ヒトってどんな生物?

一人の人間は弱い

現在,地球上で一番繁栄している生物は我々,人間だと思われます.地球上のどの大陸,場合によっては海上にも住んでおり,国連人口基金によれば2021年の世界人口は78億7500万人だということです.

これだけ繁栄しているわけですから,当然,人間は「強い」生物のように思われるのですが,実際のところ,人間の一人一人はまったく強くありません.たとえば,鳥を一羽だけ捕まえて,生息圏に放してもおそらくそのまま生きていくことはできるでしょう.人間に近いチンパンジーに関しても同様です.しかし,人間は一人で放り出されてもどうしようもありません.登山の帰りに迷子になって一人になると死んでしまう人は多いですし,いきなりジャングルの奥地に一人で放り出されると,3年どころか,1年も生き延びることはできないでしょう.

それでは,異種格闘技戦ではありませんが,人間が他の動物と戦えばどうなるでしょうか.まず,日本の動物でいえば,ヒグマには決して勝つことはできません.死んだふりをしても無駄です.目を合わせたまま後ずさりして,そのまま興味をなくしてもらうことを祈るのみです.北海道の開拓にあたっては,多くの和人がヒグマの犠牲になった話がありますし,現在でもヒグマには最大級の警戒をしています.日本の外に出ますと,ヒョウやトラ,ライオンなどには敵うはずがありませんし,カバやゴリラなどにも立ち向かうことは不可能です.そして,実は犬にも(小型犬は除きます)勝つことはできません.軍用犬や警察犬は訓練されているので人を襲わないですが,襲われたらひとたまりもありませんし,犬の噛む力は相当に強いですし(人間の4倍以上あると言われています),予防接種が一般的でなかった1950年以前には,日本でも狂犬病で死ぬ人がたくさんいました.

それでは,一人一人はとても弱い人間がなぜこれほど繁栄することができたのでしょうか.

人間の強み

さて,一人一人はとても弱い人間ですが,その強みはなんでしょうか.それは何と言っても,集団になれ,協力できるということにつきます.たとえば,霊長類でもチンパンジーやゴリラは群れを形成することが知られていますが,ゴリラはだいたい20頭や30頭の群れが多く,50頭はいかないのが普通です.基本的にはボスである雄が一頭,それに複数の雌とその子供たちという構成になっています.また,チンパンジーは複数の雄と複数の雌が一緒になって暮らしていますが,だいたい20頭から100頭程度の規模で群れを形成しています.

ところで,人間はどうでしょうか.人間の集落ではもっとたくさんの人が暮らしていますし,万単位の集落を形成することも可能です.一つ一つの集落が小さくとも,他の集落と連携したりするので,間接的な関係も含めればチンパンジーやゴリラの群れよりは相当大きいと言うことができます.戦争や大飢饉や疫病の大流行などがなければ,基本的には混乱は起こしませんし,大規模な集団で協力し合うことも可能です.これくらい大きな集団を作るのは,他には渡り鳥くらいなものでしょう.

さて,そのような集団を形成するための素地になっているものは何でしょうか.最も重要なものの一つに,幻想を共有でき,知識を伝えて発展させることができるという能力があります (Harari 2015, Harari 2017).人間の集団では,支配者たち,ないしは共同幻想としての神など形而上学上のものに対して,大きな価値を付与することができます.王族や皇帝に関する神話や,宗教といったものがそれで,この種の共同幻想に基づいて集団間の結束を固めることが可能になります.また,権力性を持たせることで,上の立場の集団がより多くの集団に対して支配するための理由を付与することも可能になります.また,未来や架空のことについても知識を共有することができます.それより何より,経済観念,つまりお金という共通の価値を共有することができ,交流のない集団間でも取引をすることが可能になります.アメリカに恨みを持っているイラクやニカラグアの人たちも,アメリカドルは信用し,そして大量のドル紙幣には好意すら持っていることでしょう.そして,この種の社会集団を支える根本に言語能力があることは間違いありません.つまり,人間は言語を使用することによって,大きく,そして協力し合うことが可能な集団を形成することができるのです.そういった社会集団の成員になることによって,人間は生き延びることができ,そして天敵にも勝つことが可能になったというわけです.

