言語沼から底なし沼へ


ゆる言語学ラジオから登場した『言語沼』という本がかなり好評のようです.

言語沼

この本では,言語研究を通して得られたキャッチーな事実がおもしろおかしく書かれています.それで,スゲー!とか,納得!という反応の他にも,本当に?という疑問の声を持った人もいるかもしれません.この本には言語学という沼にはめるだけの力があると思っているのですが,言語研究者としてはそこは底なし沼であるということを見せてみたいと思います.

音象徴

現代言語学では,言語の語彙の大半には音声(ないしはサイン)がある種の概念を指し示す働きがあり,その関係は慣習により支えられた恣意的な関係,つまりある概念が特定の音声で指し示されなければならないという必然性がないと考えています.ですから,日本語で「ウサギ」と呼ばれる動物は,英語ではrabbitと呼ばれたり,フランス語ではlapinですし,中国語ではtuziと呼ばれています.親戚関係にないそれぞれの言語において,音声上の類似性はないというのがよく分かるかと思います.

一方で,特定の音声は特定の意味合いを持ちやすいとする音象徴と呼ばれる現象も知られています.これを示す有名な実験に,マルとミル実験があります.元々はアメリカ人を対象としたものですが,以下のもののうち,どちらかがマルでどちらかがミルであるとすれば,どちらがマルのように感じられるでしょうか.


マルとミル

実は多くのアメリカ人にとって,大きな方がマルで小さな方がミルだと感じられたというのです.日本語を母語とする人たちにもほぼ同じ結果が得られます.マルとミルではaとiという母音の音のみが違い,その他の条件は同じです.ですから,aは大きなものと結びつけられ,iは小さなものと結びつけられるということが言えそうです.英語母語話者相手にも日本語母語話者相手にも同様の結果が得られたことから,この種の結びつきは母語の知識に影響されない普遍的な現象のようだという仮説を立てることができます.

この理由としては,「あ」は口を大きく開けて発音し,「い」を発音する時の顎の開きは小さいという身体的経験がありそうだと言われています.大きな声は強くて大きなもの,小さな声は弱くて小さなものと結びつきやすいというのです.

音象徴をきっかけに,音声学の基礎的な話と結びつけ,非常に興味深い言語学の入門書になっているのが『音とことばのふしぎな世界』です.『言語沼』の元ネタはこの本か,同じ著者による『「あ」は「い」より大きい!?』のどちらかであると思われます.どちらも優れた書籍でオススメです.

しかしながら,この音象徴という現象はどこまで信じていいものか,謎な点もけっこうあります.Diffloth (1994) ("i: big, a: small", in Sound Symbolism, Cambridge University Press, pp. 107-114) は,ベトナムのナバール語では,「い」と「う」が大きいもの,「え」や「お」が小さいものを指し,英語のbigに「い」が含まれていて,smallに「お,あ」が含まれているのもそのせいだという真逆の主張が見られます.『言語沼』でも堀元さんがbigを反例として挙げていますが,不思議なことではなかったのですね.

また,言語には指小辞と呼ばれる,名詞や形容詞について小さいもの,かわいいものを表すという接辞があります.音象徴を支持する人たちは,英語の接尾辞の-yがその例だと言っています (e.g. dad → daddy).しかし,日本語で使われている「〜たん,らん」といった接尾辞はどうでしょうか(e.g. のんたん,さくらたん).基本的に女性やかわいいものにつけるものであって,「ゴジラたん」はかなり形容矛盾な雰囲気があります.ta, raは共に「あ」の音を含みますから,これも反例になりそうです.指小辞は色々な言語に見られる接辞ですが,他にも音象徴とは逆の予測をするような例として-el(ドイツ語),-etto(イタリア語),-ette(フランス語),-ka(ロシア語)など,たくさんあります.ロシア人とウォッカの関係を考えると,ロシア語のvoda(水)→vodka(ウォッカ)といった変化に込められた愛情を妄想せずにはいられません.また,英語であってもオーストラリア英語で見られる省略語の末尾につく指小辞の-o (afternoon → arvo)や,-aという指小辞の例 (Gascoigne → Gazza) も,イギリス人やデイヴィッド・ベッカムから深く愛されたガスコインのことを思い出してしまいます.つまり,指小辞において音象徴の影響があるとはなかなか言い難いのです.

しかし,音象徴はあくまで傾向であって,反例の存在は痛くもかゆくもないと言われるとどうしようもありません.ただ,言語学の一般的なコンセンサスとしては,予測性のない仮説はあまり検証しないという前提があるのも大事にしたいものです.マルとミル実験や他にもブーバキキ効果(以下の画像参照.トゲトゲした方がキキで丸い方がブーバという印象を感じる人が多い)のことを考慮に入れると,音象徴は全くのデタラメとも思わないのですが.


ブーバとキキ

かわいい名前とツンツンした名前

音象徴効果の延長ですが,Perfors (2004) (What's in a name? The effect of sound symbolism on perception of facial attractiveness, Proceedings of CogSci) の研究で,女性の名前は共鳴音が入っている方が魅力的だとする指摘があり,さらに川原繁人さんが阻害音の多いメイドさんはツンデレ系である主張しています.つまり,阻害音には角張った男性的なイメージ,共鳴音には丸い女性的なイメージがあるというのです.大雑把に言えば,阻害音には濁点がつき,つかないのが共鳴音という特徴があるので,以下のように分類できます.

  • 阻害音:か行,さ行,た行,パ行,は行

  • 共鳴音:な行,ま行,や行,ら行,わ行

これらの音が持つ印象を,音声学などなにも考慮していないと考えられる一般的な人たちはどこまで意識しているのでしょうか.とりあえず明治安田生命の2022年の名前ランキングを参照すると,男の子の方は半々,女の子の方は少し共鳴音が多めという分布になっているようです.

  • 男の子:ハルト,アオト,リク,ミナト,ハルキ

  • 女の子:エマ,メイ,サナ,ミオ,イチカ

しかし,実際のところ,名前から受ける印象は音声学上の要因も多少はあるのでしょうが,実経験からのものも大きいのではないでしょうか.人にはそれぞれ印象のよい名前とそうではない名前がありますし,共鳴音や阻害音から受ける音声学上の印象だけで考えるのであれば,「やめ」や「さへ」といった無意味語の印象について実験した方がよさそうな気がします.

たとえば,共鳴音たっぷりの音であっても「まりん」という女性の名前を聞けば,今の40代には主人公をスパルタで鍛え上げる厳しい女聖闘士を想像する人が多いのではないでしょうか.

また,阻害音だけの名前でも「かほ,しほ,さき」といった名前は,個人的にはツンツンな感じよりは柔和な印象が先立つ気がします.

それに魔女の宅急便のキキちゃんは,ツンデレキャラではありませんよね.

そういうわけで,音声学のイントロのネタとして音象徴を使う意義はかなりありそうなのですが,音象徴という現象自体は予測性もなく,検証するのがなかなか難しい沼であるということが言えそうです.「なぜ?」という問いに答えるには,まだまだ越えなければいけない壁がたくさんあるようです.言語学はもっと因果推論について考えていく必要のある学問なのでしょう.


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