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これからのこと

パンクロックは育てるものじゃない、パンクロックは態度だ。そしてその態度の重要な要素は「俺たちに真実をくれ」ということだ。

ジョー・ストラマー





2023年になった。
自分について言えることは、わりと今、気分的に底辺にいるということで。
こういうとき「これ以上、下がることなんてないんだから、あとは上がるだけじゃないか」みたいなことがよく言われるけど。
しかし実際のところ、人ってものはどこまでも際限なく落ちていってしまうものだと、わたしはそう考えている。
この冒頭の書き出しも、あるいは悲観的に過ぎるかもしれない。




ただ、フラットになんとなく「今、メンタルがすごく低い所にいるな」って思っているだけなので。
あまり生活に支障はない。ように、遠くからは、見える。
自分にしてみたところで、喉元過ぎれば何とやらで丸く収まるだろうと、そんなことを考えているわけで。(あるいは思考停止)
このようなずさんな対処が祟って、体と心が散り散りにならないように、今日もなにかしら書いている。吐き出している。




相反してネット上のわたしは、とても明るい。
絵文字などで手軽に表情を取り繕うことができる以上に、ほんの少しでも人に影響を与えてしまうことを知っているからだ。
現実のわたしも、自分から口を開くことは少ないが、表情は常に明るく、周囲の人たちも概ね楽観的で親切である。
しかし、やはり、どうだろう。どうしても、なにをしても、心が冷めてしまうときがあって。
その原因を、どうにかして、言語化してみたかった。
昨年より書き続けたこのnoteは、このような日常でさらけ出すことのできない【真っ黒な気持ち】を吐き出すことを出発点としている。
その中での便宜的なカテゴリー分けのために、

・ほんとのじぶん
・溺れるこころ
・決められたしあわせ
・かおのない人々
・夢ハラスメント

という項目に分けて書いてみた。
これらに関してはブログのネタとは違い、生活を送っているだけで次から次へと何かしらの文章が浮かんでくる。
このnoteだけ書き続けたとしても、おそらく今年中に書き終わることはないだろう。
そもそも、完成してスッキリ、という類の文章でもないのかもしれない。
昔誰かが言っていた、文学的雪かき、という言葉を思い出している。




結局のところここでの主張っていうのは【人生においての普遍的な問題】と【生活によってそれを改善したい】という二つの要素に集約されている。
自分が30年余りの人生で直面した問題というものは、つきつめて考えてみると消費社会へのアンチテーゼにつながっていて、ここまできてようやく、ハードコア・ミュージックの大兄貴たちが言っていたことの意味がなんとなくわかってくる。
もうやめたい、なにもかも。
欲望を煽るのも、煽られるのも。刺激された欲望に従って、他者の価値観に縛られることも、従わないで精神的に閉じ込められるのも。
もう、やめにしたい。




幸福とか人生とか、そんなつかみどころのないイメージも捨てたいな。
今の気分に全神経を集中して、そのまま灰になれたら最高だろうな。
重要なことはそんなに難しいことでもなくて、今より先のことは未知と割り切ってしまえば、明日の己の欲求みたいな邪悪なモンスターの世話をしなくても、笑顔で生きられる気がしている。
今の自分の気持ちにだけ、ちゃんと気を配れるように、それだけは忘れないように。
この調子で自分の脳の解読を進めていこう。
目を閉じて涅槃の国を覗いてやろう。
わたしはゆとりジェダイのマスター、いつもフォースと共にある。




こんなわけのわからない精神状態でも、自分が立ち止まらずにいられる理由ってのは、毎日少しずつ、ほんの少しづつ、何か書いているからだろう。
大きな夢や目標は、見栄えも響きもいいけれど、それらは問題を一まとめにして背負い込む行為だ。
そうなったとき、わたしは指の一本も動かせる気がしない。
理想は作業中、イメージに手が追いつかないみたいな感じで。
疲れそうになったら、早めに好きな人に会ったり、空を見たり、焚き火をするようにしよう。
世間がどうなっているのか、自分はイマイチよくわかってないけど。
とりあえずの日常に集中しよう。
今はただ、そんなことばかり考えている。










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