人間という種

現代人は生物学の学名でホモ・サピエンスといいます.学名は,ラテン語を使用して,種と属という2つの分類を使用する名称なので,英語でbinomen, binominal nameという言い方をすることもあります.カール・フォン・リンネという18世紀のスウェーデンの生物学者が提唱しました.1つ目のホモは属という分類単位の名称で,2つめのサピエンスは種というさらにその下位区分の分類単位の名称を表すという形になっています.

ホモ・サピエンスは男性が平均身長170cm前後,女性で160cm前後と言われていますが,多少の変動があることがわかっています.たとえば,日本人の平均身長は,縄文時代が158cm程度,古墳時代に163cm程度になり,その後,減少傾向を辿り,江戸時代には155cm程度であったと考えられています.江戸時代やそれ以前に建てられた建物に入ったとき,天井が低いという印象を持ったり,戦国武将の鎧の大きさが存外小さかったという感想を持った人はいるのではないかと思います.

欧州では,18世紀のイギリス人,ドイツ人,スコットランド人が165cm前後,同時代の北米の男性奴隷が170cmといったデータがあります.古くは古代ギリシア時代の人たちの身長が163cm前後であったと考えられていますが,この程度であれば,ホモ・サピエンスの標準的な範囲であると考えられます.そして,脳容積はおおよそ1,400cc弱でそれほど変異はないと考えられています.

また,肌の色が異なっていたり,目の色が異なっていたりすることがありますが,人種による変異がほとんどないということが知られています.オリンピックなどで一流のスポーツ選手を見ていると,黒人選手がやたらと強かったり,南米や欧州の人たちがやたらとサッカーが上手だったり,メジャーリーグの中南米の選手の身体能力がやたらと高いような印象を受けたことはないでしょうか.実際,東アジアの多数派であるモンゴロイドに運動は向いていないのではないか,と考える人も少なくありません.

しかしながら,これは個体差の方が大きく,人種は運動能力を決める決定的な要因ではありません.私の友人にも,黒人でスポーツが苦手という人がいます.逆に,大谷翔平選手などモンゴロイドでも身体能力に優れた選手も存在します.問題は個体差であり,また,その違いは同じ生物種の範囲内でしかありません.生まれ育った環境によって,特定の能力に秀でる人たちが多数輩出されるということは確かにありますが,それは人種が原因ではありません.

地球上の広範囲に渡って,77億もの個体がいるのにも関わらず,この画一性は驚きです.たとえば,南極以外の全ての大陸にいると言われているネズミであっても,その種数は2000~3000とも言われています.また,犬なども地球上に多数存在していますが,見た目や大きさなどが異なる様々な犬が存在するということも周知の通りです.そして,現存するヒト以外の霊長類は基本的に熱帯か亜熱帯に生息しています.それ以外の地域には存在していません.

それでは,同じ種であるということは,どういうことを基準に決めるのでしょうか.一番,決定的な要因になるのは,交配して子孫が残せるかどうかということです.ですから,600~800万年前までは祖先を同じくしていたと考えられるホモ・サピエンスとチンパンジーは,交配して子供を作ることができませんから,別の種であると言うことができます.ホモ・サピエンスとゴリラについても同じことです.シャバーニという東山動物園のイケメンゴリラが話題になることがありますが,シャバーニをゴリラとしては魅力的だと思っても,シャバーニ相手に本気でときめいて,結婚したいと思う人はいないでしょう.

また,異なる種であっても,交配して不妊の子供が生まれることはあります.ウマとロバが交配して,ラバやケッテイという子供が生まれたり,ヒョウとライオンからレオポンという子供が生まれるという話は有名です.しかしながら,ラバ,ケッテイ,レオポン同士が交配して,新たに子孫が生まれることはありません.つまり,一代きりの雑種しか生まれない生物同士も,類似した種ではありますが,異なる種であると考えられています.どのような人種であれ,交配して子孫を残すことが可能ですから,ホモ・サピエンスはどの人種であっても同じ種であると言うことができるわけです.

