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台風を楽しんだ時代?”不謹慎”

   台風の季節がやってきた、台風第1号が発生、郷土直撃ではないが、現代社会はいろいろな面で自然、人工的危険がいっぱいとなっている。
そのため、気象庁の予報も精度が高くなって、予報も極めて安全性の側面から慎重で確率高く細分化さされた各地域、市町村、地名の果てまで予報が解かる時代になってきている。非常に至便な情報で大いに利用、応用が実践できるので助かる。古い時代から台風は野分とも言った。自分にとって小学生時代が懐かしい。台風が来ることになると家じゅうで予報や、警防団(地区の青年団)が出て廻り注意警報を呼び掛け、家屋の風雨に弱い所を補修や手加工を手伝ってくれたものである。夕食も早めに切りあげて食し、時には、既に停電となってローソクをともしながら家族全員で、にぎやかに夕食をとったものである。幼い者は台風のことはよくわからないので、安全のため、自分の家では家族全員が大きな飯台を出してろうそくの明かりを頼りに夜の食事をしたので台風を喜んでいたものである。二百十日と言う時期には、宮沢賢治の「風の又三郎」物語の歌を唄ってわいわいふざけながら下校して帰宅するのがまた、うれしいのだ。
台風が通過すると布団をかぶり、外の嵐の通過を親に言われて、静かに、時には脅かされ固唾んで、深夜の暴風雨にときには,やはり兄妹同士でおそれいっていたものである。
しかし翌朝、とりわけ山のすそ野帯の栗林に誰よりも早く行き、「はこげ」にめいっぱい栗の実を拾い集めて来たものである。
また下校すると、杉林に行き暴風で折れ墜ちた杉の枝を猛然と拾い集めて、冬用の薪、囲炉裏で暖を取る資材を準備したものである。そんなことは、どのような家でも、杉林や栗林でわいわい対話を弾ませてしたことを思い出す。そんな意味で、災害もあったけれど、幼児、児童は楽しんだのである。
現代は、そのような「のんき」なことは言っていられないようである
それが、現代の自然への認識の度合いであり,うかつなことは言えないようだ。さびしい時代となったものである。

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