならないという特徴があります.

  • VP内の補部:I don't [know whether to accept their offer].

  • AP内の補部:I'm not [sure how to proceed].

  • PP内の補部:They can't agree [on what to do about it].

  • 名詞の補部:A [decision whether to go ahead] hasn't been made.

WH to doの内部では主語が明示的になってはいけませんので,for + 名詞句が使用された*whether for her to accept their offerや*how for them to proceedという形はありません.WH to doの意味上の主語は生起した環境から導かれますから,上記の例の上から3つは主語が主節の主語と一致します(I, I, Theyです).4つめの例では,主語は文脈上の誰かで特定されていません.

WH to doでは「受け入れるべき」「進むべき」など,shouldと置き換えられる義務的モダリティの意味が含まれています.Huddleston and Pullum (2002)ではこの種のモダリティの意味はbe to不定詞に含まれるものと同じと分析していますが,何らかの関連があると考えるのは自然でしょう.今回はこのWH to doに関する話です.

why to doはある

WH to doで話題になるのが,whyにこの形は可能なのかという問題です.とりあえず,2冊の英語総合書 (Evergreen, Genius) では「why + to不定詞という形はない」と記述しています.20世紀の欧米の英文法書でもwhy to doは使用不可という記述をしているものが多く,また1950-60年代にかけての言語学の研究でもそのような記述があります.母語話者の最初の直観としては,やはり変な感じがするのかもしれません.

しかし,実態としてはどうなのでしょうか.BNCコーパスで調べたところ,この用例は12例見つかりました.


BNCの検索結果

Ludwigでも2つの用例が見つかりました.


Ludwigの検索結果

このように現実の用例としては普通にありますし,入試問題でも滋賀県立大学で出題例があるようです(https://twitter.com/Takeshi_jpn/status/1577149463293878272?s=20&t=AZ15GswyV5rjrRF8Nwjn2g).

また,Duffley and Enns (1996)でも,かつての文法書でwhy to doは不可能という扱いを受けてきたが,これらの用例を通してwhy to doはあるという見解を示しています.


Duffley and Enns (1996; 228)

また,安藤 (2005)も実際の用例を指摘し,why to doは可能としています.というわけで,why to doは存在すると考えた方がよさそうです.(ただし,why to doが存在するのは平叙文であって,疑問文ではwhyは原形不定詞で使用され Why give a bribe?,to不定詞はない*Why to give a bribe? (cf. When (to) give a bribe?, Where (to) give a bribe?, How (to) give a bribe?, What (to) give as a bribe?) という一般化は正しそうです).

why to doの性質

さて,why to doがあるという見解を採用するにあたって,少なくとも以下の問いには答える必要がありそうです.

  • why to doがなぜ生産的ではないのか(母語話者の第一印象としてはなぜ存在しないように感じられるのか).

  • why to doの構造・意味がどうなっているのか.

why to doの分析に関して,安藤 (2005) によれば,JespersenのA Modern English Grammarに既に記載があるようです.Jespersenによれば,why以外の疑問詞では以下のようにbe to不定詞の省略,whyの場合には法助動詞の省略があるために,why以外の疑問詞ではto不定詞句が後続可能,whyの後ろには原形不定詞のみ後続可能という事実の説明が可能であるということです.

  • What am I to do?

  • Why should you not do it at once?

    しかしながら,これは事実に沿う形で結果から逆算しているだけ(事実を言い換えただけ)なので,あまりいい分析であるとは言えません.結局のところ,なぜwhyの時にbe to不定詞が不可能なのかという説明にはなっていないからです.

というわけで,分析の基本線としてはwhyの意味とto不定詞の意味に依存する形でするのが適切であると思われます.この見解は,1966年出版の大修館の『英語語法大事典』,久保田 (1989),Dixon (1991), Duffley and Enns (1996)の主張とほぼ同様です.

WH to doでは義務的モダリティの意味が含まれます.これによって命令的な意味が含まれることになります.命令的な意味は,主張されている時点において成立しているものではなく,これから行われることという意味が基本になります.しかし,慣用的に何度か使用されていくと,現時点ではまだ実現していないことであっても,やり方,方法,あり方として確立していき,より一般的な事実を表す場合にも使用されるようになります.こういう状況は,過去の具体的な事実とは全く正反対であると言うことができます.しかしながら,whyで尋ねる理由は,動作主で表現される主語が含まれるような具体的で個別的な事象が多いようです.そのため,whyとto不定詞句は相性が悪いという直観が働くようになるのではないでしょうか.

一方で,whatやwhoといった動詞の項になるwh句は過去の具体的な事実であっても話題にできます.また,howという様態や程度に関わる疑問詞に関しても動詞句が表す意味で十分にカバーできる範囲のことが話題にできます.ですから,why以外の疑問詞では,個別的な事象であってもWH to doの形が可能になるのかもしれません.(to不定詞による義務的モダリティの意味はそこまで強くはないということかもしれません)

why to doが認可される状況は,他のWH to do(特にhow to do) と並列されている時で,「〜する(一般的な)理由」という形の読みである用例が非常に多いという特徴があります.ですから,「はじめに」で挙げたような意味上の主語が主節の主語(特にIなどの個人的な行動や動作)と一致するような事例はありません.見つかった用例では,少なくとも全てにおいて,話し手や聞き手を含むことが可能な一方で,常に一般的な人々にも当てはまるような言及のみが可能となっています.I can tell you why to love.という例にしても,「愛する理由」という意味であって「私が愛する理由」という個人的な体験を語るわけではありません.Rather, we've learned some useful life lessons about how and why to eat.という例でも「どうやって食べるのかとなぜ食べるのか」という意味であって,この主節主語のweのみに当てはまる食べ方と食べる理由ではなく,もっとより一般的な事象を語っているように感じられます.

そして,一般的に当てはまるはずだという期待が,話し手の願望や期待に添う形で,他の人にも当てはまるべきであるという規範的な意味,主張につながることもあります.Duffley and Enns (1996)の3つの用例は,老人が誕生日を祝った後ですぐに亡くなることが多いことから,「なぜ(我々が)誕生日を禁止すべきか」という文脈,ラジオのパーソナリティがリスナーに呼びかけている文脈,カナダ憲法の国民投票においてYesに投票すべき理由について語っている文脈で,これらにはweが意味上の主語として含まれていると考えた方がいいでしょう.

というわけで,why to doは許容可能な表現なのですが,より汎用性,一般性のある理由,「なぜ〜するか」という意味を表すのみにのみ使用可能な表現であって,他のWH to doとは違って,個別的な,主観的な意味を表すことはできないというのがより妥当な観察のような気がします.少なくともwhy to doは非文法的という一般化は適切ではないでしょう.

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