ボトルネック効果

ホモ・サピエンスは,肌,目,髪の色などが異なりますが,基本的にそれほど違いがありません.障碍などがなければ,二本足で時速3km前後で歩けるようになります.50cm程度の高さを飛び,30kgから50kg程度の握力を身につけます.二本足よりも四本足の方が速く走れ,時速100kmで走り,50mの高さを飛び,1トンの握力を身につけ,空を飛ぶことができるような人はいません.それぞれの項目において,大なり小なり個人差がありますが,おおよそ標準的な範囲に収まります.

数百年前,数十年前までは,見た目の違いや言語が違うと他の生物,下等な人間であると考える人たちが多数派でした.たとえば,知性と教養が必要なラテン語は野蛮人に話せない,蛮族に中華の言葉は話せないといったような考え方です.しかし,これらの考え方は誤りであるということが分かっています.ラテン語を母語として使う人はいなくなってしまいましたが,人種によらず,ラテン語を学習して習得することは可能です.中国で生まれ育った子供は,人種に関係なく,中国語を使うことができるようになります.中国で暮らさなくとも,外国語として中国語を学んで使いこなすことができる人は,東アジア以外にもたくさんいます.運動能力に比べれば,言語能力の変異はさらに小さいと言うことができるでしょう.そもそも一人だけ突出して変わった言語を使うようになったとすると,誰ともコミュニケーションがとれなくなってしまいます.

現代のホモ・サピエンスは変異がとても小さいわけですが,この理由としては,色々な仮説が議論されています.たとえば,氷期が幾度となくあり,そのたびに食料が激減してしまって,生存できたホモ・サピエンスが少なくなったということは間違いなくあるでしょう.特に,7万5千年~6万年前辺りの冬期化現象はかなり厳しく,大きなダメージであったということが示唆されています(一説に,インドネシアの火山,トバ山の噴火による火山灰が太陽光を遮ったというトバ・カタストロフ理論というものがあります).また,7,000~5,000年前前後に,生殖行為を行い,子孫を残すことができた男性が17人に1人という割合になってしまったということもあります.

このように,男性だけが少なくなったという事実は,なぜわかったのでしょうか.その原因は男性が持つY染色体にあります.ホモ・サピエンスには46本の染色体があり,44本の常染色体以外の2本の染色体は性染色体と呼ばれます.性染色体にはX性染色体とY性染色体の2種類があり,男性はX性染色体とY性染色体を1つずつ,女性は2つのX性染色体を持っていることが知られています.子供は両親から性染色体を1つずつ継承することになり,Y性染色体に関しては父親からのみ受け継ぐことになります.そして,突然変異がなければ,祖父から父,父から息子への継承に際して,Y性染色体が変化することはありません.そのため,男性が大量に亡くなると,亡くなった男性の分のY性染色体がなくなってしまうのです.調査は,こういう染色体の性質に基づいて進められました.

生殖行為ができた男性が少なくなった地域は,アフリカ,ヨーロッパ,オセアニア,アジアと広範囲に渡っています.つまり,男女の産み分けなど特定の文化要因が原因であると考えるのは難しそうです.また,漫画の『大奥』のように,男性にだけ蔓延する伝染病などを想定するのも難しそうです.

この発見をしたKarmin (2015)は,その原因が世界的な文化的変化にあるという仮説を立てています.この時期には,文化・生活様式に大きな変化があり,農耕牧畜などの新石器革命が起こりました.まず,紀元前10,000年から8,000年頃にシュメールで起こり,他にも紀元前9,500年から7,000年頃にインドやペルーでも起こりました.また,紀元前6,000年頃にはエジプト,紀元前5,000年頃には中国でも起こっていたことが分かっています.つまり,農耕牧畜が定着し,富の格差が生まれ,一部の男性のみが女性を独占したことが原因である可能性があります.また,Zeng (2018)は色々な仮説を検証し,集団間で戦争が起こり,負けた側の男性が殺されたという可能性が高いということを示しています.これらの研究によって,決定的な原因が解明されたとは言い切れませんが,特定の男性の遺伝子のみが受け継がれたということだけは,遺伝学的な観点から「事実」であるということが分かっています.

こういう現象によって遺伝的変異が少なくなることを,ボトルネック効果(瓶首効果)と呼ぶことがあります.つまり,当初は色々な種類の人間がいたわけですが,絶滅の危機などでその数が極端に少なくなったりしてしまうと,その後に生息数が復活したとしても同じ個性の人間ばかりになってしまうわけです.これがちょうど,ボトルネックのように細かい通路を辿るような経緯を経てしまうことから,こう呼ばれているわけです.理由はともあれ,この限られた小数のホモ・サピエンスが現在の人類の祖先であったという証拠は,遺伝学の観点からも示されています.

生物としては,多様であればあるほど,生存する可能性が高まります.なぜなら,たとえば,ある感染症が流行ったとしても,それに耐性のある人がいれば生き残ることができるからです.逆に全ての人間が特定の感染症に弱かったとすれば,すぐに絶滅してしまいます.鹿児島県立博物館のたとえを使用させてもらえば,グー,チョキ,パーの個体が乱立している間は,グーの強い軍勢が攻めてきても,グーとパーがいるので対応することができます.しかし,ボトルネック効果のせいでチョキしかいない個体群があるとすると,グーが攻めてくればどんなにその個体の数が多くとも,そこでおしまいになってしまいます.植物の例になりますが,19世紀に起こったアイルランドのジャガイモ飢饉では,100万人以上が亡くなりました.ジャガイモは塊茎を植える無性生殖による栽培法を用いるため,品種に偏りがあり,遺伝的多様性がほとんどありませんでした.そのため,ジャガイモのほとんどが同じ菌に対して耐性がなく,壊滅に近い状態になってしまったわけです.現代では,流通しているバナナの大半がキャベンディッシュというものなので,キャベンディッシュに耐性がないようなウイルスが蔓延するとバナナが絶滅するという可能性が示唆されています.スーパーに行けば,リンゴやイチゴの種類が豊富なのに,バナナに種類がないのはそのためです.数が多くとも,遺伝的多様性のない生物集団は常に絶滅の危機に晒されているとも言えるわけです.そういうわけで,現在のホモ・サピエンスは多様性が実はあまりない均質的な集団であり,生存戦略上,不利な立場にいると言うことができるのです.では,こういったボトルネック効果が起こる以前はどうだったのでしょうか.実は,ホモ属はとても多様であったということがわかっているのです.

交雑する人類

ホモ・サピエンスは現存する唯一のホモ属ですが,かつてはさまざまな人類がいたことがわかっています.現生人類につながるホモ・サピエンスが存在した証拠は,エチオピアのオモ・キビシュの19.5万年前が最古というのが通説でした.しかし,2019年にボツワナのマカディカディ塩湖--オカバンゴ湿地で24~16万年前にホモ・サピエンスが誕生したと考えられる証拠が見つかりました.また,モロッコのジェヴェル・イルードの地層から30万年前のホモ・サピエンスと思われる頭蓋骨や複数の石器も見つかっています.他にも,イスラエルで13~10万年前にホモ・サピエンスがいた形跡が見つかっています.彼らは身長が170cm前後,体重が60kg以上と見積もられ,現代人とあまり変わりがないと推定されています.

遺伝学といって,ゲノムの配列を分析する研究があります.ゲノムの文字列間の差異が,変異によって1000文字に1つの率で書き換えが起こるということが分かっているので,これを利用して,系統や変化を調べるわけです.ミトコンドリアのDNAは,ゲノムの20万分の1に相当し,母系に沿って受け継がれていきます.このミトコンドリアDNAの文字を解読し,母系の系統樹をアラン・ウィルソンたちが分析したところ,世界中のホモ・サピエンスには,およそ16万年前まで共通の祖先がアフリカにいたということがわかりました.そして,30万年から20万年前にホモ・サピエンスが存在した痕跡はほぼ全てアフリカで見つかっており,それ以外の地域では中東を除き,10万年より古いホモ・サピエンスの形跡は見つかっていませんでした.しかし,2019年にカテリナ・ハヴァティたちが,21万年前のホモ・サピエンスの頭蓋骨が新たにギリシアで見つかったという論文を発表しました.この辺りの研究は現在,新たに色々なことがわかってきている状態です.

ホモ・サピエンスは中東を経て,インドに7万4千年前にいた形跡があり,中国では12万~8万年前のホモ・サピエンスと思われる歯が見つかっており,インドネシアでも7万3千~6万3千年前のホモ・サピエンスの歯が見つかっています.さらにオセアニアには6万5千年前,おそくとも5万5千~5万年前には到達したということがわかっています.アフリカを出て,広くユーラシアに出て行くには中東を経由する必要があります.そして,東に向かってアジアを目指す場合にはアラビア半島の内陸部,ヨーロッパを目指す場合にはアラビア半島の北部,地中海に面しているレバントを経由する必要があります.40万年前頃に降水量が増えたせいで,アラビア内陸部はちょうどアフリカのような気候になり,5つの湖が形成されていたようです.そのあたりで発見された石器は両面が削られたアシューレアン石器で,アフリカで長く使用されていたものと同一であることが分かっています.また,20万年前,13万~7万5千年前,5万5千年前の石器も見つかっており,これらはアフリカで見つかっているような旧石器時代中期の頃のものと同一であることがわかりました (Groucutt 2021).

これらの石器を誰が作ったのかは確証はありません.アラビアでは8万5千年前のヒトの指の骨,13万2千~10万2千年前のホモ・サピエンスの足跡が見つかっています.レバントでは17万7千年前頃のホモ・サピエンスの骨が見つかっており,20万年前以降にアラビア内陸部で作られた石器を作ったのはアフリカを出たホモ・サピエンスである可能性が非常に高いと言えます.アラビア半島は氷期や間氷期には厳しい気候だったようですが,それでもアフリカのモンスーンによる夏の雨などが降り続くことにより,温暖で降水量の多い時期がたびたびあったようで,その頃にホモ・サピエンスやカバなどがアフリカから移り住むことがあったと考えられています.

また,ホモ・サピエンスの脳容量は1,400cc前後で比較的,安定的なバランスを保っていますが,脳の大きさが一定するようになったのは10万年前前後のことだと考えられています.ホモ・サピエンスが出アフリカを果たし,ヨーロッパに到達した頃,そこにはネアンデルタール人こと,ホモ・ネアンデルターレンシスがいたと考えられています.ホモ・ネアンデルターレンシスは,およそ77~50万年前,ないしは2018年の推定値で47万~36万年前にホモ・サピエンスと分化し,3万9千年前くらいに西ヨーロッパから姿を消しています.

ホモ・ネアンデルターレンシスは,骨が頑丈で,がっしりとした体つきであったと考えられています.胸筋が大きく,かなり筋肉質であった様子がうかがえます.鼻が突き出ていて,頬骨が下に曲がっていて,おとがい(下顎)がないという特徴がありました.そして,脳容量はばらつきが大きく,平均が1,500cc弱ですが,1,600ccを越えていそうな頭蓋骨も見つかっています.つまり,脳の大きさだけを見れば,現生人類よりも大きい個体がいたということがわかります.

また,ルヴァロワ技法というやり方で複雑な石器を作っています.この技法は,ホモ・サピエンスの後期石器時代に匹敵する技術が必要であったことがわかっており,一つの原石から大量に石器を生産することができています.そして,カバノキの樹皮の乾留によってタールを製造し,石器の先端を木にくっつけることで,槍を製造していた可能性があります.槍を使うことで,野牛やサイを狩ることも可能になったと考えられています.また,病人や高齢者の介護を行い,ワシの鉤爪や動物の骨や羽根でできた装身具や,ストーンサークルなども作った形跡があります.火を使っていたことも間違いなさそうで,骨についた石器の削り跡などから人肉食を行っていたことも分かっています.エル・シドロンの遺跡からは,十二体の遺骨も発見され,骨から肉が剥ぎ取られた形跡も見られています.近隣の集団に襲われ,食べられたのかもしれません.ただし,人肉食が日常的な行為だったのか,食糧危機の一時的な行為だったのかは,まだはっきりと断言はできません.

また,フランス西部では,ハイエナの大腿骨の破片に石器で9本の平行な線を入れていたものが見つかりました.数を数えていた目印にしていた可能性もあり,一桁程度の数字の概念であれば獲得していた可能性もあります.

数という概念自体は,人間以外の動物にもあるようです.たとえば,魚,蜂,ヒヨコなどは4程度までの数なら数えることができるようですし,大きな数であってもその差が大きければどちらが多くて,どちらが少ないかを認識することはできるようです.たとえば,20と21の違いは分かりませんが,10と20の差であれば理解することができるようです.人間でも生後6ヶ月程度の言語を獲得する前の幼児がこの程度の量の概念は持ち合わせていると考えられています.

数を抽象的なシンボルで表すということは,人間が飼育しているチンパンジーの中で習得する個体もいるようですが,野生のチンパンジーや高等霊長類で数の概念を使いこなせているものはいないようです.

ホモ・ネアンデルターレンシスについてもっとも衝撃的な事実は,現生人類であるホモ・サピエンスと交配していたということでしょう.交配はおよそ5万4千~4万9千年前頃に起こっていたと考えられ,さらなる研究で10万年前頃から行われていた可能性も示唆されています.基本的には,ネアンデルタール人の男性とホモ・サピエンスの女性との間で交配が行われていたようです.ネアンデルタール人由来の痕跡は,現在の非アフリカ人のホモ・サピエンスのゲノムの中に1.5~2.1%残っています.最近の研究によれば,ヨーロッパでネアンデルタール人と交配したホモ・サピエンスの一部はアフリカに帰り,ごく僅かながらアフリカ人のゲノムの中にもネアンデルタール人由来のゲノムがあるということもわかりました.

同じ生物種の定義として,交配して子孫が残せるかどうかという見方を紹介しましたが,この見解に従えば,ネアンデルタール人と現生人類は同じ種であるということになりそうです.実際,この見方を採用して,ネアンデルタール人はホモ・サピエンス・ネアンデルターレンシス,現生人類はホモ・サピエンス・サピエンスと呼ぶ言い方を採用すべきであると主張する研究者たちも出てきました.しかし,ネアンデルタール人と現生人類が同じ種なのかどうかということについては,まだまだ決着はついていないようです.

これにくわえて,2008年にシベリア南部のアルタイ山脈にあるデニソワ洞窟から,また新たな人類の骨が見つかりました.現生人類とも,ネアンデルタール人とも異なるこの人類は,デニソワ人という新たな旧人であると考えられています.デニソワ人のゲノム解析も進められ,現生人類よりは,ネアンデルタール人により近いということがわかってきました.

デニソワ人と,ネアンデルタール人,そして現生人類はおよそ140~90万年前に他の旧人系統から分離し,77~55万年前にデニソワ人とネアンデルタール人が現生人類と遺伝学的に分離し,47~38万年前にデニソワ人とネアンデルタール人が分離したものと推測されています.

そして,デニソワ人とも現生人類は交配していたということがわかっており,特にオーストラリア人,ニューギニア人と遺伝学的に近しい関係にあったということがわかりました.これらの地域の現生人類は,デニソワ人由来のゲノムを4~6%持っており,ネアンデルタール人より近しい関係にあったということが示されています.

しかしながら,シベリアとオセアニアでは地理的に遠方過ぎる上に,気温が違いすぎます.シベリアにいたデニソワ人が直接,オセアニアの人たちと交配したという可能性を考慮するのは難しいかもしれません.現在では,デニソワ人がアジア全域にいた可能性や,両者の間で「橋渡し」の役割を果たした人類がいた可能性などについて論争が続いているところです.どちらにせよ,ホモ・サピエンスがホモ・サピエンスとだけ交配していたわけではないということは,遺伝学的に確かめられた事実であり,現在の遺伝学や考古学では前提として受け止められるようになってきつつあります.

さらに時代をさかのぼって,ホモ属の歴史についても抑えておきましょう.一番最初のホモ属は,280万年前頃にアフリカで誕生したホモ・ハビリスだと考えられています.ホモ・ハビリスは脳容量が700cc前後で,咀嚼器官なども猿人とされるアウストラロピテクス属やアルディピテクス属よりも小さく,石器を使用し,肉食が増えてきたものと考えられています.

ホモ・ハビリスは,石同士を打ち付けて,剥片をはがしとって作る打製性の石器を作っていました.このタイプの石器は,タンザニアのオルドヴァイで見つかったことから,オルドワン型石器という名称で知られています.ホモ属が石器を作っていたことは間違いありませんが,石器自体はさらに時代を遡って,330万年前頃にアウストラロピテクス属などの猿人が使用していた可能性も指摘されています.ホモ属の頃にはかなり洗練されたものになっていたと言うことができるかもしれません.オルドワン型の石器はだいたい250万年前から180万年前ころまでよく使用されていました.

ホモ・ハビリスは猿人よりも脳容量が大きくなりましたが,この頃に肉食が増え,雑食傾向にあったということもわかっています.脳は身体器官の中でも特に重量がある部位というわけではありませんが,消費カロリーがとても多いことが知られています.この脳活動を支えるために肉食の割合が増えてきたものと考えられています.一昔前までは,狩猟をするホモ属が想定されていましたが,研究が進むにつれ,ホモ・ハビリスはそれほど狩猟能力が優れていたわけではなく,死肉あさりを主にしていたものと考えられています.また一方で,肉食獣に噛まれた痕なども多く発見され,初期人類は肉食獣の餌食になることが多かったようです.

190万年前頃には,ホモ・エルガスタという人たちがいたと考えられています.身体が細くて軽く,二足歩行を行い,脳容量は600~800ccと少し大きくなったと考えられています.ホモ・エルガスタの中では,トゥルカナ・ボーイと呼ばれる160万年前頃にいた9歳前後の骨がほぼ全身残っているのが有名です.ホモ・エルガスタは石槍を用いて狩りを行い,出アフリカを果たしたようで,ジョージアの小コーカサス山脈や中東,南アジアの海岸沿いにまで生息地域を広げていたようです.

ホモ・エルガスタと同種であり,区別しないと考えられることもありますが,180万年前頃に本格的に出アフリカを果たしたホモ・エレクトスが登場してきます.脳容量が800~1200ccもあり,身長も150~160cmあり,かなり現生人類に近づいてきたような雰囲気があります.涙型の形をした両面加工の石器を使いこなし,ハンドアックスと呼ばれる握り斧形状の石器も作成しています.この種の両面加工の石器はアシューリアン石器,そしてそれに伴う文化をフランスのサン・アシュール遺跡から名前を取って,アシュール文化と呼ばれることもあります.また,アシューリアン石器は右利きの人が使う形状になっていることが多く,脳の機能分化が進んできたものと考えられています.また,火を使うことができるようになったようで,アフリカから遠くユーラシア全域に広がることができた要因であったことでしょう.ホモ・エレクトスは,インドネシアのジャワ島で160万~11万年前くらいまで(いわゆるジャワ原人),中国の周口店近くで50~30万年前まで(いわゆる北京原人)いたことがわかっています.

さらに,世紀の大発見として騒がれたホモ・エレクトスと考えられる原人に,インドネシア・フローレス島のフローレス原人が挙げられるでしょう.およそ5万年前くらいまで存在しており,身長が1mくらいしかないことから「ホビット」というニックネームがつけられました.彼らは,精巧な石器や火を使っていた形跡もありました.なぜ,フローレス原人がこれほど小さかったのかということに関しては,いろいろと議論されています.有力な仮説の一つとして,フローレス島が孤立しており,島嶼化でステゴドンなどと同じく,小さくなる方向に進化したという可能性が示唆されています.フローレス原人に関しては,現在,研究が活発に行われており,現生人類と遭遇して絶滅したか,フローレス島から他の場所へ移動したか,さまざまな可能性が示唆されているところです.また,ホモ・エレクトスの子孫ではなかった可能性もあります.

ホモ・エルガスタ,ホモ・エレクトスはホモ属で最初に出アフリカを果たし,ユーラシア大陸に分散したため,彼らの子孫が進化してホモ・サピエンスになったとする多地域進化説も提唱されていたことがありました.しかし,すでに述べたように,現在ではホモ・サピエンスはアフリカで出現し,世界に分散したとする出アフリカ説が有力で,かつ遺伝学的にも決定的な証拠が出そろい始めているところです.ホモ・サピエンスは,ホモ・エレクトスと分化したホモ・エルガスタの子孫,ホモ・ハイデルベルゲンシスの系統とされています.そして,ホモ・ハイデルベルゲンシスがデニソワ人とネアンデルタール人,そしてホモ・サピエンスと分化することになったと考えられています.

このように,ヒトとはいってもさまざまなヒトが混在し,交雑していたというのが人類史の歴史です.現在するホモ属はホモ・サピエンスだけですが,その歴史もまだまだ浅く,今後どのようになっていくのかは誰にもわからないところです.









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